じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 時計台前のアメリカ楓(フウ)。そろそろ紅葉が始まる。



10月15日(月)

【ちょっと思ったこと】

狂牛病騒ぎが生物テロでない理由

 12日に東京都で狂牛病の疑いのある牛が見つかった件は、その後の精密検査で陰性であることが確認され、とりあえず落着した。とはいえ、牛肉に対する不安はぬぐいきれず、畜産業、食肉販売、外食産業などに深刻な影響を及ぼしているという。大学の生協食堂でも、牛肉は極力扱わない方針、扱う場合でもすべて輸入肉を使用しているということを昨日の会議で耳にした。9/29の日記で書いたように、公立小中学校で牛肉の使用を控える傾向も続いている。「当店は国内産牛肉を使用してません」という断り書きをつけたベーカリーレストランまで登場している。

 さてこの騒ぎ、米国での炭疽菌テロ?からの連想で、何者かによって仕組まれた生物テロではないかと考える向きもある。しかし、国内で最初の狂牛病感染牛が食肉処理場に運び込まれたのは8月6日、陽性反応が出たのは9/10であったことを考えると、仮に仕組まれたものであったにせよ、9/11に発生した同時多発テロとは無関係であることが容易にみてとれる。

 しかし、今回の狂牛病騒ぎがイスラム過激派によるテロでないことを確信する遙かに明白な理由が別にある。それは、この騒ぎで一番得をするのは誰かということだ。たまたま、10/16の朝日新聞で、米国食肉輸出連合会(USMEF)の全面広告を見かけた。その概要は、
  • 日本の消費者の皆様、米国産牛肉についてお伝えしたい事実があります。
  • 米国では、BSE(狂牛病)は一例も発生していません。
  • 米国政府は1997年より肉骨粉の牛への供餌を法律で禁止しており...
  • 米国産牛肉を、今日も安心してお召し上がりください。
というもの。何よりも米国を憎むイスラム過激派が、いくらなんでも日本国内の畜産業に打撃を与え、結果的に米国を利するような振る舞いをするとは思えない。この1点だけを見ても、生物テロで無いことは十分に確信できる。

 余談だが、世の中、どんな混乱があっても、誰かが儲かるようにできていることは皮肉である。テロの打撃を受けた株式市場でも、製薬・バイオ関係の企業には人気が集まっているという。戦争が長引けば、軍需産業も大儲けすることだろう。




目的のために手段を選ばない国、目的よりも「型」を重視する国

 このところ授業や会議が忙しいこともあって、TVニュースを見たり新聞を読んだりする機会が殆ど無い毎日が続いている。そんななか、間接的にテロ対策特別措置法についての議論を耳にするのだが、どうも日本という国は、最終目的のために最善の策を探るということより、しぐさの型ばかりにとらわれて、本質的な議論に至らない傾向があるような気がしてならない。

 自衛隊派遣の問題などもそうなのだが、派遣目的をどうするというよりも、承認のプロセスや、戦闘地域がどうだとか、武器使用がどうだとか、そういう「型」ばかりに囚われている。目的の妥当性さえしっかり議論しているなら、ある程度融通をきかせても十分な歯止めになると思うのだが。

 10/16の早野透氏のコラムによれば、自衛隊の輸送機がパキスタンに運んだ援助物資のうちのテント315張りはパキスタン製であったという。これなども、援助するという最終目的のために最も効率のよい手段を選ぼうとするならば、現地調達のほうがはるかに多数の物資を供与することができる。要するに実質効果よりも、どう振る舞ったかという型が重視されているのである。

 「型」を重視するというのは、昔の武士で言えば、「我こそは、○○の家臣、何タラかんタラの一族の何某、いざ尋常に...」などと名乗って一戦を構えるようなものか。戦いの結果よりも、どういうプロセスで戦ったのかが尊重される。

 もっとも、そういう議論ができるというのはある意味では健全だ。戦争終結のためには原爆を落としてもかまわない、あるいは自国を利するためには、敵国要人の暗殺、買収工作も厭わないというような「目的のために手段を選ばない」国よりははるかに平和的とも言えるだろう。