じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

10月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

[今日の写真] ホウキ草の紅葉が見頃になってきた。手前は朝顔とルドベキア。



10月11日(木)

【ちょっと思ったこと】

ヤミ米拒否で餓死

 昼食時に視た、みのもんた氏の「おもいっきりテレビ:今日は何の日」によれば、10月11日は山口良忠・判事が亡くなった日にあたるという。

 山口氏は京大法学部の出身。戦争直後の食糧難の時代に、ヤミ米の刑事裁判を担当。その責任を貫くため、みずからもヤミ米を拒否した結果、1947年10月11日に33歳の若さで亡くなったという。

 この餓死事件のことは以前にも聞いたことがあった。但し番組が伝えた内容どおりであったとすると、山口氏はその年の8月下旬に裁判所内で倒れた後、故郷で療養。農家であったため配給米の制約はなくお粥を好きな分量だけ食べておられたようだが、すでに衰弱がひどく、十分には吸収できなかった。餓死というよりも、長期の食餌制限により消化器系の障害が生じていた可能性もある。また、家族にはヤミ米拒否の強制はしていなかったという。

 番組では、長男の良臣氏へのインタビューもあった。父親の死後にはいろいろ悪口を言う人もいる、せめて自分たちが父親の死を称えておかなければといった内容だったと思う。確かに、配給米のほかにサツマイモや麦を食べればよかったのでは、などという考えも浮かんでくるが、むしろ、法の建前と現実の矛盾の象徴としてとらえたほうがスッキリするかもしれない。




 私が子供はいくらか食料難が改善されていたものの、米穀手帳などはまだ生きていた。お米屋さんは町のセンターの役割を果たしていた。当時のサザエさんの漫画の中にも「やり込めたね」を聞き間違えて「ヤミ米だね」と言われたお婆さんが怒り出す話があったように記憶している。お米が余り、青田刈りまでする今の時代では考えられないことだった。

 もとの話題に戻るが、仕事上の判断と日常生活行動の一貫性を保つという姿勢は、他の職業でも考えられる。警察官は私生活においても道路交通法を遵守すべきだとか、倫理学の教授は不倫をしてはならないとか、反米テロリストが米国製の腕時計を使うのは矛盾だといった議論。それにたいして、その場その場で最善の行動をすればよく、状況を越えた一貫性などナンセンスだという発想もある。和田秀樹氏の言葉を借りれば、前者はメランコ人間、後者はシゾフレ人間ということになるのだろう。

10/12追記]
ネットで検索した結果、讀賣新聞記事により詳しい情報があった。それによれば、
  • 山口判事の死因は栄養失調から肺結核にかかったためらしい。
  • 長男の良臣さんは。「父は、悪法であることを世に知らしめようという気はなかったと思う。むしろ、個人的な生き方、倫理のようなものによる行動だったはずだ」と語っておられる。
このほか正論にも別の見方が提示されていた。
【思ったこと】
_11011(木)[心理]人間・植物関係学会設立総会(6)研究発表会(4)1つでも「よかった」があれば...../「学会誌=印刷物」の発想を改めよう

 9/30に行われた学会の報告の最終回。

高齢の脳梗塞患者への園芸療法の実践事例

 4番目の発表は、脳梗塞で片麻痺の障害を抱える高齢者に対して園芸療法を実施し、QOLやADL(Activities of Daily Living)の向上を評価するという内容だった。Relfの評価項目などを取り入れ、40週にわたり変化を観察した結果、30週以降において行動上の改善がみられ笑顔も増加、これらの結果から
  • 園芸療法は、実施する環境やモチベーションの向上といった意味ではリハビリ室での訓練と比べて利点が認められる
  • 草花に囲まれた戸外という園芸療法の環境条件が潜在能力を引き出す上で効果をもたらした
というようにまとめられていた。

 この発表では、医療効果よりも生活指導面を重視する園芸療法の側面が活かされているように思った。フロアからの意見交換の時にも似たことが言われたが、「医療効果があるか無いか」などという実証性に固執するよりも、園芸療法を実施することで何か1つでも良い結果が出てくるならばそれでよしとする考えがあってもよいのではないかと思う。もちろん、だからといって全体的な評価を怠ってはいけないし、主観に基づく自己満足であってもならない。心理学や行動分析学で培われた評価法は必ず役に立つはずである。

 昨日も紹介したが、このあたりについての私の考えをこちらの小論にまとめてある。




 以上、6回にわたり人間・植物関係学会第一回大会参加の感想をまとめてみた。今回は、口頭発表が各20分、4件だけという短さであったが、他分野の研究者の意見交換を重視するためにも、各テーマに1時間ぐらいの討議時間をさいてもよかったのではないかと思った。

 また、学会誌の刊行にあたっては、原著論文だけでなく、レフェリーの修正意見やそれに対するリプライも同時に掲載し、いわゆるオープンリビュー形式としたほうが読み手に多様な視点を与えるという意味で情報的価値があるように思った。

 もう1つ、この学会の会費は一般会員が年間1万円となっていて、心理学関係の諸学会に比べると少々割高である。すでに別の学会にいくつも入っている人にとっては、結構負担になるのではないかと思う。ではどうすればよいのか。10/9の日記でふれたように、学会が必要とする経費の半分近くは、機関誌の印刷や郵送にあてられているのである。印刷をとりやめ電子ジャーナル一本にしてしまえば、会費を半額にすることもできるはずだ。学会誌は何がなんでも印刷物にすべきだという発想はもう古い。論文は不特定多数に無料公開し、印刷費や郵送費の節約分はサイトのメンテ、各種研修会の実施、その他、運営に必要な事務経費に限るべきではなかろうか。