じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] エンゼルトランペットのピンクと黄色の花が同時に咲いた。2年前にポット苗を購入。寒さで地上部は殆ど枯れてしまったが、2年目になって大きく育つ。ピンクの花が咲いたのは今年が初めてだった。ちなみに、一部の花屋では、チョウセンアサガオの苗まで「エンゼルトランペット」と称して売っている場合があるので、買う前に確認する必要がある。 [今日の写真]



10月7日(日)

【ちょっと思ったこと】

戦争が始まった

 各種報道によれば、日本時間の午前1時半より、米国は英国とともにアフガニスタン各地のタリバーン軍事施設に攻撃を開始したという。予想されたこととはいえ、ついに戦争が始まってしまった。いまのところ攻撃目標は限定的であると言われるが、タリバーン兵士と言っても大部分は強制的に徴兵された若者であろう。そういう意味では、民間人に犠牲が出なければ構わないという論理は成り立たない。

 伝えられるところによれば、軍事攻撃と併せて、各都市には医薬品と食糧の投下が開始されたという。短期的にはこれで人心をひきつける効果があるかもしれないが、どんなもんだろうか。むしろパキスタン国内で起きているという反米デモの動きが気になる。彼らはタリバーンの銃剣で駆り出されたわけでもなく、カネで雇われているわけでもないからだ。

 それにしても、ブッシュ親子二代にわたって中東で軍事攻撃を展開するとは、何と巡り合わせの悪いことだろうか。英語の「bush-fighting」には「森林地戦,(森林地の)ゲリラ戦」という意味があるそうだが、親子二代とも、森林の無い地域での戦闘がお得意なようだ。




タシュクルガン

 中国外務省は5日、アフガニスタン、パキスタンと国境を接する新疆ウイグル自治区タシュクルガン地区への開放を「暫時停止する」との通知を出したという。タシュクルガンと言えば、昨年の夏、パキスタンからカラコルムハイウェイを越えて訪れたばかりのところだった(こちらのアルバム参照)。9/15の日記で再掲したタジキスタン、9/16で紹介したヨルダン川西地区、18年前に訪れたインドヒマラヤ・ザンスカール地方、今ではそのいずれを訪れることもできなくなってしまった。世の中本当に平和な方向に向かっているのだろうか。




高橋尚子選手その後

 各種報道によれば、7日に行われたシカゴ・マラソンで、ケニアのメデレバ選手が2時間18分47秒の世界最高記録で優勝。高橋尚子選手がベルリンで樹立した記録はわずか1週間で塗り替えられてしまったことになった。

 これに関連してちょっと気になるのは、高橋選手のシカゴ・マラソン出場が日本陸連の指示で断念させられたという報道である。「わずか1週間間隔のマラソンは故障につながる」という理由だったというが、これは、医学的な診断に基づいた上での判断なのか、それとも机上の一般論なのか、それとも、TV中継の利権が絡んだものなのか、もう少し詳しい情報が欲しい。長距離レースのことは素人の私には分からないのだが、マラソン選手は、ふだんでも毎日相当の距離を走っていると聞く。体力や体調が絶好調にあるうちに複数のレースに出たほうが成果を出しやすいようにも思うのだが。また、1週間間隔のマラソンが故障につながるなどと聞くと、トライアスロンの選手などどうなるのか気になってしまう。

 高橋選手自身にとってはこれでまた「世界記録再更新」という新たな目標ができたともいう。もっとも、6/1の「ちょっと思ったことで取り上げた円周率記憶ならともかく、からだを使ったチャレンジは、逆に健康を損ねる恐れもある。成田空港の記者会見で、小出監督は、標高4500メートルでの高地練習構想を明らかにしたというが、一部に(日本人への妬み感情を含めて)出されているbig killer juice飲用の問題(こちらの記事参照)を含めて、「普通の体」をマラソンマシンに改造するような動きには疑問を感じざるを得ない。

 スポーツの意義は昨年8月の保健体育審議会答申で的確にまとめられているが、基本はやはり楽しむこと。選手の努力と目標達成はは多くの人々に感動を与えるが、量・質ともにあまりにも度をすぎた内容ではかえってハラハラさせてしまう。最初の「陸連による制止」はそういう意味では妥当だったのかもしれないが、新たな目標を作らせてしまったという点で逆効果になったかもしれぬ。いずれ歴史的に評価されることだろう。
【思ったこと】
_11007(日)[心理]「老いる」ということ(2)新老人運動/「葉っぱのフレディ」

 昨日の続き。高塚延子先生の講演は、
  1. 「老い」についての誤解
  2. 「新老人運動」の提唱者の日野原重明・聖路加国際病院理事長の紹介ビデオ
  3. 介護を必要とするお年寄りへの接し方
という三部構成になっていた。このうちの2.では89歳でいまなお現役でご活躍されている日野原重明さんご登場のビデオが紹介された。日野原さんの睡眠時間は1日5時間、つまり毎日19時間の活動をしておられる。これを一般人の活動時間に換算すると365年も長生きしている勘定になるとか。しかも、移動中はクッションつきのボードを持ち歩き(今の若者で言えばクッション付きのノートパソコン)、待合いのベンチでも飛行機の中でも原稿書きをされるとか。食事もきわめて短時間という超人ぶりだ。

 日野原さんは、昨年の9月30日に、「新老人運動」を旗揚げされた。ここでいう老人とは、75歳以上の元気なお年寄りのことを言う。75歳までは完全な現役、そこから先はボランティアで才能を社会に活かすというのがこの運動の趣旨らしい。

 日野原さんも指摘しておられたように、65歳以上の人口と、生産人口と言われる15〜64歳の人口の比率は1999年が24%、2025年になると46%になるという。若い人に頼っていたのでは到底、高齢者を支えることはできない。この意味でも、65〜74歳のパワーはぜひとも必要になってくる(ちなみに2025年には私は73歳。まだまだ現役としてで駆り出されていることだろう)。

 もう1つ重要なことは、それまでの仕事と違う新しいことを始めよということだった。日野原さんご自身、「葉っぱのフレディ」の音楽劇の脚本にチャレンジされた(あらすじはここから。関連記事が週間医学界新聞や、ZAKZAKにあり)。生きた時間は短いが、生きたという事実は生き続けるというようなセリフからいのちについて考えさせられる。

 ビデオで日野原さんは、「愛すること、創(はじ)めること、耐えること」と色紙にしたためた。かつて、よど号乗っ取り事件の時に犯人たちに手を縛られた時にも耐えたのだという。

 こういう元気なお年寄りの姿を見ていると、私の人生もまだまだ半分ちょっと過ぎたあたりという感じがしてくる。といって、60歳の時にガンで亡くなった母親の寿命から逆算すればあと11年余りしか生きられない。いまはとにかく現役で頑張るしかない。次回に続く。