じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

9月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
[今日の写真] マンゴーの種をベランダの鉢に蒔いておいたところ、炎天下ですくすくと育ち、写真のようになった。室内で冬越しできるだろうか。



9月20日(木)

【思ったこと】
_10920(木)[心理]「行動随伴性に基づく人間理解」(16)「悪いこと」には強いが「不確実」には弱い

 9/11に米国で発生した同時多発テロの影響を受けて、各国の株式市場で大幅な下落が続いている。今週初めに再開されたニューヨーク市場は、いったんは予想された範囲の下落にとどまったとしてむしろ安堵を与えたが、その後もずるずると値を下げ、9/20には、ダウがマイナス382.92の8376.21ドル、ナスダックはマイナス56.87の1470.93と、下げ幅を広げた。欧州市場でも全面安。これまでのところ(9/21朝の時点)では最も下げ幅が小さい(-4.9%)東京市場がどういう動きを見せるか、注目されるところである。

 こうした下落は、テロ発生という結果によってもたらされたものではない。事件はすでに終わってしまっており、直接的な被害の大きさはほぼ確定している。にもかかわらず、ずるずると株価が下がっていくのはなぜだろうか。

 行動分析では、好子や嫌子といった具体的な事象が行動に随伴することで将来の行動が変化すると考える。しかし、この範囲で説明できるのは
  • 株価の暴落で大損をした後、二度と株に手を出さなくなった(=好子消失による弱化)
  • 株価の急騰で大もうけした後、ますます投資を拡大することになった(=好子出現による強化)
という2点に限られる。今回のような下落はこれとは明らかに異なる現象であるように見られる。では、何が原因になっているのだろうか。

 先物取引に絡むテクニカルな行動を別とすれば、下落を招くのは
  1. いま売らないと、ますます下落する(「売る」行動によって、好子消失が阻止されるという随伴性による強化)
  2. いま買っても、ますます下落する(「買う」行動に好子消失が随伴することのよる弱化)
という2つの随伴性が複合的に関与しているためと考えられる。

 もちろん、売ったあとで本当に株価が下落した場合は、「売る→好子消失阻止」という強化は起こるし、「株を買わない(←このこと自体は死んだ人でもできる)」は、実際には「資金プールを保持する、別の金融商品に資金を移す(←これは、死んだ人にはできない)」という具体的行動が「好子消失阻止」によって強化されるということもあるだろう。しかし、こうした経験を繰り返さなくても、上記の1.や2.の随伴性は絶大な影響を及ぼす。

 ここで注意すべきなのは、上記の「好子消失」というのは具体的に起こった結果ではない。「○○したから××になった」という直接体験ではなく、「○○すると××になるだろう」という言語的記述、つまりルールによって支配された行動であると言える。この場合、具体的で確実な損失が起こるかどうかよりも、不確実だがより大規模な損失が起こるかどうかのほうが影響力が大きい。

 じっさい、リスクに対する不安というのは、具体性よりも不確実性に対して起こりがちなものである。

 この点について、朝食時に見たテレビ番組で、米国のアナリストの次のような発言が耳に残った。

我々は、「悪いこと」には強いが、「不確実」には弱い

 経済の専門家でない私があれこれと予測することはできないが、何が起こるか分からない状況が長引けば、株価は実態以上に下落することもありうるだろう。折悪しくも、日本は秋分の日を含む連休を控えている。市場が3日間休みになれば、それだけ不確実性が増す。21日の東京市場はその不安に持ちこたえることができるだろうか。

【思ったこと(2)】
_10920(木)[心理]行動分析学会年次大会(11)21世紀への展望(1)

1日目午後:21世紀への展望〜行動分析学の現在・未来(1)

 1カ月も前の話になってしまったが、8/23の13時から14時10分の間に行われた佐藤方哉先生の記念講演について感想を述べさせていただきたいと思う。

 今回の講演はわずか1時間10分という短いものであったが、非常に内容が濃く、21世紀最初の年次大会の記念にふさわしい方向性が示されていたと思った。

 講演ではまず、行動分析学の創始者スキナーの活動が年代を追って紹介された。長谷川のほうで別の文献を頼りに主なポイントをまとめると、
  • 1930年代:パヴロフの条件反射とは別に、もう1つのの条件づけがあることを主張/ 『The behavior of organisms』刊行
  • 1940年代:徹底的行動主義/スキナー学派の旗揚げ/小説『Walden Two』刊行
  • 1950年代:行動療法(今で言う応用行動分析)/『Science and human behavior』刊行
  • 1960年代:私的出来事/ルール支配行動/『ntingencies of reinforcement』刊行
  • 【行動分析は、ある意味では停滞期に入る】
  • 1970年代:『Beyond freedomw and dignity』刊行/佐藤先生により、スキナーの理論が日本で初めて紹介される/ABA誕生/1979年来日
  • 【1970年代後半から、スキナーの意に沿わない「分派」が現れ始める】
  • 1980年代:行動経済学、結果による選択
  • Skinner, B. F. (1990). Can psychology be a science of mind? American Psychologist, 45, 1206-1210.
というふうになるかと思う。スキナーは非常に長生きしたため、20世紀のうちの60年間にわたり影響を与え続けたことがよく分かる。




 佐藤先生は次に、行動分析学の特徴として
  • 行動それ自体が研究対象であること
  • できるだけ少ない原理(=行動随伴性)で説明
  • 外部に行動の原因を求める
  • 単一事例法:反復実験による再現
を強調された。また、行動分析学においては基礎研究と応用研究の乖離は無いこと、行動の原理は1970年頃までにほぼ明らかにされており、これからは、

●行動の原理がどう働いているのか

の研究に重点が置かれるべきであると指摘された。そして、マロットの教科書を引用しながら、行動分析が今後
  • 学問的課題:行動分析学で世界を知ろう
  • 実践的課題:行動分析学で世界を救おう
という2つの課題のもとに発展していく可能性を示された。




 スキナーの『Science and human behavior』ですでに予言されていたように、21世紀に入って、自然科学と行動科学のアンバランスはますます拡大し、その弊害は至る所に現れているように私は思う。昨日の日記でもちょっと書いたが、大学の研究は今なお自然科学に重きが置かれている。もちろん我々はその恩恵を最大限に受けているわけだが、反面、科学技術が進歩したことによって、地球温暖化や核戦争など新たな危機を招くことになった。それらを救うためには、
  1. 科学技術は人類には扱いきれない危険物。このさいすべて博物館に封印し、原始的生活に戻ろう
  2. 科学技術を扱う行動を分析し、それをうまくコントロールする方策を考えよう
という2つの選択肢のいずれかを選ばなければならない。しかし、原始時代に戻ってしまえば、再び食糧難、重労働、疫病、自然災害に見舞われることになる。となれば、後者2.の道を選ぶしかない。そのためにこそ、人文社会系の幅広い研究が求められているのである。

 ちょっと考えてみれば分かることだが、
  • いくら医学が進歩したところで、平均寿命はせいぜいあと10年〜15年程度伸ばせるだけ。しかも寿命が延びれば延びるほど、年金や保険、介護に負担をかけることになる。難病の克服ならともかく、健康な人間の寿命を延ばすことはそれほど必要ではない。そんなことよりも、むしろ、人生80年をどう充実させるかに頭を使うべきではないか。
  • 我々が生きていくために必要な食糧は、いまの科学技術でも十分にまかないきれる。生産技術の開発に力を注ぐよりも、農業を生きがいにするにはどうしたらよいかを考えるべきではないか。
  • みんなが生産活動にそこそこ従事すれば、飢え死にせずに、もっとゆったりとした生活をおくれるはずだ。我々は奴隷ではない。なのに、なんで長時間勤務の末に過労死しなければならないのだ。
こういう問題は、科学技術をいくら進歩させても解決できない。行動科学こそがこれを救えるのだ..........少なくとも私はそう思っている。