じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
岡山の気象情報によれば、過去1週間の降雨量は、0、23、1、1、4、53、1mmとなっており、まずまずの雨量。これにつられて大学構内にもキノコが出現するようになった。こちらの写真にもある、オオシロカラカサタケではないかと思う。 |
【ちょっと思ったこと】
飲食店の身売り、閉店あいつぐ/カット専門の床屋 日曜日の昼に、息子と二人で外食することになった。以前はよく53号線沿いのラーメン屋に行っていたものであるが、今年の春に突然閉店してしまい今はコインランドリー屋に改装されている。この日に立ち寄ったラーメン屋も、同じ系列とは思われるが、少し前に経営者が変わり、別のチェーン店の1つとして営業を始めたばかり。このほか、近くのカレーレストランは閉店、ハンバーグレストランは閉店(店舗改装のためなのか、経営難によるものかは未確認)、回転寿司店は経営者交代、ファミリーレストラン一店舗は身売り、中華料理屋も1軒閉店、コンビニ店1軒閉店となっており、その目まぐるしい変化に驚かされる。 もっとも閉店ばかりではない。飲食店ではないが、ラーメン屋のすぐ近くには1000円の床屋が営業を始めていた。この床屋は「カットのみ、10分間」が売り物になっている。確かに普通の床屋は時間がかかりすぎる。シャンプーなどは自宅でもできるし、ひげ剃りも当日しか意味をなさない。といって、今の床屋は、看板では「調髪のみ○○円」などと書いてあっても、中に入るとちゃんと断れない限りは勝手に総合調髪で500円増しの料金を徴収するようなところが多い。最近では髪を染める若者が多く、そのために待たされるのが多いことを考えると、このさい専門理髪店は染色、調髪のみを必要とする者はカット専門店というように、棲み分けができていく可能性もありそうだ。もっとも、行きつけの床屋を決めている私の場合など、そう簡単に店替えしにくい事情もあるが。 |
【思ったこと】 _10909(日)[心理]行動分析学会年次大会(8)行動分析学の点検(5) 1日目午後:行動分析学の点検:強化と強化スケジュール(5)強化概念の天動説、地動説(2)「行動の原因」の2つの意味 9/6の日記の続き。前回も述べたように、例えば「習得性好子」となる事象は、それをどのように物理的・化学的に分析しても「習得性好子」という性質は出てこない。生活体側の変化を意味する概念だからである。同じことは、レスポンデント条件づけの条件刺激についても言える。メトロノームの音を聞いてヨダレをたらす犬が居る。メトロノームの音はその犬にとって、ヨダレを誘発する条件刺激となるが、音自体をどのように精密に分析しても、条件刺激なる成分は全く出てこない。犬が勝手に行動を変えただけなのである。 では、習得性好子も条件刺激も、生活体側の「認知の変容」に置き換えてしまってよいのだろうか。 この問題は「原因」の2つの意味を区別することによって明らかになる。
車の運転を考えてみよう。車が動き出したり、スピードを上げたりする原因は上記の2.に関する問題である。いっぽう1.はガソリンがどのようにして動力に切り替わるかという問題である。1.はさらに、なぜガソリンはポテンシャルなエネルギーを蓄えているのか、それが太陽エネルギーの化石であるとすると、太陽エネルギーはどのようにして生じるのか....という問題へと発展していく。しかし、車の安全運転の徹底や、車の故障の原因を解明する際には、エネルギーの根源的な問題に言及する必要はない。 家庭内の調理も同様。半熟の卵を作る時に、卵を熱する時に使うガスがなぜエネルギーをもたらすかについて言及する必要はない。どのような温度で何分茹でればよいかが関心事となる。 行動の原因を考える場合にも同様である。「行動が何を原因として生じるのか」という問いに対する徹底的行動主義の立場は
人間や動物は、行動を自発することを本質として備えた存在である。自発される行動のリパートリーは、進化の過程の中で系統発生的に形成される。 と答えるしかない。いっぽう2.については、確立操作、強化、弱化、行動随伴性といった概念が用意されている。 ここで、念のため「行動随伴性」と「行動の変化原因」について確認をしておきたいと思う。「行動分析は、行動の原因を外部に求める」とよく言われるが、行動変化(強化あるいは弱化)は、
そもそも無生物の世界では行動は生じないから1.は絶対に必要。生物は真空中を浮かんでいるわけではない。歩くときには地面が、木を登る時には枝が、肉食獣では獲物の存在というように2.がなければ働きかけは起こりえない。3.も同様である。そして通常、1.から3.は、いずれも一目見ただけで存在が確認できる。原因というよりは、前提条件と言うべきものかもしれない。 では1.から3.だけで十分なのだろうか。否である。もし環境側が全くデタラメにしか変化しなかったら、あるいは、全く変化しなかったら、行動を自発しても生存可能性は高まらない。幸いなことに、地球上の環境は、自発された行動に対して一定の規則性をもった変化が生じるようにできている。だからこそ、行動を自発するような生物が繁殖してきたのだとも言える。 自発された行動と結果との関係性はモノそのものではない。しかし、その規則性は環境側(外部世界)の物理的・化学的性質に依存している。「行動の原因を外部に求める」とはそういうことを言っているのである。次回に続く。 |