じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 三尺バーベナ。大学構内では完全に雑草化しており、特別の世話をしなくても至る所に生えてくる。



7月17日(火)

【思ったこと】
_10717(火)[心理]オーストラリア研修(その11)セラピーは目的か、手段か?(その6)「ご自由にどうぞ」と「楽しみ」の起源

 5回にわたり、「セラピーは目的か、手段か?」という連載を続けてきた。この話の発端(7/4の日記参照)は、アデレードでレクチャーを受けた「MURRAY WINGプログラム」の中に、ダイバージョナル・セラピーを初め、実に多様なセラピーや諸活動が含まれていたことにあった。その中には、痴呆の進行防止や改善を目的としたセラピーばかりでなく、それ自体が「楽しみ」であり有効性は二の次と思われるものもあった。その場合、セラピーは手段ではない。目に見える効果が無くても、クライアントが楽しんでいればそれで十分。そればかりか、楽しく活動することは、結果的として、不穏状態や問題行動を起こりにくくする効果が期待されるという発想である。

 「楽しみが第一」というのは、昨日の日記で取り上げたスポーツ一般にも言えることだ。このほか「温泉療法」も、本格的な湯治を別とすれば「楽しみが第一」と言ってよいのではないかと思う。つまり、数日間温泉宿に泊まったからといって、効能書きどおりの変化が現れるとは思えない。むしろ、温泉でのんびりと過ごすこと自体が目的。結果的にストレス解消につながるかもしれないが、手段として温泉に通うわけでは決してない。




 さて、それでは「楽しみが第一」のセラピーの場合、「ご参加はご自由にどうぞ」というように機会だけ提供しておけばそれでよいのだろうか。もし対象が健常な若者たちであるならば「ご参加はご自由にどうぞ」型の機会提供だけで十分であろうと私は思う。しかし、痴呆のお年寄りや障害児の場合には「楽しみ」をサポートするためのスタッフがどうしても必要になってくると思う。

 昨年、岡山県内のある老人福祉施設を訪問した時、施設内に将棋板やオセロ、室内ゲーム器具、簡単なアスレチック器具など、いろいろな娯楽用具が用意されているのを見たことがあった。ところが、それらは殆ど活用されていない。お年寄りたちは、ソファに座って談笑をしていたが、娯楽用具には全く興味を示していなかったのである。

 行動分析的に言えば、娯楽用具はオペランダムと呼ばれる。用具が無ければそれを必要とする行動が起こらないのは当然である。ではオペランダムさえ用意すればそれで十分なのか? 否である。オペランダムが存在し、それを操作する行動が適切に強化されてこそ「楽しみ」が生まれるのである。高齢者や障害児は、健常な若者に比べると、そのような行動の元々の生起頻度(オペラントレベルの頻度)がきわめて低い。だからこそ、その自発頻度を高め、それらの行動が自然に強化されるレベルまでサポートすることが必要になってくるのである。

 今年3月に行われた日本行動分析学会公開講座・「高齢者介護の実践と行動分析学からの提案」に関連して同じような意見を述べたことがあった。講座では「将棋やオセロが好きだということだが入所後は殆ど行っていない。」と報告された部分があったが、
痴呆が進んで対戦が困難になったという可能性もあるが、ひょっとして、「殆ど行っていない」ではなく「将棋やオセロで遊ぶ権利が奪われている」ということではないのか。もしそうだとするなら、入所者のために対戦室を用意するとか、パソコンソフトに、お年寄り用のタッチパネル付き液晶を用意するなどの配慮があってもよいのではないかと思った。
というのがそれに対する私の考えである。

 以上述べたように、高齢者介護施設では、失われた機能の回復(あるいは改善、低下防止...)の手段としてのセラピーとは別に、能動的な行動が適切に強化されるような随伴性を整備するセラピストが必要となる。今回紹介されたダイバージョナルセラピーは、後者に相当する部分が大きいように思えた。この話題、もう1回だけ続く。
【ちょっと思ったこと】

スキル教育

 NHKのクローズアップ現代で「スキル教育」の話題を取り上げていた。終わりの部分しか見られなかったが、スキル教育にもいろいろあり、教師自身が身につけているスキルが大きく物を言うように思った。もっとも、私の子供時代ならば、スキルと言われるものの大部分は両親や祖父母から伝授されたように思う。




阪神4位

 7/18朝のNHKニュースによれば、阪神タイガースが巨人にサヨナラ勝ちして4位に浮上したという。そんなバカな、と思って新聞の順位表を見たら、確かに36勝46敗であり、35勝37敗の広島や35勝42敗の横浜より1勝だけ多く、単独4位に浮上していた。もっとも、これは今年から勝ち数で順位を決めるルールに変更されたための数字のマジック。勝率が最下位であることは変わらない。同じことは(残念ながら阪神は蚊帳の外だが)首位争いについても言える。「首位」の巨人は47勝39敗、「2位」のヤクルトは45勝30敗。勝率ベースで言えば、3.5ゲーム差でヤクルトがトップになる。巨人88試合、ヤクルト78試合というように10試合も違いがあるなかで、勝ち数で順位を競っても盛り上がりに欠けるのではなかろうか。




冷凍保存

 7/18の朝日新聞によれば、横浜市の市営住宅に住む50代の無職の男性が、13年前に死亡していた父親の遺体を大型冷蔵庫で保管していたことが17日わかったという。電気が止められて異臭がするようになって発覚したというが、日本では珍しい出来事(←ちゃんと死亡届が出されているので「事件」ではないらしい)ことだと思う。

 手元に資料が無いので何とも言えないが、自分より上の代、それも「息子-父親」という関係の中でこういうことがあるのは特に珍しいのではないだろうか。ちなみに精神科医の和田秀樹氏によれば、「およそどこの国でも男性の場合、実の母親の死より、妻の死のほうが心に大きなダメージになって、その後うつ的になる男性や早死にする男性が多い」そうだ。なぜかと言えば、「結婚した時点で、男性にとっての心理学的な「お母さん」が実の母親から、自分の奥さんにシフトしてしまうから」。いっぽう、女性の場合は、結婚しても、夫が第二の父親にはならないという。個別にはいろいろな事情があるだろうが、一般に男性の場合、父親の死は、妻の死や母親の死に比べると、ダメージが少ないように思えるのだが.....。

 この話題、猟奇的な注目を集めやすいらしく、7/18朝は、「父の遺体冷凍保存の怪」(瀬戸内海テレビ)、「“技術で生き返る”、父の遺体を13年間冷凍で保存」(OHKテレビ)、「13年間保管火葬拒否し父親の遺体冷凍庫に」(西日本テレビ)と、7/18朝の各局モーニングショーをにぎわすことになりそうだ。
【スクラップブック】