じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
オミナエシの花が咲き始めた。秋の七草と言われているが、昨年も6月25日に写真をアップしている。花期は1ヶ月以上と長い。後ろの白蝶草も非常に花が長いということが昨年7月17日の日記に書かれてあった。 |
【思ったこと】 _10628(木)[心理]オーストラリア研修(その4)レジャーと生きがい 昨日の日記で、「ダイバージョナルセラピー(Diversional Therapy、以下『DT』と略す)」が、少なくともその一部に「レジャー&健康セラピー」の内容を含むことを紹介した。 しかし、「気晴らし」と同様、日本的な意味での「レジャー」もまた誤解を生じる恐れのある言葉であることに留意しておく必要がある。 岩波国語辞典によれば、 レジャー:余暇。ひま。余暇の遊び。 とされており、対応する日本語の「余暇」は 余暇:仕事をはなれて、自分の勝手に使える時間。ひま。 となっており、これだけでは引退して年金生活を送っている高齢者は何もしなくてもレジャーを楽しんでいるように思われかねない。 もちろん英語的な意味も日本語とそれほど異なるわけではない。ただ、ランダムハウス英語辞典にもあるように、「leisure」には
義務的な労働から切り離され、「しなくてもよいが、行動すれば好子(positive reinforcer)が伴う」能動的な行動 という要素が多分に含まれているように思われる。となると、「レジャー」産業の宣伝に惑わされて、受身的に選択させられるような娯楽はレジャーとは言えない。一日中テレビばかりをみてゴロゴロしているのもレジャーとは異なるようにも思える。 じっさい、アデレードの州立高等教育機関「Douglas Mawson Institute of TAFE」の教室には、次のようなポスターが掲げられていた(写真左)。 Leisure is ..... a vital force that influences everyone's life. It is essential to happiness, to a sense of belonging, to creativity, to accomplishment and to satisfaction in living.こうなってくると、レジャーは単なる「暇つぶし」ではなく「生きがいの必須要件」もしくは「生きがいの本質そのもの」であるということになる。また、別のポスター(写真右)には、 It is useful to view leisure experiences as taking place along a continuum, with the individual progressing from outer-directed activities undertaken in their obligated time through to motivation which is inner-chosen recreation activities.とあり、ここでも、義務的な労働から自主的能動的な活動への転化が示唆されていた。但し、最後の「inner-chosen」という部分がどういうプロセスを意味するのかについては、もう少し尋ねてみたいところでもあった。 この日記でたびたび引用しているスキナーの幸福(生きがい)の定義 Happiness does not lie in the possession of positive reinforcers; it lies in behaving because positive reinforcers have then followed. [行動分析学研究、1990, 5, p.96.] /生きがいとは、好子(コウシ)を手にしていることではなく、それが結果としてもたらされたがゆえに行動することである。に酷似したスローガンも見ることができた。すなわち、 The final choice of an activity, or of a way of doing an activity, must always be taken 'as much as possible by the individual' so as to maximise his/her positive experience of the activity.という表現であった(写真左)。今回の研修全体で感じたことでもあるが、DTやアルツハイマー協会代表者の講演などでは「behavior」ではなく「activity」という言葉ばかりが使われているが、実質は同じものを意味しているようだ。「 maximise his/her positive experience of the activity」が「behaving because positive reinforcers have then followed」と同義であると考えるのは行き過ぎだろうか。 レジャーが本質的に個人に属するものであるとすると、誰もが楽しめるとか、集団内の全員が同じことをすべきだといった発想は否定される。このことに関しては、 Leisure is -と明記されていた(写真右)。 もう1つ、レジャーがいくら個人本位で多様であるべきとしても、我々は、一人で好き勝手に楽しめるわけでない。この点については、 No person is absolutely independent; we are all social beings and thus dependent on others to varying extents and in various ways throughout our lives.というポスターも貼られていた(写真左)。 以上、「Douglas Mawson Institute of TAFE」の演習室に貼られていたポスターを中心にレジャーと生きがいについて考えてみたが、このことを深く理解するためにはAussieの労働観、自由観、生きがい観などについてもっと知る必要があるようだ。この日記でかつて連載したしごと、余暇、自由、生きがいの関係を考える(続編もあり。「日本行動分析学会ニューズレター2000年 春号」の中の拙稿も合わせて参照されたい)との関連も考えてみる必要がある。次回に続く。 |
アーティチョークの花がやっと開き始めた。6/13の日記で、花の形が全然違うようだと書いたが、じつは、あの時はまだ蕾。いま開き始めたのが本物の花ということになるようだ。大きさ比較のため、横に腕時計を置いてみた。 |