じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
園芸品店で処分品として売られていたアーティチョークが3年目にしてやっと花を咲かせた。と思ったのだが、こちらの写真と比べると容姿が全然違う。いったいどうなっているのだろう。どなたか情報をいただければ幸いです。 |
【思ったこと】 _10613(水)[一般]歴史教育についての別の見方(その4)「考えさせる」歴史教育への転換 この連載の最終回。6/10の日記で掲げた 歴史教育は教わるものなのか、考えさせるものなのか。 という論点について考えてみたいと思う。 その前に、愚一記さんが6/12の日記で 歴史研究と歴史教育とを区別する必要がある。と指摘された点についてちょっと考えてみたい。確かに、例えば英語学と英語教育とが異なるように、、「○○学」と「○○教育」というのは必ずしも同一ではない。中学や高校で教える内容ともなれば、専門教育とは異なった視点はやはり必要なのであろう。 歴史をどう教えるかについては専門的なことは私には分からないけれども、どのように方法や内容を改善しても受け手側(教わる側)にそれが伝わらなければ意味が無いということは言えるかと思う。私自身の中学高校時代を思い出して見ると、歴史というのは、やたら専門用語ばかり出てきて、その上、国語では習わないような漢字の書き取りまで要求されて、楽しかったという思い出は1つも残っていない。結局は、入試合格のためのツールに過ぎなかったと言ってもよいのではないかと思う。 そんななか、2001年6月8日の朝日新聞「私の視点」で、土屋武志・愛知教育大学助教授の「歴史教育 暗記主義脱却の好機に」という主張はなるほどと思わせるところがあった。 土屋氏は、従来の歴史教育について 歴史教育は、学校教育の中で最も批判されてきた分野のひとつだつた。過重な暗記を強いてストレスを与える教育の代表例としてあげられ、「考えさせる」歴史教育への転換が期待されてきたのである。とし、 検定制度があるとはいえ、教科書は基本的には著者の歴史学者が考えた「正しい」歴史を記したもので、児童・生徒に解釈の余地を保障する工夫はなかった。児童・生徒が勝手に歴史を解釈しては困る、教科書通りに覚えなさい、これが従来の歴史学習だつた。という問題点を指摘しておられる。そして、これに代わって .....児童・生徒に歴史を考えさせるということは、歴史を解釈させることだ。それは、解釈という作業を通して児童・生徒自らが過去と対話し、未来を考える能力を育てようとすることであり、未来の市民社会をつくる基礎能力をトレーニングしようということである。という「考えさせる」歴史教育への転換を説いておられる。 すでに様々な方面で、クリティカルな思考の目を養うことの重要性が強調されているが、歴史の場合も、生徒の側にもっと解釈の自由度を与えるような教育があってもよいのではないかと思う。 いずれにせよ、歴史教育が特定の政治運動やイデオロギーと結びつくようでは困る。1つの出来事について、まずはいろいろな資料を提示して生徒自らに解釈をさせ、他の人たちの多様な解釈と比較しながら、論拠の妥当性を問うというような形で教育が行われることを期待したい。 |
【ちょっと思ったこと】
共依存 昼食時にNHK教育「にんげんゆうゆう」の再放送を見た。今回はアルコール依存の夫を治そうと世話をやくあまりに共依存に陥ってしまった夫婦の話題。共依存は卒論・修論研究でも取り上げる学生がいるが、今回はかなり典型的なケースであるように見えた。 この夫婦の場合、当初、夫は妻にとってはまるで手のかかる子供のような存在だった。妻は夫に、酒を飲むことをやめるように誓わせるが、夫は物置の長靴の中や車のトランクの中にこっそりと酒瓶を隠して飲酒を続けた。さらには、酔っていて会社に出勤できなかったり、パチンコその他のギャンブルでサラ金から200万円もの借金をするなど、ますます生活が乱れてくる。妻は、夫が欠勤する時には理由を偽って会社に連絡し、サラ金の借金も代わりに返済。夫は妻に甘え、妻は「自分が居なければ...」と、ますます夫を自分の管理下に置こうと奔走し、典型的な共依存の状態が形成されていた。 この悪循環は、妻が同じ悩みをもつ人達の会に参加し、「夫は夫、私は私」として、夫を突き放す行動を取り始めたことによって断ち切られた。出演された臨床心理士の方も言っておられたように、自分の行為の結果に直面するようになって初めて夫の行動は改善されたのである。手前味噌になるが、まさに、行動随伴性の勝利と言えよう。 番組では「妻が夫を突き放し、自立を促す」ことを成功例として紹介していたが、一般にはこの種のアルコール依存は、依存の直接の原因となる仕事上や家庭内のストレスを解消しない限りはそう簡単には改善されるものではない。酒をやめられないのは意志が弱いからではなく、「ストレスあり→酒を飲む→ストレス解消」という随伴性が現に存在しているためである。生育歴やトラウマのようなものも影響を与えているかもしれないが、いちばんの原因は、いま、自分の周りに存在しているのである。ま、生育歴に主たる原因があると「錯覚」することが、克服の確立操作(動機づけ)になる面は否定できないが。 ちなみに共依存では、面倒をみる側の行動改善も重要になる。出演された臨床心理士の方も言っておられたように、夫との共依存のもとでは、妻は自分自身が抱えている悩みを気にしなくて済む、という一種の逃避状態が強化される。夫との共依存が解消されると、今度は、子供や親など別の対象に移りがちである。アルコール依存者の家族の会などでも、「別の会員を助ける」という形の共依存が起こりやすいという。 念のため言っておくが、お互いに助け合って生きることは決して共依存ではない。問題となるのは、善意や愛情で行うサポートが、相手の行動改善の妨げになる場合があるということだ。それに気づくためにも、行動随伴性についての理解を深める必要があるように思った。 [※6/14追記] |