じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] ワルナスビの花。毎年、この花を見るたびに、子育ての失敗談を思い出す。



6月15日(金)

【思ったこと】
_10615(金)[心理]象牙の塔と現場心理学(番外編)「臨床心理士」は学校の救世主か、心理学研究の多様性を排除する官業癒着の産物か(その2)臨床心理士によるスクールカウンセラー業務の独占

 昨日の日記の続き。昨日も述べたように、「臨床心理士」は、国家資格ではなく「財団法人日本臨床心理士資格認定協会」という民間の団体によって与えられる認定資格にすぎない。

 ここで少々脱線するが、そもそも資格とは何だろうか? 99年7月27日の日記に記したように、ひとくちに資格と言っても
  1. 誰がそれを与えるかによって、国家資格、公的資格、民間資格の3つに分けられる。
  2. 特定の技能向上などのために具体的目標として設定されるものと、その資格を持った者だけに行使することが許されている資格とがある。国家資格は当然後者であって、その資格者のみが行うことのできる特殊技能の範囲が法律で定められている。
  3. いったん取得すると一生失われることのない資格(「一生モン」)と、有効年限が定められ、定期的な試験や講習を受けることで更新される資格とがある。
というように多種多様であることが分かる。

 、「臨床心理士」やその他の「心理士」なる資格が特定技能の研鑽を目的としたものであるならば大いに結構。ところが、「一般の人には禁じられているが、資格を有することによって特に認められる行為」という形で特権化されてしまうと、しばしば弊害をもたらすことになる(99年7月26日の日記を合わせて参照されたい)。

 このことに関連して、昨年来、「臨床心理士」による「スクールカウンセラー」業務の独占問題が、心理学関連の諸学会の中で問題視されるようになった。

 このスクールカウンセラーというのは、小中高校で多発しているいじめや不登校問題に対処するため、調査研究の形で導入されたものである。平成7年4月24日付の文部省初等中等局長裁定(その後の一部改正あり)によれば、その趣旨は
 いじめや不登校等児童生徒の問題行動等の対応に当たっては,学校におけるカウンセリング等の機能の充実を図ることが重要な課題となっている。

 このため,児童生徒の臨床心理に関して高度に専門的な知識・経験を有する「スクールカウンセラー」の小学校,中学校又は高等学校における活用,効果等に関する実践的な調査研究について都道府県又は政令指定都市の教育委員会に委託し,もって児童生徒の問題行動等の解決に資する。
とされており、その選考方法については
委託を受けた教育委員会は、財団法人日本臨床心理士資格認定協会の認定に係る臨床心理士など,児童生徒の臨床心理に関して高度に専門的な知識・経験を有する者をスクールカウンセラーとして選考する。
とされている。この文面だけでは、「臨床心理士など」となっていて、臨床心理士は単に選考対象の事例の1つとして挙げられたようにも見える。じっさい、このことについては、しかるべき教育と臨床経験を有する者であれば「臨床心理士」以外でも採用されると情報が伝わっていたのだが、現実には、今年度における 教員研修事業費等補助金(スクールカウンセラー活用事業補助)取扱要領(初等中等教育局長裁定)の中では依然として、
(スクールカウンセラーの選考)
第3条
要綱第2条及ぴ要綱別表に規定するスクールカウンセラーは,次の各号のいずれかに該当する者から,都道府県又は指定都市が選考し,スクーールカウンセラーとして認めたものとする。

(1)財団法人日本臨床心理士資格認定協会の認定に係る臨床心理士
(2)精神科医
(3)児童生徒の臨床心理に関して高度に専門的な知識及ぴ経験を有し,学校教育法第1条に規定する大学の学長,副学長,教授,助教授又は講師(常時勤務をする者に限る)の職にある者
となっていて、精神科医と大学の臨床心理関係の常勤教員を除けば、臨床心理士のみが独占的に選考の対象となっていることが読みとれる。

 もちろん、続く条文には、上記以外にも「(スクールカウンセラーに準ずる者の選考)」という規定があり、そこでは

第4条
要綱第2条及ぴ要綱別表に規定するスクールカウンセラーに準ずる者は,次の各号のいずれかに該当する者から,都道府県又は指定都市が選考し,スクールカウンセラーに準ずる者として認めたものとする。
(1)大学院修士課程を修了した者で,心理臨床業務又は児童生徒を対象とした相談業務について,1年以上の経験を有するもの
(2)大学を卒業した者で,心理臨床業務又は児童生徒を対象とした相談業務について,5年以上の経験を有するもの
(3)医師で,心理臨床業務又は児童生徒を対象とした相談業務について,1年以上の経験を有するもの

ただし,前各号に掲げる者の活用は,前条各号に掲げる者の十分な活用ができない場合の経過措置とし,原則として,補助事業の実施に係るスクールカウンセラー等の総数の30%以内で,これらの者を活用するものとする。
と記されているが、「ただし」以下にもあるようにこれはあくまで経過措置であり、時給も臨床心理士の場合(東京都で5800円)に比べると3500円程度までに抑えられているとの情報がある。




 「臨床心理士」が小中高校で生じるさまざまな心の問題の解決に大きく貢献することは決して否定しないが、上記のような差別化、業務独占化が妥当なものであるかどうかについては別の問題としてきっちり議論しておく必要がある。なぜなら、これは形式上
  • 民間団体が資格を認定する
  • 認定された資格を持つものが優先的に採用され、公的な資金が支給される
という点で、昨日引用した官業(官庁と業界)癒着による資格をめぐる利権構造が形作られているからである。

 「臨床心理士」が「児童生徒の臨床心理に関して高度に専門的な知識及ぴ経験を有している」ことは認めるとしても、学校問題の解決を彼らだけに委ねてしまってよいものだろうか。例えば、2000年5月25日の日記で取り上げた「型破りの書道授業」をしている先生などはスクールカウンセラーとして十分に活躍していただけると思うのだが、臨床心理士の資格が無いということで排除されてしまうことになる。このほか、長年教育に携わってきた元教員、地域で青少年の育成に貢献してきたお寺の住職、ボランティア活動家なども排除される。さらには教育心理学会や発達心理学会などで児童の発達や教育の問題に取り組んできた心理学者も、臨床心理士の認定を受けていなければ差別的な扱いを受けることになりかねない。

 以上、もっぱら臨床心理士による業務の独占の問題点を指摘してきたが、じつは、この問題の背景に、象牙の塔に籠もり学校や社会の現実的な問題に対処してこなかった基礎心理系の研究者の怠慢があることも否定できない。次回はこのことを含めて、まとめの考えを述べることにしたい。
【ちょっと思ったこと】

赤蜻蛉は「追われて」いなかった

 夕食時に「たけしの誰でもピカソ」を見た。週刊新潮の表紙絵を25年間も描き続けた谷内六郎さんの作品と、「もののけ姫」の主題歌で知られるカウンターテナーの米良美一さんによる歌唱というユニークな組合せで日本の叙情歌が紹介された。

 番組を見て驚いたのだが、音楽の教科書からは「さくらさくら」や「蛍の光」といった叙情歌が姿を消しつつあるという。特定の歌の強制はお断りであるが、親子三代以上にわたって歌い継がれてきた名曲が山口百恵や井上陽水の歌に変わってしまってよいものか、少々疑問に思った。

 番組が勝手に選んだベストテンは、1.赤蜻蛉、2.故郷、3.荒城の月、4.朧月夜、5.月の沙漠、6.蜜柑の花咲く丘、7.夕焼け小焼け、......という順であった。

 ところでこの種の叙情歌は、小さい時に意味も分からずに覚え込んでしまうため、しばしば歌詞の意味を誤解したり読み違えてしまうことがある。有名なところでは、戦後の食糧難の時期に育った人が「秋の夕日に照る山モミジ」の次の部分を「濃いも薄いも」ではなく「小芋うす芋」と思いこんでしまった例などがある。私自身は「故郷」の「うさぎ追いしかの山」を「うさぎ美味しかの山」であると思いこんでいた。

 今日の番組で、さらにもう1つ、思いこみをしていたことに気づく。それは「赤蜻蛉」の歌の1番の最後を

負われて見たのはいつの日か

ではなく、

追われて見たのはいつの日か

であると思いこんでいたことだ。この場合、一番の歌詞は、「赤蜻蛉が過去に捕虫網で追っかけられた体験を竿に止まって回想している」という内容になってしまう。ちょっと考えれば、これでは2番、3番の歌詞と整合性がなくなってしまうのだが、あまり気にとめることもなかった。

 余談だが、叙情歌の中にはいくつか「カラス」が登場する歌がある。「七つの子」や「カラスと一緒に帰りましょ」といった歌を聞く限りにおいては、昔のカラスはあまり人家に迷惑をかけず、ちゃんと山に帰っていたのだろう。そのカラス、今や都市の害鳥になってしまった。




東京都議会は「日本国・国会」ではないぞ

 東京都議会議員選挙が15日に告示され、24日の投票日に向けて選挙戦が繰り広げられるという。昼食時に各党の代表が街頭演説する様子が報じられていたが、第一印象としては、「これって何の選挙?」といった感じだ。

 NHKニュースで伝えられた山崎・自民党幹事長の演説は「都議選で勝利し、ホップ、ステップ、ジャンプで参院戦にも勝利、小泉内閣の改革路線をおしすすめたい」というような内容、次に出てきた共産党(←都議会第二党だったのね)の志位委員長は「小泉内閣の改革の痛みは国民に押しつけられる」というような演説をしていた(いずれも私の記憶に基づくもので不正確)。これではいったい何の選挙か分からない。東京都議会はいつから衆参両院に次ぐ第三国会になったのだろうか?

 すでに東京からおさらばしている私としては、都議会選挙のことをあれこれ言う立場には無いが、一般論として地方の政治は知事と地方議会とのやりとりのなかで進められる以上、争点はあくまで都政、つまり石原都知事の施策の是非に絞られるべきであろう。具体的には、ディーゼル車規制など環境行政についての評価、三国人発言、外国人の不法滞在、凶悪犯罪、駅ホームなど公共的な場での暴行事件、自衛隊との関係など。さらには、21世紀において、子供が自然豊かな広場で伸び伸びと遊び高齢者が生きがいを持てる都市空間をどう実現するのか、循環型の消費社会をどう実現するかといった問題など。単に石原知事を全面的に支持あるいは否定するのではなく、それら個別の問題について、政党なり候補者個人がどういうビジョンを持っているのかを明確に示すべきであろう。

 東京都民もそのあたりはちゃんと心得ているはずだ。小泉政権のことばかり口にして、大都市の生活空間についての具体的で実現可能なビジョンを示せない政党は、与党であれ野党であれ確実に議席を減らすことになると予言しておきたい。