じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] ムシトリナデシコ。近くの道路脇に一列に植えられていた。



5月25日(金)

【思ったこと】
_10525(金)[心理]象牙の塔と現場心理学(13)「基礎心理学=駒の動かし方」、「臨床心理学=将棋の実践場面」という発想

 昨日の日記の続き。昨日も述べたように、『痛快!心理学』(和田秀樹、2000年、集英社インターナショナル、ISBN4-7976-7022-3)における「実験心理学」と「臨床心理学」の分け方については、
人類あるいは動物行動に共通した一般法則を探るのか、それとも、あくまで特定の個体を対象としたうえで、その個体の存在する環境や文脈の流れの中で個体独自に関与する要因を理解しようとするのか。
という比較軸を考慮しながら、もう少し慎重に考えていく必要があると思う。なお、和田氏の言う「実験心理学」という呼び方は、実験的方法を用いるという部分と、一般法則を探るという目的の部分が混同される恐れがある。ここでは、以後「基礎心理学」に呼び方を置き換えて議論を進めていくことにしたい。

[Image] [Image]  万能な法則を探るのか、それとも環境や文脈などの関係性を重視するのか? 『痛快!心理学』を教科書に使っている非常勤講師先で、このことを説明するために「将棋によるアナロジー」というのを考えてみた。その時に黒板に描いたのが(1)から(5)の図である。

 ここでは、将棋の「桂馬」の働きを事例として取り上げた。(1)図は、桂馬が移動できる場所を説明したものである。左上から3行3列目にある桂馬が移動することのできる場所は、斜め前方よりさらに1つ先の水色の2つの位置に限られている。将棋盤のどこにあってもその相対位置関係は変わらない。(2)図にあるように、黄色、赤、黄緑色それぞれの位置にある桂馬は、同じ色の別の場所にしか移動することができない。要するに「桂馬飛び」の法則は、将棋盤のどの位置(厳密には2行目より上には、成桂以外の桂を置くことはできないが)でも成り立つ一般法則である。もちろん、将棋ではこれは約束事として定めたものであるが、基礎心理学では、実験等の方法により桂馬の動きを発見することが研究の課題となるのだ。
[Image] [Image]  次に、(3)、(4)の図を考えてみよう。ここでも桂馬飛びの「法則」は同じように適用される。しかし、(3)図では桂馬は角から取られる位置にあり、(4)図では逆に王手をかける位置にある。こうした、「外部」(=他の駒)との関係性が生じるケースでは、桂馬には、一般的な動きとは別の「働き」が生じている。ある文脈の中で一般法則がどういう働きをするのか、とはこういうことを言うのだろう。

[Image]  最後の(5)図は、桂馬が決定的な働きをしている事例である。この位置に桂馬が移動した瞬間に相手は負けとなる。

 以上、桂馬を中心に話を進めてきたが、(4)図と(5)図における相手方の玉の立場を考えてみるのも面白い。(4)図では、王手をかけられた玉は周囲のどの位置にでも逃げることができる。気が向けば桂馬を取りに行くことだってできる。ところが(5)図では、銀によって頭を押さえられているほか、味方の金や香車に邪魔をされて横に逃げることができなくなっている。人生における困難な状況にも同じようなしがらみが存在する。(4)図の玉は単身者の気楽さを、(5)図の玉は、持ち家や家族に縛られて動きがとれなくなっている状態を示しているようにも見える。

 「基礎心理学」と「臨床心理学」を将棋のアナロジーで考える場合には、このほか、「詰め将棋とは何か」、「石田流とか穴熊といった将棋の戦法とは何か」といった面白い話題がありそうだが、これについては別の機会に述べることにしたい。

 それから、将棋によるアナロジーは私にはとても分かりやすいように思えるのだが、1つだけ難点がある。それは、非常勤講師先の場合、将棋のルールを全く知らない学生が殆どであるということだ。スポーツの基本技能と試合運びで説明したほうが納得してもらえるかもしれないが、将棋というこんなに面白いゲームを知らないのは勿体ない気がする。
【ちょっと思ったこと】