じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] ゴールドスティック。オーストラリア原産のキク科の多年草。昨年秋に株分けして植え替えたところ、たくさんの花をつけた。足元から上を見上げるような角度で撮影。黄色い風船が浮かんでいるように見えませんか?



5月16日(水)

【思ったこと】
_10516(水)[心理]京都心理学セミナー(3) 「行動を変える心理療法」の新しい視点

 5/14の日記に引き続き、5/12に行われた「京都心理学セミナー:ことばと体験をつなぐもの〜心理療法からエコマネーまで〜」の感想を述べることにしたい。今回からは3番目の

武藤崇氏(立命館大学)・高橋稔氏(広島国際大学):ことばの「ふるさと」と心理療法〜「閉じた『ことば』の世界」に亀裂を入れるには?

について感想を述べていくことにしたい。

 武藤・高橋氏の話題提供は、「Acceptance and Commitment Therapy (以下、ACT) 」に関するものであった。この新しい視点を理解するためには、まず、その発端となるヘイズ(Hayes)らの1989年の論考:

Avoiding and Altering Rule-Control as a Strategy of Clinical Intervention.
In Hayes (ed.) (1989). Rule-governed behavior:Cognition, contingencies, and Instructional control. Plenum.

に目を通しておく必要がある。そこで、今回はまず、ヘイズらの論考を参照しながら、「行動を変える心理療法」の意義と限界について私なりに考えをまとめておきたいと思う。

 さて、言うまでもなく、行動分析的視点に立った心理療法では、行動をいかに変革するかが最大の課題となる。これには
  • 望ましくない行動をどう減らすか
  • 望ましい行動をどう増やすか
という2つの方向がある(←何が、「望ましい」、「望ましくない」かは、個々人の価値観や社会的妥当性を考慮しつつ別途議論されなければならない)。

 念のためお断りしておくが、「行動を変える」ことを強調してしまうと、具体的行動に表れにくい「気分」や「感情」、「充実感」などは変えられないのかという疑問が出てくるがそうではない。それらは、行動と表裏一体となって湧き出るようなものであり、行動を変えることで初めて変化させることができる。例えば、「無気力」や「怠惰」な気分は、能動的な行動に着実に結果が伴うようになった時に自然に消失するものである。「悲しみ」は、もちろん時の流れとともに忘却する場合もあるが、より前向きに取り組む行動が強化されれば、より早く、過去に囚われない生活に復帰することができる。いずれにせよ、行動をどう強化(あるいは弱化)するかを検討する過程では、変革を妨げるネガティブな感情を克服する必要に迫られるであろうし、変革を推進する感情は勝手についてまわるようになるはずだ。

 ところで人間のように言葉を使うことのできる動物の行動は、直接体験に基づいて形成・維持される場合と、ルールによって形成・維持される場合がある。行動を変革する際にもこれら2つに分けて考える必要がある。

 このうち、ルールによって形成・維持される場合から先に考えてみよう。ちなみに、ここで言う「ルール」とは、直接体験(正確には行動随伴性)を言語的に記述したものとして定義されるが、一般に言われる「信念(ビリーフ)」と似たものと考えても当面は差し支えない。そこでは2つのタイプの弊害が起こりうることが想定される。
  1. ルールがうまく機能しないことによる弊害
  2. ルールに囚われてしまうことによる弊害
 1.としては、例えば、若者の薬物依存では、「薬物は体を蝕む」というルールに従わず、直接効果的随伴性(=目先の快感)によって維持されてしまうという問題がある。「喫煙は有害だ」や「甘い物を食べ過ぎると太る」といったルールがうまく機能しないのも同様だ。

 いっぽう2.としては、言語コミュニティがあまりにも強力なルールを維持すると、直接経験でそれを変えることができなくなる。論理療法で対象とされるイラショナルなビリーフなどがこれに相当する。反社会的宗教団体によるマインドコントロールも同様だ。



 次に、直接体験に基づいて形成・維持される場合には
  1. 望ましいがなかなか生じない行動は、人為的に結果を付加することによってそれを強化する
  2. 望ましくない行動が多発している場合は、人為的に結果を付加することによって、それを弱化する
という2つの方向がある。直接体験に基づいて行動を変化させる技法の1つとしては「The direct shaping strategy(社会的スキルの訓練)」がある。ヘイズ(1989)によれば、そうした行動変容を成功させるには
  1. 特定の領域で、特定のスキルの不足または過剰を改善するという視点
  2. セラピスト(あるいは実験者)は改善/変化に必要なスキルを同定し記述することができる
  3. セラピストは言語的教示が使える
  4. セラピストは一定の範囲で新しい、より効果的な行動を形成することができる
という前提が必要である。障害者支援施設などで、特定の具体的な行動を増やしたり減らしたりする際にはこの前提は満たされるし、現に成果をあげている。しかし、対象者の生活全般を変革する場合には、現実社会の文脈にも配慮しなければならない。例えば、施設内だけではうまく行動が生じても、外に出た瞬間にたちまち機能しなくなるようでは困るのだ。ヘイズ(1989)はこれらを含めて、
  1. 社会的スキルの要素を記述するということは、現実には非常に難しい場合が多い。
  2. 標的行動が操作可能であるようなごく一部の行動しか扱われてこなかった。
  3. 社会的行動はどれもみな非常に複雑であり、個別に数え上げることが困難。
  4. 個々の行動の形ばかりでなく、タイミングや状況に応じた設定を考慮した社会的スキルの形成が必要だが実際には困難。
  5. 仮に個々の行動改善のための詳細な目録を作っても膨大なものとなり教示は到底不可能だ。
 といった社会的スキル訓練の困難点を指摘している。

 このうちの2.は、大きな反省材料となるかもしれない。実験論文では「真に問題とすべき行動」ではなく、「実験的に操作しやすい行動」が研究対象となりやすいからである。

 なお、ヘイズは「文脈から切り離して区別しやすいような社会的困難の場合には形態的定義が有効」であるとも述べている。例えば、毎日1万歩歩くという行動は、自宅でも旅行先でも、文脈から切り離して実行可能である。喫煙のように具体的に「何本吸う」という量的把握ができる行動も同様である。しかし、現実の行動は相互に連関しており、文脈フリーというわけにはいかないのだ。

時間が無くなったので、次回に続く。
【ちょっと思ったこと】

蚊から学ぶこと

 昼食時に見た、みのもんたさんの「今日は何の日」によれば、5/16は、二酸化炭素検知により瓦礫の下から生存者を発見するための探査装置が消防の研究所によって学会発表された日であるとか。

 スゴイと思ったのは、二酸化炭素の排出を手がかりに使うという発想だ。番組によれば、その発想のきっかけは、蚊が二酸化炭素や赤外線を手がかりに人を刺すことにあったという。タダでは蚊に刺されないところはさすがである。


大学構内?を装甲車が通る [今日の写真] 5/16の朝、岡大の南北通りの新緑風景を撮ろうと思っていたところ、偶然装甲車がやってきた。一瞬、戦争でも始まったのかと思ったが、半田山の後ろ側にある自衛隊施設に移動する途中なのであろう。

 ちなみに、この南北通りは、岡大の正門と西門の間にあり、道路には「構内静粛 岡山大学」という看板(写真矢印)がかかっている。今でも大学構内のはずだ。

 もっとも、数年ほど前であったか、事務局と一般教育棟構内を結ぶ横断歩道や信号が設置された時に、一般道路と同じ扱いにするように覚え書きが交わされたような記憶もある。その後、自衛隊はもとよりパトカーなども大学に遠慮せずに通行するようになってきた。あくまで私の記憶なので、間違っていたらごめんなさい。



農家を利用したグループホーム

 夕刻のNHKローカル番組で、群馬県にある「グループホーム一番星」が紹介された。昔ながらの雰囲気の中で生活することを特徴としており、昔ながらの農家に痴呆のお年寄りと介護士らとともに生活していた。ベッド中心、狭い建物といった閉鎖環境でなく、外に開かれた環境がよい。農作業も行われているようだ。今後の発展に期待したい。