じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
シラー。英語ではwood hyacinthなどと呼ぶらしいが、花が開ききってしまうとヒヤシンスより見劣りする。 |
【思ったこと】
_10428(土)[教育]21世紀の大学教育(5)ネットを利用した大学教育(2)授業を補完する手段としてネット利用 昨日の日記の続き。今回は、授業を補完する手段としてネット利用する場合について、私自身の体験をまとめてみたい。
1.シラバスのWeb化 今年から試行的にシラバスの一部をこちらでWeb化してみた。文学部のシラバスは現時点では印刷冊子として配布されている。学内では一部の学部で、印刷冊子に代えてCD-ROMを配布しているところもあるが、Web化すれば、
ちなみに、このシラバスWeb化に限っては「ネット利用行動」は強化しなくても起こるものである(厳密には、「シラバスを閲覧しないと履修上の不利益を被る」という「好子消失阻止の随伴性」によって強化される)。問題点はむしろ、設備など環境面で「ネット利用行動」をどう保障するかというところにある。 2.講義専用サイトの開設 1999年度から、公用サイトで、自分の担当している授業それぞれの専用サイトを開設している(過去の記録はこちらから)。それぞれの専用サイトでは
Eメイルまたはネット掲示板による質問の受付 私の授業では、上記の講義専用サイトと対応する形で、ネット掲示板(伝言板)を開設している。個人的な相談にはEメイルでも応じているが、同じような質問に個別に答えるよりも、掲示板で答えたほうが、受講生・教員全体で情報を共有できるというメリットがあるように思う。 もっとも、実際には、質問の数はきわめて少ない。半期の授業で数件程度に終わったこともあった。このあたり、
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【思ったこと(2)】
_10428(土)[心理]「心の傷」表現は大流行しているのだろうか 少し前の話題になるが4/25の朝日新聞「eメール時評」で、消費文化研究者・三浦展氏が“「心の傷」表現が大流行”というエッセイを書いておられた。 三浦氏によれば、いまの時代、トラウマ告白が大流行しているのだという。その証拠として挙げられたのは
三浦氏は最後に、語られる「傷」が実際には大したものでなくても、
以上の御指摘については、
もっとも、芸能界や出版業界に疎い私には、トラウマ告白がホンマに流行しているのかどうかはさっぱり分からない。仮に流行しているとしても、若者に流行しているのか、国民全体に流行しているのか、もう少し詳しい客観データが求められるところだ。 次に、後者の推理の部分だが、「着るモノ持つモノみんな同じ」を求めるばかりに没個性化が進み、トラウマ以外に自分らしさを語ることができないというならば分からないでもない。価値観の多様化と言われるわりには、いまの時代、うすっぺらいレベルでしか違いが見えてこないように感じるからだ。 しかし、「心に傷を持つことで自分の存在の確かさを感じる」ことと、「トラウマ告白の歌や本が流行すること」は本来別物であるはずだ。なぜなら、もし仮説の通りであるとすると、自分自身のトラウマを語ることによってしか自分の存在の確かさは感じられないからである。タレントや売れっ子の小説家がどういうトラウマを告白しようが、それはあくまで他人のことだ。(自分ではなく)他者の存在の確かさを感じるのが関の山というものだ。 となれば、もし三浦氏の言うような「物の消費や所有が快楽でなくなったために、心に傷を持つことで自分の存在の確かさを感じる」傾向が本当にあるとするならば、それはむしろ、Web日記の世界で流行るものではないかと思われる。「こんな物を使ってみた」、「こんな所に行ってみた」などの話題に比べて「ぢつは、私は過去にこんな体験があった」という話題をとりあげる日記が増えればお説の通りなのだが、実際のところはどんなもんだろうか。 |