じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] スパラクシス。英語名「wand-flower」の「wand」は「魔法の杖」という意味があるが、それらしい妖艶さを感じさせる。花期が短く、切り花に不向きのため、花屋の店頭に並ぶことは滅多にない。霜に弱いので、南向きの軒下で育てている。



4月17日(火)

【思ったこと】
_10417(火)[英語]21世紀の英語教育を素人なりに考える(6)「日本人にとって英語とは何か」シンポジウム(1)

 4/18の朝日新聞によれば、「日本人にとって英語とは」シンポジウム(主催・大修館書店、朝日新聞社)が、4月1日、東京有楽町の朝日ホールで開かれたという。そのシンポの基調講演者は、この日記でも何度か御著書を引用させていただいている鈴木孝夫氏であった(最新の引用は3/21の日記)。

 新聞に掲載された鈴木氏の基調講演の要旨は、御著書の『英語はいらない!?』(PHP新書、2001年)や『日本人はなぜ英語ができないか』(岩波新書、1999年)の趣旨をまとめられたようなもので、読者にとってはそれほどの目新しさはない。しかし、その内容が、言語関係の出版でその名を知られる大修館書店と新聞社が主催するシンポジウムの基調講演として伝えられた意義は非常に大きいと思う。

 これまで、英語教育というと、英語(実際には土着英語)をお手本として、少しでもお手本の足元に近づけるように「読む、聞く、書く、話す」といったスキルを上達させることが当たり前のように言われてきた。大学における最近の英語教育論議の中では、
  • 従来の「読む」偏重から「聞く、書く、話す」に重点を移すべきだという「コミュニケーション力上達論」が強調されるようになってきているものの、土着英語崇拝主義についての疑問は殆ど聞かれない。
  • その一方で、多様な価値観を知るために必要などとして展開されている「複数言語習得」の意義論も、学生の語学習得に必要な時間的余裕や能力レベルを実証的に検討せず、また、現実には、英語、ドイツ語、フランス語という欧米語の中での第二外国語教育の必修化を求めるだけの対応に追われている。
 これに対して、鈴木氏の主張は、外国語教育についての発想の根本的な転換を迫るものである。今回の基調講演でも鈴木氏は(長谷川のほうで要約)
  • 果たして英語は異文化理解に役立っているのか。アメリカについて、よい点はいくらでもあげられるのに、悪い点は何一つあげられない偏りの原因は明治維新にまでさかのぼって考える必要がある。
  • 日本は欧米諸国の生徒ではなくライバルとなり、外国の文明を受け入れる他律型文明から、自律型文明を持つに至った。にもかかわらず、自分は黒衣、主役は欧米、と思っている。そのことが、国際社会で日本の存在を危うくしていることを知るべき。
  • リーダー育成のための選抜的英語教育をプログラムする時がきている。
  • 一般学生が英米文学を学ぶ必要があるのか。また、義務教育の限られた授業時間で美化されたアメリカを学ぶことにどんな意味があるのか。
  • 英語学習の最終目的は外国の文化を取り入れることではなく、中・高・大学生がそれぞれのレベルで日本のことを英語化して外国に発信する、その手段として学ぶことにある。
といった点を強調しておられる。大学の外国語教育部会や、さらにその上の全学の委員会などでも、賛否はどうあれ、その1つ1つについて見解をまとめる時期に来ているのではないかと思う。
【ちょっと思ったこと】