じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 長者原付近から眺める久住連山。真冬並みの寒気が流れ込み、うっすらと雪をかぶっていた。左手の三俣山には、一昨年の4月1日に登ったことがあった。



3月29日(木)

【思ったこと】
_10329(木)[心理]象牙の塔と現場心理学(3)南風原・市川・下山編『心理学研究法入門』(1)

 3/5の日記の続き。『現場心理学の発想』(やまだようこ編、 1997、 新曜社、ISBN4-7885-0589-4)をネタ本として連載を開始したところであったが、他の話題で脱線しているうちに、あっという間に3週間以上が過ぎてしまった。

 九州旅行中に、上掲の本や、その関連書である『心理学論の誕生:「心理学」のフィールドワーク』(サトウタツヤ・渡邊芳之・尾見康博、2000、北大路書房、ISBN4-7628-2187-X) をじっくり読み直そうかと思っていたところ、出発の前日に東大出版会から『心理学研究法入門:調査・実験から実践まで』(南風原朝和・市川伸一・下山晴彦、2001、ISBN4-13-012035-2)という出来たてホヤホヤの本の献本があった。下山氏は『現場心理学の発想』の分担執筆者のお一人でもあり、また、南風原(はえばら)氏や市川氏とは、日本心理学会のワークショップ企画でご一緒させていただいたことがある。目を通してからでないと連載を続けられなくなってしまった。

 そこで、順序が前後してしまうが、今回は、『心理学研究法入門』にざっと目を通した感想を先に述べたいと思う。まずこの本の読者対象であるが、まえがきによれば、
  • 卒業研究などで初めて心理学の研究に取り組むことになる学部学生
  • 研究者として本格的に心理学の研究に携わっていこうという大学院生
と記されている。解説書という性格から、上掲の『現場心理学の発想』や『心理学論の誕生』にあるような「本音」や「裏話」は記されていない。私個人としては、この解説書で学ばれる方は、ぜひ他の2冊を副読本として揃えておかれることをオススメしたい。

 さて、心理学研究法というと、これまでは、「実験法」、「観察法」、「質問紙調査法」、「面接法」、それに統計解析というように、最初から「方法ありき」、もっぱら技法を伝授するという解説書が多かったように思う。記述内容への長谷川個人の賛否は別として、とにかく、「心理学の研究とは何か」(第1章)という根本問題や、「教育・発達における実践研究」(第6章)、「臨床における実践研究」(第7章)というように、現場との関わりに配慮した内容構成になっている点が高く評価できる。このほか、行動分析でよく用いられる「単一被験体法」が「準実験と単一事例実験」(第5章)という章の中で解説されている点も、古典的な概説書には見られない特徴と言えよう。

 この本の執筆者は、おおむね東大大学院教育学研究科の同一講座の教員であるが、「質的調査−−観察・面接・フィールドワーク」(第2章)の執筆者に南博文氏が加わっている点が注目される。南氏と言えば、『現場心理学の発想』の執筆陣が集まるきっかけをつくった方(同書の187頁参照)でもある。また、上にも述べたように、「臨床における実践研究」(第7章)の執筆者の下山晴彦氏は『現場心理学の発想』のほうでたっぷりと?本音を語っておられる。すべての著者が戦後生まれであること、アクティブに研究・著作活動を展開しておられる方が多いことを考えると、本書が若手の心理学徒に与える影響はますます大きくなってくるものと推察される。

 以上主として誉め言葉を並べさせていただいたが、個別の章については、疑問やかなりの異論を述べてみたいところがある。次回に続く。
【思ったこと(2)】
_10329(木)[心理]しごと、余暇、自由、生きがいの関係を考える(17)フンボルトとヤノマミ族の生活

 くじゅう高原の宿舎で、NHK BSスペシャル「探検家の世紀:密林の宇宙 ヤノマミ族」を見た。番組では、フンボルト(Friedrich Heinrich Alexander, Baron von Humboldt、1769-1859))の足跡(正確には航跡)を辿りながらカシキアーレ周辺で生活するヤノマミ族の生活ぶりが紹介された。

 フンボルトは、ドイツの富裕な家に生まれ、子供の時より家庭教師のもとで英才教育を受けた。親の意向に反して当時の未知の世界であった中南米各地を探検し、後に膨大な量の書物を著す。人名事典等では「ドイツの自然科学者」あるいは「近代地理学の祖」などと紹介されているが、著書『コスモス』の目的は、あらゆる現象を網羅し宇宙の法則を解き明かすという壮大なものであったという。

 結局の所、このような網羅的なアプローチからは今に伝わるような法則は見出されなかったが、ダーウィンの進化論にもつながる「因果性」についての考え、また「自然の中での人間のあるべき姿」というきわめて現代的な問題に多くの知見を与えた。

 ヤノマミ族の生活は、近代文明に毒された人間から見ればきわめて原始的だ。しかし、番組で紹介されたように、実際には、自然と人間の関わりを大切にした模範的な世界であるようにも見える。彼らが森でサルを射落として丸焼きにする有様は一見残酷であるように見えるものの、実際は、その日の生活に必要な最低限度のものしか取らない。ちゃんと食物連鎖が保たれている。その閉じた世界の中で過ごす限りは、充実した一生を送ることができるに違いない。

 番組では、キリスト教の伝道師の女性がプラスティックのお皿やスパゲティを配りながら生活「指導」をする様子が紹介された。番組では中立的に伝えていたが、私には「キリスト教を信じていないのは野蛮」という発想から抜け出せない活動であるように思えた。

 伝道師は「○○テレサ」というお名前だったと思う。西欧社会から見れば、このテレサさんは、マザーテレサ同様に献身的で尊い活動をしているように思える。しかし、見方を変えるならば、伝道師の活動は自然と一体となって生活するヤノマミ族独自の生活様式や価値観をぶちこわし、結果的に西欧文明の最下層の住民として同化させるだけの結果しかもたらさないようにも思える。もっともヤノマミ族の人たちもそんなに単純ではない。現地の某教会施設によれば、「50余年の伝道活動で入信したヤノマミ族はわずか70人にすぎない」という。ある意味では救いでもある。

 伝道師の配るプラスティックのお皿は、もともとヤノマミ族の生活システムには必要の無いものであり、逆に環境汚染の原因にもなる。化学繊維も同様。森林資源がちゃんと保護されていればスパゲッティも不要。医療の面では確かに遅れているが、閉じた世界の中で暮らす限りにおいては西洋医学を必要とするような病気にかかることもあまりなさそうだ。実際、マラリアなどは、ダイヤモンド採掘で掘り返された穴に水がたまり、そこで蚊が繁殖することが流行の原因になっているという。

 このほか、文明には進歩の差は無い、あるのはそれぞれの中でどれだけの自由が保障されているかの違いだけだという言葉(←文言は不確か)にも納得できるところがあった。

[※]ここでは、番組にしたがって「ヤノマミ」と呼んだが、「ヤノマミ」のほうがよかったかもしれない。以前にもこの日記に書いたことがあるが、アジア、アフリカ、南米地域では「○○族」と呼ばれ、西欧地域では「○○人」と呼ばれる傾向があると指摘する声があるという。