じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 京都府立植物園(3/24撮影)シリーズの第三弾は「サンシュユ」。この時期に咲く黄色い花と言えば、他にマンサク、レンギョウなどがあるが、樹木いっぱいに金色に輝く花の見事さは、この花が一番ではないかと思う。



3月28日(水)

【思ったこと】
_10328(水)[一般]諫早湾で本当に大切なこと

 たまたま時期が重なったためか、あるいは同じ九州地区の出来事のためだろうか、北九州に来てから諫早湾の水門開放関連のニュースを頻繁に聞くようになった。

 TVのニュースによれば、開門調査の実施時期については、防災対策のほか「地元の利害の調整」が必要であるなどと伝えられているが、本当に大切なことは、目先の利害などにとらわれず、100年、200年先を視野に入れ、干潟の大切さを見直してみることではないだろうか。

 諫早湾干拓問題は今から4年ほど前、Web日記作者の間でも大きく取り上げられたことがあった。当時、「日記猿人」で最高得票を集めていたKさんが、その、温厚な作風としては異例な形で「干拓反対キャンペーン」を展開されていた時期があった。私も、「スクラップブック」という日記の中で、何度かこの問題を取り上げたことがある。当時引用した新聞記事[出典はすべて朝日新聞。一部、長谷川のほうで要約。「←」以下は長谷川の補足]をいくつか抜き書きしてみよう。
  • (1997年4月15日) 諫早湾干拓は終戦直後の食糧難を背景に52年に構想が打ち出された。その後、コメ余りや漁民の強い反対で中断したが、86年に干拓地の縮小と総合防災機能を強調した現在の事業が決まり89年に着工した。←当初は防災目的ではなかった。
  • (1997年5月31日) WWF名誉総裁のエディンバラ公フィリップ殿下(エリザベス女王の夫君)が26日付で、橋本首相あてに諫早湾の干潟の保全を求める内容の親書を郵送した。世界最大の自然保護団体を代表し、諫早湾の干潟を「日本で最も重要な干潟」と強調。
  • (1997年6月11日) 水産庁中央水産研究所の松川研究室長によれば、一色干潟や東京湾の三番瀬など千ヘクタール規模の干潟がもつ浄化能力は、「人口10万人分の下水処理場に相当する」という。←諫早湾の堤防内部は3550ヘクタール。
  • (1997年6月20日) 農水省は「諫早大水害」を防ぐかのように主張してきたが、今回の干拓は、上流の諫早市街地の洪水対策にはならない。九州農政局は「この事業は農地の防災であって、市街地の防災ではない」と認めている。/下流の低地の防災効果も、排水ポンプの操作が2、3日分減る程度のもので、大規模干拓事業の効果として強調できるものではない。/干拓事業が環境にどのような影響を与えるかを記した公文書には、「生態系」の項目がない
  • (1997年6月26日)橋本首相は「諫早では、過去にどれぐらいの水害が起こり、どれだけの人が亡くなったかご存知か」と反論した。しかし、40年前の諫早大水害の被害を大きくしたのは、本明川の橋に流木などがひっかかり、濁流があふれ出したことによるもので、今回の干拓がめざす防災「効果」とは関係ない。
このように、当時を思い起こしてみると、開門に反対(=干拓推進)している人々の論拠には、かなり疑問符がつけられる部分のあることが分かる。

 今回の開門反対論の中には「調整池の底泥の巻き上げ」、「淡水化がすすむ池内に比重の重い海水が流れ込むことによる貧酸素化」などの声もあるが、これらは干拓事業を始めていなければ起こりえなかった問題。仮に開門による短期的な被害があったとしても、その根本原因は、開門ではなく、工事を進めたこと自体にある。

 干拓問題とはまったく別の話題になるが、同じ年の5月1日、社会保障の話題に関連して岡沢憲芙・早大教授が
政治家は、十年先、十五年先に議員バッジをつけている保証がない以上、次の選挙までの枠組みで考えればいいんだというのも一つの発想でしょう。けれども、日本を直撃する高齢社会の衝撃の大きさから考えると、そんな次の選挙までのタイムスパンでしか意思決定できないような政党や政治家はもう要らない。
と論じておられた。諫早湾干拓が強行された背景には、農水省構造改善局の存在があった。土地改良団体、建設業界、農林族議員らによる鉄の三角形が「独立王国」を形成していたと言われるが(朝日新聞11/13)、こういう人々に、100年、200年後の地球環境を考える視点はあったのだろうか。

 老朽化した既存堤防の補修問題、低平地の排水対策など、別に解決すべき問題は多々あるだろうが、このさい、「自然は思いのままに変えられるものだ」などと人間の力を過信せず、目先の利害にこだわらず、あくまで干潟を活かした地球環境、干潟と共生できる防災対策実現のために心を一つにしてほしいものだと思う。
【ちょっと思ったこと】

山陽自動車道・宇部〜下関

 妻の実家のある北九州に帰省。芸予地震の余震に怯えながらも、時間のかかる中国道を避け、山陽自動車道で九州方面に向かった。途中のSAで、3/11から山陽自動車道(宇部〜下関区間)が開通したとのポスターを見て、物は試しと、山口南インターでいったん料金所を出た。

 一般道の渋滞が危惧されたが、実際は信号が全く無いバイパスと有料道路(山口宇部道路)が続いており、快適な走行を楽しむことができた。岡山の自宅アパートから妻の実家までは380.5kmで、中国道(美東SA経由)より若干短かったように思うが、手元に資料が無いので比較できない。通行料金は、岡山〜山口南間が6550円、山口宇部道路〜北九州都市高速入口までが2100円であった。こちらも手元に資料が無いので何とも言えないが、あまり割安とは言えないようだ。


学級の健康度

 6/29朝6時台のNHKニュースによれば、大阪府教育センターは、学級の健康度を測る質問紙調査を開発したという。生徒に回答させるという点では、いま大学で話題となっている「学生による授業評価」と似たところがあるが、質問項目は、「好感度」、「満足度(心が満たされているか)」、「規範意識」という3つの次元で測られ、散布図の点としてプロットされる。TV画面にチラッと映ったグラフからは、「好感度」と「満足度」はかなり相関が高そうに見えたが、デモ用の仮想データなのか予備調査の結果なのかは分からなかった。

 このような調査で、各クラスの「健康度」を客観的に評価することはそれなりに意味があると思うが、相対比較をすることに問題が無いわけでもない。たとえば、満足度のようなものは、生徒自身が個々の生育歴のもとで形成された物差しに照らして評定されるものである。初めから悪条件の中にあると「授業とはそういうもの」と思いこんでしまって、それほど悪い評定をしない可能性がある。極端な事例を挙げれば、災害で体育館に避難している人々にとっては避難所の生活での満足度はきわめて低いだろうが、難民として日本に収容された人々にとっては、同じ環境条件でもかなり高い満足度が示される可能性がある。

 もう1つ、3/25の日記にも書いたことだが、「授業におけるちょっとした問題は口に出しても言えばすぐに解決するはずだ。書かせれば指摘するが、口に出して言えないという習慣には問題がある。 」という点は何とかしなければならないと思う。この御指摘はもともと、大学教育改革フォーラムに参加された鹿児島大の先生が口にされたものである。懇親会の席上でその先生と直接お話しする機会があったが、問題を発見したら速やかに口に出して解決を求めるという習慣は小中学生の段階からきっちり教育すべきであるという点で意見が一致した。

 余談だが、私自身は中学〜高校を国立大の附属高で過ごしたため、学級崩壊の実態を体験していない。いま文部科学大臣をされている町村信孝氏も同じ中学のご出身であったため、いじめの実態を体験されていないはずだ。伝聞や二次資料に基づいた議論しかできない点で、町村大臣も私も弱味をかかえていることを率直に認めておきたい。