じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 岡大の事務局が新築されることになった。写真は裏側(西側)から眺めた工事風景。ここには、旧日本軍時代からの木造舎や井戸があったがすでに撤去されている。



3月15日(木)

【思ったこと】
_10315(木)[心理]「高齢者介護の実践と行動分析学からの提案」(その4):「縛られているかどうか」ではなく「縛られた状態で何を自発できるか」こそが重要

 3/11に慶應義塾大学(三田)で行われた公開講座参加の感想の最終回。特別養護老人ホームの介護施設職員から行われた事例報告の3件目について取り上げることにしたい。まず事例を要約すると.....

◆◆「失語症で不穏状態、転倒を繰り返す人とのコミュニケーションと支援」◆◆
  • 60歳代後半の男性。難聴あり。運動性失語だと思われるが特に医師の診断は無い。脳梗塞後遺症により左片麻痺。痴呆症。要介護度4。
  • 車椅子使用(自力操作可)。食事は自立。日中はトイレ誘導。寝入ってしまうと失禁するので紙オムツ使用。
  • 訴えが解消しないと不穏状態となり、時にはベッドより転落。
  • 趣味・特技:将棋やオセロが好きだということだが入所後は殆ど行っていない。買い物好き。人形に愛情を注ぐ。
  • 車椅子からの転落防止のため抑制ベルトを使用したが、本人が嫌がり外す行為を繰り返したため、本人の意思で脱着可能なベルトに変更。
  • ストレス要因として伝達障害(失語症)が考えられる。
  • ベッドを嫌がり、柵を外したり、床で寝たがったりする。
 以上の報告に対して行動分析家の伏見貴夫氏から、身体抑制の問題や、伝達障害(失語症)のある本人とのコミュニケーションの取り方などについて、フロアからの質疑応答を含めてコメントが寄せられた。

 この事例では、第一に、車椅子の抑制ベルトが問題になるかと思う。会場ではもっぱらベルトの着用のさせ方が話題になっていたようだが、私はむしろ、車椅子使用が本人の能動的な行動とどう関係しているのかに着目すべきではないかと思った。

 我々が車を運転する場合を考えてみればよい。日本ではシートベルト着用が原則的に義務化されている。着用をうっかり忘れたり面倒がる人は多いが、束縛されるのがイヤだからという理由拒否するという人は居ないだろう。

 シートベルト着用自体を束縛と感じないのは、車を運転するという能動的な行動が先にあって、その付帯条件としてそれが義務づけられているからに他ならない。同じことは、航空機利用の際のシートベルトや絶叫マシンの安全具についても言える。要するに、物理的に体を動かせない状態になることが束縛なのではない。体が固定されても、外界に能動的に働きかける機会が保障されている(オペラント行動が強化されている)限りは、人間は自由であると感じるものである。

 そう考えてみると、車椅子を使うことで能動的な移動が広範囲に保障されている限りは、車椅子に縛り付けられてもそれほどの不自由は感じないはずだ。逆に、いくら自分の意志で着脱できても、移動範囲が制約されていたり、介護者の指示通りにしか移動できないならば、不満は高まるはずである。要するに、「縛られているかどうか」ではなく「縛られた状態で何を自発できるか」こそが重要なのだ。

 第二に、ベッドの柵はずしの件だが、そもそも、長年畳の上で布団を敷いて寝ていたお年寄りを無理やりベッドに寝かすこと自体に問題があると思う。なぜ、畳の上では介護ができないのか、結局は医療側のエゴではないか。ベッドで寝起きすることが当たり前となった今の若者が高齢化した時ならともかく、少なくとも昭和30年代生まれが高齢化する頃までは、畳を主体とした生活環境を最優先で整備していく必要があると思う。

 もう1つ、このケースでは「将棋やオセロが好きだということだが入所後は殆ど行っていない。」という記述がちょっと気になった。痴呆が進んで対戦が困難になったという可能性もあるが、ひょっとして、「殆ど行っていない」ではなく「将棋やオセロで遊ぶ権利が奪われている」ということではないのか。もしそうだとするなら、入所者のために対戦室を用意するとか、パソコンソフトに、お年寄り用のタッチパネル付き液晶を用意するなどの配慮があってもよいのではないかと思った。




 以上、4回にわたって感想を述べた。全体を通じて、「高齢者介護の実践と行動分析学からの提案」という大きなタイトルを掲げた割には、個別的な問題行動の改善ばかりに焦点が当てられてしまったのではないか、もっと他に目を向けるべき部分があるのではと、強く感じた。

 医療目的の病院であるならば「病気無し」をもって最良するのもそれで良かろう。しかし高齢者施設が同じ発想で「問題行動無し」を最良と考えていたのでは困る。「問題行動無し」は死んだ人でもできるお墓の世界である。本当に大切なのは、入所者の「能動的に働きかけ、結果として強化される」機会をどれだけ多様に保障できるかということにあるのだ。

 今回の事例報告にも記されていたが、特別養護老人ホームの入所者はしばしば、買い物(売店、近くのデパートへの買い物ツアー)を楽しみにしているという。それは何故なのだろうか? もし自分の物が増えことが楽しみであるならば、プレゼントを貰うのと同じことだ。もしそうでなく、買い物特有の生きがいがあるとするならば、それは、「買う物を選ぶ」という能動的な選択の機会が与えられているからに他ならない。同様に、散歩、小旅行、園芸療法、動物療法、(自ら演奏したり歌ったりする)音楽療法、パソコンやインターネットの活用などにも、もっと目を向けていく必要がある。要望が多いから実施、少なければ中止というような消極的な対応ではなく、能動的な働きかけの機会をいかに増やすかということを真剣に検討してもらいたいと思う。限られた介護予算と人手の中でどこまでそれが実現できるかは心もとないけれど.....。

[※]抑制についてはこちらの2.1もご参照願いたい。
【ちょっと思ったこと】

クイズ$ミリオネア

 夕食時にフジTV系列の「クイズ$ミリオネア」という番組を初めて見た。この番組、みのもんた氏の質問に解答者が4択で答え、連続正解すると賞金が上がっていく。解答の際には、知人に電話をして答えを聞いたり、会場の声を参考にするなどのオプションをそれぞれ1回ずつ行使することができるというルールであった。

 じつは、これとそっくりのスタイルのクイズ番組を昨年8月に中国のカシュガルで見たことがあった(その時の記録がこちらに。また、写真はこちらの2〜8にある)。 息子の話ではオリジナルは欧米のクイズ番組らしいとのことだが、アイデア盗用で訴えられることは無いのだろうか。

 そういえば、昔、田宮二郎が司会をしていた「クイズ・タイムショック」のリメイク版も放映されているし、3/10の日記で取り上げた「クイズ赤恥青恥」で、どの解答者が正解するかを予想する際に得点に倍率がつけられるところなどは、大橋巨泉司会の「クイズダービー」そっくりのところがある。映像技術を駆使した、今ならではの出題が増えたとはいえ、クイズ番組の面白さを形作る基本要素は昔も今も変わらないということだろうか。

[※3/11追記]お互いを更新する掲示板のほうでFさんから、ミリオネアの元祖番組のサイトを御紹介いただきました。こちらです。アメリカではなく、英国の番組だそうです。どうもありがとうございました。
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