じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 小学生の頃に愛読していた、岩崎書店発行の「少年少女宇宙科学冒険全集」。右上の『火星救助隊』は、宇宙人が全く出てこない(火星の生物2種類だけ)という変わり種だが、逆に、火星探査機による無人調査活動が行われるようになった今でも本当に起こりそうなリアルさがある。中上の『幽霊衛星テミス』は、同じ全集第一期本『宇宙人ビックスの冒険』(今でも体裁を変えて発売されている)の続編。この2冊は特に好きだった。
※6/4追記]岩崎書店の関係者様より、上記の『宇宙人ビックス』は絶版になっているとのお知らせをいただきましたので、まことに残念ですが、その旨追記させていただきます。



3月10日(土)

【思ったこと】
_10310(土)[一般]五島プラネタリウムと仮想現実

 昨日の日記で「渋谷人は左側通行がお好き?」という話題を取り上げたが、あの日の夕刻に東急文化会館方面に向かったのは、他でもない、3月11日の最終投影をもって閉館となる五島プラネタリウムを見に行こうかと思い立ったためであった。もっとも、さすが東京は人の集まるところだ。すでに当日券は完売となっていてあっさりと門前払いされてしまった。

 2/9の「お互い更新日記」で
東急文化会館は私が5歳の時に建設されたもので、隣の東横デパートの屋上から建築の様子を眺めたことがわずかながら記憶に残っている。中1の時は、日曜日の朝一番に開催されていた星の会に通っていたものだ。場内の展示場にある赤色巨星の模型はあの当時からちっとも変わっていない。
と書いたように、プラネタリウムは私の子ども時代のよき思い出の1つとなっている。

 私が小学生〜中学生の頃というのはちょうど1960年代にあたる。1957年にソ連が初の人工衛星を打ち上げ、その2年後には月の裏側の写真が初めて公開、さらに有人旅行や、金星軟着陸など、宇宙への関心が一気に高まった時期でもあった。今でこそ天文ファンなどというとオジンくさい印象を与えてしまうが、当時は子どもたちの将来の夢をかきたてるだけのパワーがあった。この日記の上のところで、岩崎書店発行の「少年少女宇宙科学冒険全集」の写真を掲載したが、この当時は、1970〜1980年代には火星や金星に自由に行き来できることが、少なくともSF小説の世界では当たり前とされていた。上掲の書籍からその記述をいくつか抜き出してみると、
  • ムーア『火星救助隊』:1968年、火星に向けて初の有人飛行。
  • ブランレー『火星の砂の秘密』:1971年、火星に向けて初の有人飛行。
  • ネルソン・ボンド『幽霊衛星テミス』:1983年、月と地球の間の定期航路開通。
などとなっている。21世紀になった今でもそれが実現していない原因は必ずしも「科学技術が予想したほどには進まなかった」ためではなさそうだ。むしろ、
  • 当初期待されていたほどの資源的価値が他の天体に無かった
  • 経済が悪化し、宇宙開発に取り組むための予算が削減された
  • 冷戦終結により、国家の威信をかけた競争をする必要が無くなった
というのが本当の理由かもしれない。いずれにせよ、当時は、宇宙はいま以上に夢をかきたててくれるユートピアであり、プラネタリウムはその最先端の情報を伝えてくれる場としても十分に機能していたのではなかったかと思う。


 元の話に戻るが、プラネタリウムというのは、いま風の言葉で言えば、ある種の仮想現実であるとも言える。ヒマラヤ山中でも滅多に見られないほどの無数の星、さらには南半球の星空を映し出すこともできる。

 プラネタリウムがもたらす世界は、ユニバーサルスタジオやジュラシックパークがもたらす仮想現実に比べればきわめて地味なものであろう。しかし1つだけ違うのは、それが現実と完全に一対一に対応しているということだ。今でこそ、街の明かりや空気の汚れのために星座の形さえ辿ることができなくなってしまったが、渋谷の今日の空にも、プラネタリウムで映し出されたのと全く同じ星空が広がっていることを忘れてはなるまい。そういう意味では、プラネタリウムこそが真実の夜空であり、都会の空は、明かりや汚れで真実が覆い隠された偽物の夜空と言えないこともない。ひょっとして、人類にとって、これは恐ろしいことかもしれぬ。
【ちょっと思ったこと】

唾の跡

 昼食時にNHK教育「日本の古典芸能」を見た。今回は「文楽」の1回目。文楽という名前は、大阪に座を設けた植村文楽軒という人の名前に由来するそうだ。このことにも関連するが、文楽のお笑いは関西人のお笑い感覚に合致するように作られているとのこと。

 面白いと思ったのは、義太夫が語る時に使う「床本」の話。床本を両手で高くかかげて拝礼をしてから語りが始まる。年季の入った床本はページの所々にシミができる。なんとこれは、唾の跡だという。いくら大事に扱っても、熱弁をふるえば唾が飛ぶのは致し方ないところだ。唾が飛ぶということはそれだけ力の入る場所であるため、汚れの度合いも重要な手がかりになるのだという。ちょっぴり汚い話だが、これも伝統になるのだろう。

 余談だが、会議で資料を配るときや、学生に答案を返す時に、いちいち指に唾をつけて紙をめくる先生が居るが、私にはどうにも汚らしく見える。うっかり唾で濡れた部分を触ってしまうと、手を洗いに行きたくなるほどだ。あれって日本人(の一部の男性?)だけの習慣なんだろうか。




クイズ赤恥青恥

 同じくテレビネタになるが、3/9夜にクイズ赤恥青恥を見た。地理のクイズで
  • (日本地図を見せて)諫早湾はどこか?
  • 四国にある県を4つとも答えてください。
  • この写真は誰の顔?(正解はパウエル国務長官)
などという問題に、諫早湾を瀬戸内海や三重県沖と勘違いしたり、四国に宮城県があると答えたり、パウエル氏をジョンソン元大統領と間違える若者が居るとはまことに嘆かわしいことだ。このところ「いくら英語を教えても上手に喋れない若者がいるのは何故だ?」と書いたりしているが、実は、英語に限らず、学校で教わったことなど使わなければすぐに忘れてしまうのだろう。ちなみにユーミンの歌のタイトルは私には分からなかった(たしか正解は「卒業写真」)が若者たちはけっこう正解を出していた。結局、身近で無いものはみな忘れてしまうということか。