じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
時計台近くの水仙。2/11に一度御紹介したものの晴天バージョン。 |
【思ったこと】 _10221(水)[心理]象牙の塔とアクション・リサーチ(4)柱と柱時計 昨日の日記の続き。今回は、“「外国語効果」に関する英語教育の立場からの批判的考察(2000/11/1) ”の第二の論点: .....複雑性、不確実性、不安定性、独自性、価値葛藤に満ちている現実の問題に関して、科学としての心理学は、なんらかの科学的な結論を出せるのだろうか、ひいては科学的な心理学は英語教育研究のモデルであるべきなのだろうか、.....に取りかかることにしよう 柳瀬氏の論点は1つの文で記述されているが、私には次のような複数の問題が含まれているように思われる。
ここで、本来は“「科学的な」とは何か?”から考えていくべきかと思うが、これは非常に大きな問題である。チョムスキーに対比させるためにも、ぜひともスキナーの『Science and Human Behavior』を引き合いに出す必要があるのだが、これはとりあえず後回しにさせていただこう。今回は、「現実の問題に対して科学的な方法が生産的な結論を引き出しにくいのは、対象にどういう特徴があるためなのだろうか?」について考えてみたいと思う。また、当面は、「科学的な方法」を実験的方法に限定して論を進めることにしたい。 さて、現実的な問題が実験的に分析しにくいのはなぜだろうか。すぐに思いつくのは
第一の点は、柱と柱時計の例え話から理解することができるだろう。すなわち、ある住居環境が人間にどのような影響を及ぼすかを実験的に検討することになったとしよう。そのさい、室内の柱時計がどういう影響を及ぼすかを検討するのであれば、柱時計をとりつけた実験条件と、柱時計を外した対照条件を比較すればそれで済む。ところが、同じ方法で、家屋の柱の影響を検討することはできない。対照条件を設定しようとして柱を外してしまったら家全体が倒壊してしまう。もはや1つの要因を実験的に操作したとは言えないのである。 単に無限に近い数の要因が関与しているだけであるならば、それらは正規分布に従うノイズとして処理することもできるし、実験室環境を作って人工的に除去することもできる。しかし、相互に連携、依存するような要因はどんなに精密な実験装置があっても操作できない。これをどう扱うかが実験的分析、ひいては科学的方法を用いることの課題になるかと思う。 第二の点。これは、「オペラント」や「随伴性」概念にかかわる問題となるのだが、またまた時間が無くなってしまった。次回以降にとりあげることにしたい。 |
【ちょっと思ったこと】
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