じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 2/19の岡山は、最低気温3.3度(平年より+1.6)、最低気温11.4度(平年より+1.9)とすっかり暖かくなった。紅梅に引き続いて白梅の盆栽も花を開き始め、すっかり春の雰囲気に。



2月20日(火)

【思ったこと】
_10220(火)[心理]象牙の塔とアクション・リサーチ(3)「外国語効果」

 昨日の日記の続き。今回は、柳瀬氏が“「外国語効果」に関する英語教育の立場からの批判的考察(2000/11/1) ”の中でふれられている「外国語効果」について私なりの意見を述べたいと思う。

 ここでいう「外国語効果」とは、
不慣れな外国語を使っている最中は、その外国語を使うのが難しいだけでなく、思考力も一時的に低下する
というもの。残念ながら、私の手元には高野氏の論文が一編もなく、原典に即して意見を述べることができないが、一般論として次のことは言えるかと思う。
  1. 不慣れな外国語を使っている最中は、時として、思考力の一部が一時的に低下する場合がある
  2. “外国語を使うと、それに類した言語的な思考が邪魔されるだけではなく、言語的要因が殆どないいわば「純粋な」思考までもが常に邪魔される”ことは、実験研究からは立証できない。
 わかりやすく言えば、実験研究だけである法則(仮説)が立証されることは決してありえない、というのが私の主張だ。できるのは、ある法則(仮説)に合致する現象が少なくとも1つ存在すること、もしくはある法則(仮説)を覆すような現象が少なくとも1つ存在することを人工的に示すことだけである(他にもいくつかできることがあるが、議論の流れとは無関係になるので省かせていただく。詳しくはこちらをご参照いただきたい。有効性の検証ツールとしての実験的方法の意義については、アクションリサーチと関連づけながら後日詳しく述べる予定)。

 では、それらの事例を人工的に示すことにはどういう意義があるのだろうか。いちばんの効用は、我々が当たり前と思っている事柄を覆すこと、もっとくだけた言い方をするならば、「世間もしくは学界をビックリさせる」ことにあるのではないかと私は思う。

 例えば、
  1. 「イヌがお座りをする」という条件づけは日常生活では当たり前のこと。それを実験研究で示したからと言って誰も驚かない。
  2. イヌに「右」と号令をかけたら右に、「左」と号令をかけたら左に顔を向けるように条件づけし、第二段階では、「足」という号令をかけたら片足を上げるように条件づけしたとする。第三段階で、いきなり「右、足」と言った時にそのイヌが何の予備訓練もなしに右足を上げたとしたら、誰でもビックリするだろう。
 上記の2番目のビックリには「できるはずの無いことができた」という確率レベルでのビックリに加えて、「イヌにも左右の概念が理解できるのか」という理論レベルでのビックリがあるが、ここでは深く追求しない。私が言いたいのは、当たり前と思われている事柄が覆されることにはそれなりの情報的価値があるということだ。そして
  • いままで一度も観測されていない現象を人工的に作り出すこと
  • 常識概念や固定観念を覆す現象を見出すこと
は一般に「発見」と呼ばれ、
  • 理論や法則に基づく予測に反する現象を見出すこと
は一般に「反証」と呼ばれる。要するに、実験事実そのものは「発見」でも「反証」でもない。研究の文脈や日常茶飯事との関連の中でその意義づけが決まってくるのである。

 初めの問題に戻るが、もし我々が
不慣れな外国語を使っている最中でも、言語的要因が殆どない「純粋な」思考は決して低下しない。
という常識観念を持っているならば、「外国語効果」を示す実験事実は大きな発見となる。逆に、低下すると思っているならば、「ああそうですか」と思うだけのことだ。

 けっきょくのところ、「外国語効果」は、起こる場合もあるし起こらない場合もあると考えるべきだろう。重要なのは、もし起こるとしたらどういう文脈の中で起こるのか、どいういうタイプの思考行動については起こりうるものなのか、その効果の及ぶ範囲や程度を現場に即して調べ上げていくことである。「外国語で重要な交渉を行なう場合は、その外国語をある程度は話せる人でも、日本語と同じぐらい流暢に使いこなせるのでないかぎり、通訳をたてたほうが賢明であろう」という高野氏の一般向けの示唆の妥当性も、そういう枠組みの中で検討されるべき課題であろうと私は思う。

【ちょっと思ったこと】

「死んだら1000万円」の値段

 4〜5年前より加入している某共済組合のグループ保険がこのたび制度変更されることになり、変更確認申込書が配布された。この保険は掛け捨てで、私自身が事故や病気で死亡した場合に1000万円の保険金が支払われることになっているのだが、引受生命保険会社の破綻が相次ぎ、今回、大手の保険会社のもとで新事業が開始されるようになったという。

 案内書を細かく見ると、保険料そのものが若干割高になっていることに気づいた。千○田生命が引き受けていた当時の保険料は、1000万円の保険金につき半期2万2600円、1カ月あたり3767円。今回はそれが1カ月あたり4700円に変更されている。もっともこれらの額は概算であり、加入者の人数や配当金還付により変動する。従来は実質で毎月2000〜3000円程度の負担であったと記憶しているが、今後はどうなるのだろうか。このあたりが不明確であることに加えて、脱退方法の説明が不十分であること、文面が単なる継続確認ではなく特約の宣伝主体になっていることに腹を立て、「脱退」の手続をとることにした。

 今回の某共済組合の案内に限らず、契約更新時に「特約」を追加してこれまでの2〜3倍の保険料を「オススメ」する保険会社の姿勢が目につく。先日も家財保険や自動車任意保険を契約している複数の会社(団体)から案内が届いたばかりだが、いまのご時世では、経営破綻する前に取れるだけの保険料をふんだくっておこうという魂胆があるようにも見えてあまりよい気分がしない。

 それと、いまの時代、生命保険のようなサービス事業は民間の自由競争に任せればよく、共済組合がわざわざ事務系公務員の雑務を増やすような形で特定の保険の加入促進をはかるところまで手をだす必要性は無いようにも思う。誤解があればご容赦ください。