じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 2/17朝は冬型がゆるんだものの放射冷却により岡山の最低気温はマイナス2度まで下がった。写真は、霜に耐えるツツジ。



2月17日(土)

【思ったこと】
_10217(土)[心理]今年の卒論・修論から(9)まとめ/「ポートフォリオ型自己育成」としての卒論研究の意義

 本年度の卒論の試問は2/16に無事終了した。今年の卒論研究14篇のテーマを、私が勝手に選んだキーワードで特徴づけてみると.....
幼児発達/起業家/対人不安/フリーター/友人関係/ネット・購買/携帯着メロ/老い/ネット・コミュニケーション/禁煙行動/Eメイル/減量プログラム/育児ストレス/映画
ということになるかと思う。10年〜20年も前の実験論文を持ってきて追試をやるというタイプはすっかり姿を消し、全体としてホットなテーマを取り上げる傾向が強まってきたように思う。

 これはたいへんよい傾向だと思う。厳密に独立変数を統制するような実験室実験もそれなりに思考の訓練にはなるが、この学生たちが卒業してから同じ方法で現実問題に取り組めるかどうかということになると甚だ心もとない。方法は固定せず、学生が自分でいちばん興味をもった研究対象に対して、身につけたあらゆる知識や技法を駆使して、できる限り自力で問題に取り組んでいくことのほうが教育的意義が大きいように思う。

 次に、それぞれの研究で用いられた方法を分類してみると、
実験法 ●●●●●●●
面接法 ●●●●●
質問紙法 ●●
ということになるかと思う。一時代前の実験室実験オンリーに比べると、面接法の比率が大きく増えているのも特徴に挙げることができる。ちなみに上で分類した「実験法」のうち、無作為な割付により群間比較を行ったものは4篇のみであり、それ以外には、単一被験体法や、システマティックな観察法に近いものもあった。

 上にも述べたように、私は「初めに方法ありき」というような卒論研究は推奨しない。しかし「方法を固定しない」とは「知っている方法だけを使う」という意味とはゼンゼン違う。心理学の学生であるならば、何をテーマに選ぶにしても、最低限、実験法、質問紙法、観察法、面接法の4点セットぐらいは身につけ(ミニマムの解説サイトがこちら以下にある)、さらに、基本統計はもとより多変量解析の基礎的手法ぐらいはマスターし、必要に応じていつでも利用できるような準備を整えておいてほしいものだと思う。

 もう1つ。ホットな話題は必ずしも重要なテーマとは限らない。みんなが話題にしているテーマはそれだけで重要な問題であるかのような暗黙の了解ができてしまうけれども、なかには偶然的な要因が重なり合って生じた出来事もあるし、周期的な流行の波のピークに過ぎないものもある。さらに、ひとくちに重要な研究対象と言っても、
  • その問題を解決することが人類あるいは今の日本にとって是非とも必要である問題。例えば、地球温暖化、循環型社会構築、少子高齢化問題など。
  • それを検討することで、既存の理論の再構築やパラダイムの転換が求められるような成果が期待される問題。
  • ある種のツール(思考の枠組、プログラム、管理システム、機械そのもの...)の有効性を確かめる手段として有用であるような問題。
では取り上げ方が変わってくる。これは話が大きくなりすぎるので、また別の機会に考えることにしよう。




 ここからは一般的な話題となるが、大学教育において卒論研究にはどういう意義があるのだろうか。この点については、昨年7月13日の日記(後半部分)でふれたことがある。卒論研究をカリキュラムに取り入れにくい学問分野があることは十分承知しているが、少なくとも心理学の教育ではこれを欠かすことはできない。その点、私のところでは幸いなことに、指導体制も評価体制もきっちりできている。教員:学生比などの問題から卒論指導ができない大学があるとすれば、大変不幸なことだ。

 卒論研究の成果が学界あるいは一般社会に貢献できる程度は限りなくゼロに近いかもしれない。しかし、いま大学教育の中で強調されている次のような課題(2000年11月24日の日記2001年1月23日の日記を参照):
  • おのれの行動を点検し、変革する力を養う教育
  • 1つの専門から広く物事を観る、あるいは判断する能力を養う教育
  • 他者を理解し、多様性が存在することを理解し、柔軟かつ総合的な判断を下す能力を養う教育
  • 情報氾濫の中で的確な判断をする力を養う教育
  • 自己学習能力に加えて、自己責任能力、自己表現能力を養う教育。
を実現するためには卒論研究はぜひとも必要であると考える。今年度は、卒論の内容にかなり立ち入ってコメントを連載したが、それらを読んでいただき、完璧であろうと考えていた条件設定や結論の導出にもこういう別の見方がありうることを知っていただくことができれば、上記の教育課題を多少なりとも補完する役割を果たせたかと思う。

 大学教育では、このほか、「ポートフォリオ型自己育成」という言葉がキーワードして登場している。大学教育におけるポートフォリオとは、こちらによれば、
ポートフォリオとは建築家などが自分の能力を売り込むために、それまでの設計業績などをファイルして持ち歩くための書類入れのことですが、ここでいう「ポートフォリオ型自己育成」とは、一言でいえば、具体的な個々の分野で自分がどのような能力を持っているかということを常に人に説明できるようにしながら能力を獲得していくことです。
という意味に使われる。これは、「どういう専攻を卒業したか」とか「授業科目を何単位とったか」と異なり、その学生が「大学4年間で何をやってきたのか」という実績を内容に立ち入って評価する視点とも言える。「卒論は手抜きだったがサークルで頑張った」というのも1つのポートフォリオにはなりうるが、これからの大学教育では、むしろ、卒論研究を4年間の最終作品として位置づけ、その中で「忍耐力、意思伝達力、折衝力、決断力、適応力、行動力」などを総合的に磨き上げていくことも重要ではないかと思っている。2/17夜に行われた予餞会(卒論生、修論生、博論生の追い出し会)における卒論生たちの挨拶で述べられた卒論研究の感想をを聞いていると、こうした方向に向けての卒論指導が多少なりとも成果をあげていることが感じられ、自画自賛ながらちょっぴりうれしかった。
【ちょっと思ったこと】