じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 農学部前の二本の楷の木のうち、北側のほうの紅葉が見頃になってきた。原因はよく分からないのだが、ここにある二本では紅葉の時期に約20日間のズレがある。右の写真は11月4日にほぼ同じ場所から撮影したもの。 [今日の写真]



11月24日(金)

【ちょっと思ったこと】

世界一不運な男

 先週に引き続いてTV朝日系の「運命のダダダダーン!」。本日の番組の中では「世界一不運な男」ビル・ゴスの話を取り上げていた。ビルは9歳の時に洗面所で頭がはまってあやうく「溺死」しそうになったのをきっかけに、自転車走行中に口の中に飛び込んできたスズメバチに喉を刺されるとか、ジェット機が竜巻に巻き込まれるなど合計30回の災難に遭遇。但し、30回目の災難がきっかけでパートナーと巡り会い、現在はポジティブ・シンキングの講師をしているという。

 番組では「世界一不運」ということを強調していたが、ホンマに不運だったらば一回目の事故でとっくに亡くなっている。つまり、災難に遭った回数だけを見れば最も不運であるにせよ、そこからすべて生還したという点では最も幸運な男であると言えないこともない。

 ちなみに私自身のこれまでの人生の中では取り立てて不運を感じたということは無かったように思う。しいて言えば、大学入試の点数のちょっとした違いで将来が変わっていたかもしれないという可能性はあるかも。私はもともと農学部の農林生物を第一志望にしていたが、点数が足りずに第二志望の学科にまわされた。それが唯一の原因ということでもないけれど、2年進学時に文学部へ転学部。ただし、もう2点ほど高かったら教育学部のほうに転学部していたはずであった。そしてもし教育学部の心理に行っていたら動物実験など一度もやらなかったであろうからスキナーの文献を読むことは無かったし、某研究所の技官だった妻と結婚することも無かったと思う。それを不運とするか幸運とするかは人生が終わってみないと分からないけれども、とにかくちょっとした違いで将来が変わってしまうなどということは誰にでもあるものだろう。

 余談だが、同じ番組の中で、テツオという「花嫁候補がなかなか見つからない不運な」カバの話を取り上げていた。このことで初めて知ったのだが、日本の動物園で生まれたカバというのは、みな名古屋の東山動植物園の重吉・福子の間に生まれた子供であるとか。彼らの子供はアジア各地の動物園にも輸出されているというが、これほどの子沢山の重吉・福子とはいったいどんなカバだったのだろうか。
【思ったこと】
_01124(金)[教育]最近の大学教育論議でおもふこと(36)教養教育の柱としてのクリティカルシンキング

 大学内で行われた大学評価に関する勉強会に出席した。話題の中心は大学評価の話であったが、教養教育に関しても貴重なお話を伺うことができた。

 まず、大学評価に関連して、大学設置基準の第6章(こちらの第十九条参照)が、従来は、人文・社会・自然というように授業科目を規定していたのに対して、改正後は教育課程の規定に変わったという点が強調された。改正前が「まず授業ありき」であったのに対して、改正後は「まず教育課程を作れ」がポイント。個々の授業科目ではなく教育課程が評価の対象となったのである。そのためには各大学、各学部がどういう学生を作るのかをまず明確にしておかなければならない。それはまた作文では済まされないことである。例えば、「国際社会で活躍できる人材を養成」をうたい文句にしている大学の卒業生が誰一人海外に出ていないとすればマイナスの評価を受けることになるという次第だ。

 次に21世紀に向けて次のような点が強調された(いずれも私のメモに基づくものであり、聞き間違いがあるかもしれません。念のため)。
  • 20世紀はある領域内での最適化を追求、21世紀は、「多様性が支える豊かな社会の構築」
  • 同時代の知の基本的枠組(パラダイム)と、そのような知にとって不可欠な技能(テクネー)の習得
  • おのれの行動を点検し、変革する力
  • 「専門バカ」ではなく何でも広く知っているのではなく、1つの専門から広く物事を観る、あるいは判断する能力を育成する
  • 他者を理解し、多様性が存在することを理解し、柔軟かつ総合的な判断を下す能力の育成
  • イデオロギーの終焉→情報氾濫の中で的確な判断をする力
と、ここまで書くと、講師の先生のお顔が見えてしまいそうだが、不特定多数に公開された勉強会では無かったので、メモはここまでにとどめておくことにしたい。

 講師の先生は、これらの特徴を位置づける言葉として「クリティカルシンキング(critical thinking)」を挙げておられた。同名の書籍、あるいは、私が11/19の日記で取り上げた「批判的思考」とは若干ニュアンスが異なるようだが、目指している方向にはすべて同じといってよいだろう。
 ご講演後の質疑応答の中で私は
  • 某・旧帝大では「文I」、「理II」というように学部別入試と異なる入試システムが行われ続けているが、これがより優れたシステムであるならば全国の大学でも導入されたはずである。でないとすると、これは某・旧帝大の入学者のレベルの高さに依拠したシステムということにはならないのか。
  • 和田秀樹氏は、1970年代中盤を境に学生のパーソナリティがメランコ人間(躁うつ病型)の時代からシゾフレ人間(分裂病型)の時代への変化があったと指摘しておられるが(こちらの連載参照)、某・旧帝大における改革はその変化に対応したものとして成功したと言えるか。
という質問を投げかけてみたが、時間が無いので、これらについてはまた別の機会に続編として取り上げさせていただきたいと思う。
【スクラップブック】