じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 冬越し中の雑草の中に赤い葉が混じっていた。よく見るとナンテンの幼木。近くの親木の実がこぼれて芽を出したものらしい。



2月12日(月)

【思ったこと】
_10212(月)[心理]今年の卒論・修論から(7)コンピューターを介したコミュニケーション(1)既存縁と情報縁

 昨年あたりから、Eメイルやネット掲示板書き込みなど、コンピューターを介したコミュニケーション(Computer-Mediated Communication; CMC)をテーマにした卒論を見かけるようになってきた。ちなみに、昨年のコメントは2000年2月19日の日記およびその翌日の2000年2月20日の日記に記してある。

 この種の研究で難しいと思われるのは、通信技術の進歩をどう対応するかという問題であろう。(以下、議論を簡単にするためにEメイルだけについてふれることにするが、)ひとくちにEメイルと言っても、送受信の手軽さ、経費、送ることのできる内容は5年前や10年前と著しく変わっているからだ。

 この問題を、マイカーの利用と比較してみるとよく分かる。もちろん車の場合も、この10年あまりのうちにエアバックやカーナビなど新しい装備が充実してはいるが、価格やボディの大きさ、必要な運転技術、スピードなどの点で根本的な変化は見られない。それゆえ、例えば2000年10月頃にマイカー利用について行った調査研究の結果は10年前と容易に比較できるし、10年後の利用予測にもつなげることができる。

 ところがEメイルの場合には、車そのものの形や性能が変化してしまうのである。言ってみれば、10年前の自転車と5年前のバイクと現在の自動車を同じ「マイカー」と呼んで比較するようなものである。概念そのものが変わってしまうのでは、せっかくの研究の資料的価値が無くなってしまう。

 ではどうすればよいか。
  • 調査年月日や(「○○大学学生」あるいは「○○市在住の△△歳〜××歳」というような)調査対象を明記するだけではなお不十分。その時期にその対象がどういう利用をしていたのかを詳しく記録しておかなければ資料的価値は失われる。具体的には、メイルを送受信する際の操作画面や(金銭的、習熟上、時間的な)コストなど。
  • メイル送受信の利用頻度を調べただけでも不十分。どういう内容のメイルがどの程度送受信されたか、何人ぐらいとやりとりをしているのか、1つの話題に対してどのくらいのやりとりが行われたか、やりとりはテキストベースだけか、などを細かく記録しておく必要がある。
 もっとも、現実に何百人もを対象として上記の調査を行うことは難しい。となると、少なくとも卒論レベルでできる研究としては、
  • 個人を対象に、全くメイルを利用していなかった人がどのようにして習熟し、どういう交信を交わしていくのか、変化をとらえる。
  • 一般性のある特定要因だけに注目して、現存の通信手段を比較する(例えば、家庭電話、携帯電話、FAXなどについて、「匿名性」、「応答性」、「記録性」などの一般要因を比較軸に検討する。
  • 上記と関連するが、実験室実験として、同じ利用環境のもとで、特定要因(例えば「匿名性」、利用回数)を人工的に統制してその効果を調べる
といったものを挙げることができるかと思う。



 さて、今年の卒論の中では「既存縁」と「情報縁」に着目した研究があった。これは古森・池田(1997)、川上・川浦・池田・古川(1993)らによって論じられているものであり、電子ネットワーク上では
  • “既存縁”の維持・強化を目的としたコミュニケーション
  • 従来のような血縁や居住地域などによる地縁のつながりではなく、参加者たちの共通の関心や利害に基づく“情報縁”
という2つのタイプの人間関係が形成されるという考え方である。実際、私の場合も、
  • 同じ学科の教員どうし、あるいは学会のMLのように、初めから人間関係があって、その上でより迅速かつ簡潔に情報を交換する目的でメイルを流す場合。
  • Web日記などを通じて不特定多数に質問を流し情報をもらう場合。
の2つのタイプがあり、前者は既存縁、後者は情報縁と呼ぶことができるように思う。もっとも、後者が発端であってもオフミ(オフライン・ミーティング)を通じて顔見知りになってしまえば既存縁に変化する場合もありうる。「既存縁」と「情報縁」の区別は、きっかけとしては明瞭であっても、その後もずっと異質の関係として継続するものであるのかどうかは定かではない。1回限りの調査ではなく、このあたりの変化を継続観察するような息の長い研究があってもよいかと思った。時間が無くなったので、明日以降に続く。
【ちょっと思ったこと】