じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

11月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
[今日の写真] 文学部建物内で黄色い蛾を見つけた。毒蛾ではないかと一瞬びびったが、図鑑で調べたところ、「オオキノメイガ」というメイガ科の蛾で、幼虫はポプラを食べるという。大学構内にはポプラは無いが、アメリカフウやプラタナスはたくさんある。これでも育つのかどうかは不明。毎年今頃になると、外の寒さを避けるためなのか、産卵のためなのか分からないが、建物内に見慣れない蛾が舞い込んでくる。たいがいはそのまま何日もじっと止まっていて、いずれ死んでしまう。



11月30日(水)

【思ったこと】
_01130(水)[言語]「日本型英語」と英語「第二公用語」論議(10)「なる」とは何か

 昨日の日記の続き。岩谷宏『にっぽん再鎖国論 〜ぼくらに英語はわからない〜』(1982年、ロッキング・オン社)のうち、makeと「なる」に関する御指摘について考えてみた。

岩谷氏は「2+2=4」に関連して、
  • 英語ではTwo and two make four.
  • 日本語で「2と2」を主語らしくあつかってみると、「2と2は(が)4になる」が、これは不自然または特殊で、自然な言い方は「2と2では4になる」
というように対比させ、
  • 日本語の「で」と「なる」を使う表現には主語はない。
  • 日本語の「なる」は決して「つくる=make」ではない。またそれは、becomeでもない。becomeは、なにか、主語であるそのもの自身が別のものになることを意味するからである。
  • 「なる」は、becomeと違って、主体の動きではなく、主体が往々にしてそれに屈従し、運命に対して受身的たらざるを得ないようにしてそれにひきさらわれていくところの「事の経過」を示す。
  • 運命的でなく、人間的・主体的なことなら、日本語でも、たとえば、「A協会とB協会が一緒になってC連合会をつくった」みたいな言い方があり得る。このような場合には「なる、なった」だと明らかにおかしい。
であると指摘しておられる(p.36〜37)。これらはかなりの説得力をもつ主張ではあるが、「なる」というものが、そこまで受け身的なものかどうかは多少疑問に思う。

 例えば、
  • 私たちは夫婦になった。
  • 息子は大学生になった。
  • 大きくなったら大臣になりたい。
  • この料理はなっちょらん。
という表現はすべて受け身的なのだろうか。もちろん、辞書をひくと「なる」には「成る」と「為る」の2つの意味が分けて記されており(ほかに「生る」、「鳴る」もあるが)、ヤマトコトバとしては同根ではないだろうか。どっちにしても「2と2では4になる」を「4は2と2で構成されている」という意味に捉えるならば「為る」ではなく「成る」になる。新明解によれば「成る」には「構成される」のほかに「行為の結果、出来上がる」という能動的な意味や、「許すことが出来る」という意味が含まれている点も忘れてはなるまい

 すでに述べた「モノ」、「コト」を含め、これらの議論は、言語表現上の問題もあれば、文化的な問題、科学的認識に関する問題、世界観や人生観にかかわる問題、日常社会への応用に関わる問題というようにいくつかの層をなしているように思える。もちろんそれらは相互に連関しているが、実用的な観点だけから言えば、とりあえず英語教育のテクニカルな問題として解決できるものもあるように思える。

 台湾での国際会議準備などもあるので、この連載は今回でとりあえず休止。12月下旬に再度取り上げてみたいと思っている。
【ちょっと思ったこと】
【スクラップブック】