じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 倉敷チボリ公園の紅葉。



11月26日(日)

【思ったこと】
_01126(日)[一般]これからのマイホーム

 21世紀の住居環境に関する講演会に参加した。講演ではまず、21世紀の日本の住宅事情について
  • 全国平均ですでに10軒に1軒が空き家の状態になっている。空き家率が7%を超えた状態は家が余った状態と言える。
  • 2013年には、空き家率は20%に達する。
  • 日本の人口は2005年に1億2778万人となってピークに達したあと徐々に減り続け、2050年には1億人に戻る。
  • 2010年後は所帯数も減少
これらにより、同じ家にずっと住み続けるという今までのライフスタイルから、転居とともに生活向上というスタイルに変わるであろうとのこと。これは、だからこそ資産価値のある家を新築すべきだというロジックにもつながるが、待てば待つなりに、そこそこ自分のスタイルにあった中古物件が出回るようになるという意味にもとれそうだ。

 次に、これからのマイホームのスタイルとして
  • 生産の合理化が進み週休3日制もありうる
  • しかし可処分所得は逆に減り、「余暇の自給自足化」が強まる
  • 退職後の生存期間が長くなる
という可能性があり、それだけ家で過ごす時間が長くなるという見通しが述べられた。講師の方は言及されなかったが、職種によっては在宅勤務も多くなることは言えると思う。

 これからのマイホームはシンプルデザイン、かつ住む人の好みやライフスタイルに合わせて容易に部屋の仕切などを動かせる可塑性が大切だという話もなるほどと思った。

 このほか、本筋からは外れるが、興味深い点が3つほど。
  • 和風の家と洋風の家の違いは、前者は「何も置かない」、後者は「家具」にあるという。本来、和風の家は畳だけのシンプルなデザインになっており、押入や天井裏から必要に応じてちゃぶ台や布団を出してきていろいろな用途に使う。いっぽう、洋間では最初から部屋の用途が決まっており、それゆえ家具の配置が重要なポイントとなる。いまマイホームを建てようとしている世代は、育つ途中で和風から洋風に住宅環境が切り替えられた人が多く、家具を主体としたデザインのセンスに欠けるところがある。
  • 日本人の住居は世界で最も清潔感を大事にしている。戸別にトイレを作ったという点ではフランスの家よりも遙かに歴史が古い。靴を脱いで家に上がる習慣、箸を使って食事をする習慣、カップに取っ手をつける必要がないぐらいに手を清潔にしていたことなどにも表れている。
  • 多くの家がむさくるしく感じられるのは、家財道具が多すぎるため。ある調査によれば、それらの家財道具のうちの7割は1年以上全く使われることがない。にも関わらず6割は処分できないという。
 11/20の日記で、英語は「モノ」、日本語は「コト」という発想についてふれたが、ひょっとするとマイホーム、というかハウスとかルームというような概念も日本では「コト」として扱われていたのではないかと、以上の話を聞いてふと思った。だからこそ、1つの部屋の用途を最初から定めず、居間や客間、応接間、寝室というようにいろいろに活用し、必要があれば襖を取っ払って大広間にしてしまうのである。

 もっとも、家の中を「コト」として使えるのは昔ながらの和風建築の家だけに限られる。都会の30坪ほどの土地に立てた家では、「部屋=コト」というコンセプトが無く、そのわりに「家具=モノ」ばかり買い込むから、ただでさえ狭い家がますますむさ苦しくなってしまうのであろう。

 で結局、我が家のマイホームの条件は何か。
  • 少なくとも100坪以上で、庭や畑があること
  • 建坪も150平米以上。
  • 日当たりと見晴らしがよいこと
  • 通勤や通学に便利なこと
  • 買い物が便利
  • 近くに信頼できる病院があること
  • 自然に恵まれた環境であること
といったところだろうか。もっともこれを岡山市内で実現するとなると数千万の予算では到底不可能。けっきょく、家族であれやこれや理想を語っているうちに停年を迎え、郊外でのんびり過ごそうかと考えているうちに介護施設に入れられてしまうことになるんだろう。
【ちょっと思ったこと】

気候変動に関する議定書

 気候変動枠組み条約第6回締約国会議(COP6)が事実上決裂したという。これにより京都議定書の2002年発効が困難になるとともに、地球環境を守るための全世界規模の課題が新世紀に持ち越されることが確定した。

 気候変動の問題は、すでに太平洋の島国で国土の水没危機あるいは地下水への海水混入という形で起こっているが、全般的には、自分たちの引退後あるいは死後に次の世代が直面する深刻な問題をどう回避するかという、スパンの長い課題。人類が交渉という手段でこういう問題に対応できるか、別の言い方をすれば、ルール支配が有効に機能するかという点で注目すべき内容を含んでいる。

 このことで思うのは、国同士が、(目先の上で)自分のところが損をするような約束を平和的な話し合いで合意できるだろうかということ。これまで、人種差別、人権問題、戦争準備、テロ支援などの国レベルの悪は、先進国とりわけ強大国の経済的もしくは軍事的な圧力によって一定の抑制がかけられてきた。いわば罰的手段で直接効果的に統制されてきたわけである。そういうパワーを持たない状況で交渉がうまく進むかどうか、ここにはまさに人類の叡智がかかっていると言えよう。

 ちなみに、核兵器、地雷や化学兵器、生物兵器などの軍縮交渉が気候変動防止の交渉よりも成功しやすいのは、人類が戦争の危機にそれだけ敏感であるというわけでは必ずしもない。そもそも軍備というのは、一部の軍人と兵器産業関係者を除けば、国にとってそれ自体負担となるものだ。軍縮をすればその分の予算を国民の福祉にまわすことができる。冷めた見方をすれば、軍縮はそれによって得をするから成功するが、気候変動防止の交渉は目先に損をすることがあるからなかなか進まないと言ってもよいだろう。

 人類が自らの手で地球環境を守れないとすると、結局は、多くの地球生物を巻き添えにして自然の力によって淘汰されていくほかはあるまい。あるいは、ある時、宇宙人の清掃部隊がやってきて、人類を地球上で最も有害な種として認定して全滅させられてしまうかもしれない。大いに考えさせられる問題だ。

 ちまたではIT革命など叫ばれているが、日本人がこれまでに磨き上げられた技術は、もっと地球環境保護のために優先的に活用されるべきではないだろうか。
【スクラップブック】