じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 時計台前の紅葉。



11月13日(月)

【思ったこと】
_01113(月)[心理]エコマネーとボランティア通貨(2)その後調べたこと/問題点から先に考えてみると...

 11月12日の日記の続き。エコマネーについてさらに詳しく調べてみた。
  • 新聞の過去記事を検索してみたところでは、「エコマネー」を命名したのは加藤敏春さん。本職は通産省サービス産業課長。2000年4月22日の朝日新聞「ひと」欄にその紹介があった。通産省の役人が「別の価値体系の『お金』もつくらないと、人がつくったマネーの世界に人がのみ込まれてしまう」と発言されていることはまことに心強い。
  • 加藤敏春さんは昨年5月に「エコマネー・ネットワーク」を設立。ネットで検索したところこちらにHPがあった。
  • 2000年3月16日の朝日新聞・富山版によれば、地域通貨は1980年ごろから欧米を中心に広まり、世界で2500種類以上あるという。同記事には
    これまで「無償」とされてきたボランティア活動を評価し、融通しあうことで、地域社会の助け合いの輪を広げる。
    というように、導入の狙いが記されていた。
  • さらに、ネット検索により、
    • 『エコマネー』(加藤敏春、ISBN4818809993)
    • 『だれでもわかる地域通貨入門』(あべ よしひろ、ISBN4894740117)
    が出ていることも分かった。

 さて、エコマネー、ボランティア通貨、地域通貨について、これまでに得た情報だけから判断する限りにおいて、私はまだ全面的に導入賛成という立場はとれない。しかし、いま問題となっている高齢者の介護、環境保護、あるいは奉仕活動の促進を実現させるためには、これが、現状で考えられる最善の方法であるとも思っている。そこで、まず問題点(と考えられること)を先に挙げ、次回に、ポジティブな側面を強調していくことにしたい。

 まず、家庭内でエコマネーを導入したらどうなるかを考えてみる。本来無償で行うべき「手伝い」、「掃除」、「洗濯」、「送り迎え」などはみな家庭内通貨でやりとりされることになる。例えば、妻は食事を作るたびに家族から「1ハセ」を受け取る。子供が家事の手伝いをした時には親から「1ハセ」を受け取る。私が息子を車で駅まで送った時にも「1ハセ」を貰うことになる。こういう通貨のやりとりで本来の家族が成り立つかどうかは誰しも疑問に思うところだろう。

 では地域ではどうか。昔ながらの山村であれば、エコマネーでやりとりしなくても、盆踊りや秋祭りの準備はできるだろう。みな得意な技を活かして村のイベントの成功のために尽力する。これは娯楽ばかりでなく、森林管理、田んぼの共同作業、家の屋根の葺き替えなど、生活の基本にも及ぶものであり、そういう社会ではエコマネーは必要ない。つまり、地域社会でエコマネーが必要になるということは、それだけ個人主義的傾向が強まり、個々人の関係がそれだけ疎遠になったことの表れであるとも言えよう。

 このほか、昨日挙げたようは、次のような問題点が考えられる。
  1. スキナーが指摘したmoney一般の問題。すなわち間接効果的随伴性の弊害。
  2. 行動内在的好子の希薄化
  3. コミュニティ内部にとどまる
  4. 交換機能の信頼性や安定性の問題(インフレ? デフレ?)
 このうち、1番目と2番目は相互に関連しており、要するに、「助け合い」の際に直接随伴するはずの笑顔、感謝、連帯感、環境美化など、自然に随伴するはずの好子が、お金という習得性好子の付加によって相対的に希薄化するのではないかという恐れ。3番目の点は、エコマネーの「流通」範囲が特定地域や集団内部にとどまることによって、部外者との交流が疎遠になったり、「よそ者」を含めて誰でもわけへだてなく助け合うという「人類愛」の精神が損なわれないかという恐れだ。

 4番目は、貨幣経済一般において要請される条件であると思うが、エコマネーの交換価値がコミュニティの盛衰によって激しく変動するようでは困る。例えば、エコマネーを貯め込んだものの誰もサービスを提供してくれないとか、インフレやデフレ同様の現象が起こるようでは、望ましい行動が強化されにくくなる。このあたりの管理を誰がどのように行うかが大きな課題となるように思える。

 なお、以上に記した疑問点等は、文中に紹介したサイトや書籍を拝見する前に書かれたものである。今後、それらを詳しく拝見することにより、誤解している点があれば訂正させていただきたいと思っている。
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