じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] ハナミズキの赤い実。前回紹介した時よりもさらに秋らしい雰囲気が出てきた。後ろの半田山の広葉樹もいくらか色が変わってきた。



11月8日(水)

【思ったこと】
_01108(水)[日記]「日記猿人」で卒論が書けるか?(後編)ハチ公前広場での調査と比較すると...

 昨日の日記で、某大学の4年生の卒論研究に関連して
日記も読まずに、大量に依頼状を発信して、答えてくれた人だけのデータを集計しようなどというのはあまりにも楽をしすぎている。
という批判意見を書いた。では、もっと別の方法で卒論研究はできないものだろうか。ここでは「渋谷駅西口のハチ公前広場で待ち合わせをする」という行動を比較事例に、もう少し建設的なアドバイスを考えてみたい。

 日記猿人のランキングリストに記されたメイルアドレスに無差別に調査依頼をするというのは、ハチ公前で待ち合わせをしている人々に片っ端からインタビューをするようなものと言える。この場合、親切に受け答えしてくれる人も居るだろうが、新興宗教団体の勧誘目的のアンケートであると誤解して拒否する人、急いでいて応じられない人なども出てくるはずだ。それゆえ、インタビューのようなやり方では調査対象に偏りが生じ、待ち合わせをしている人全体を分析することはできない。

 では、どういう調査が可能か。ハチ公前で、個別に承諾を得なくても倫理的に許される調査としては、例えば
  • それぞれの人は、何分ぐらい待ち合わせをしているか。
  • 携帯電話を使う人と使わない人で何か違いがあるか。
  • 男女の待ち合わせか、同性の待ち合わせか。
  • 待たされる人と待たせた人でどういう違いがあるか。
  • 相手がやってきた時に最初にどういう挨拶をするか。
というような観察は、広場の片隅でメモをとるだけでもある程度可能だ。これと似たような観察を「日記猿人」で実行するとすれば、例えば
  • それぞれの日記はどういう頻度で更新されているか。
  • 更新報告の時刻が安定している人と不規則な人とでどういう違いがあるか。
  • 一日に複数回更新する人にはどういう特徴があるか。
  • 一行コメントの文字を装飾する人としない人で何か違いがあるか。
などは客観的に観察可能であり、具体的な日記名を出さない限りは、個別に承諾を求めなくてもデータとして活用できるはずだ。

 ハチ公前広場で待ち合わせをしている人々とWeb日記を書いている人々の一番の違いは、後者は、不特定多数に対して日記執筆という形で継続的に言語報告をしていることにある。待ち合わせをしている人に「どういう理由で待っているのですか」などと聞くことはなかなか難しいが、「どういうきっかけでWeb日記の執筆を開始したのですか」というようなことは、たいがい、過去ログの先頭のページにそれなりの考え方が記されているはずだ。それらを分類するだけでも充分なデータになる。

 このほか、
  • 執筆を継続する中で、文体や文章量はどう変わっていったか。
  • 執筆を継続する中で、登場人物やネタの内容にどういう変化があったか。
  • 執筆を中断したり再開したりする原因はどこにあるか。
  • 「日記読み」によりどういうインタラクションが生じるか。
  • 得票ランキングの順位が上がることで日記の内容にどういう変化が生じるか。
  • ランキングから離脱した場合に内容や更新頻度にどういう変化が生じるか。
などは、いずれもそれぞれの日記を読むことである程度把握できることだ。その上でどうしても知りたいことが生じた時、初めて個々の日記作者に私信を送っても遅くは無いように思う。もっとも11月から調査を開始するというのは、もはや手遅れではないかという気もするけれど.....。
【ちょっと思ったこと】

田村一二と茗荷村

 11/8昼の、みのもんたさんの「今日は何の日」によれば11月8日は、『茗荷村見聞記』、『賢者モ来タリテ遊ブベシ』などの著作で知られる田村一二氏の命日だという。

 『茗荷村見聞記』に述べられた「障害者も健常者も共に生きていこう」という理想は、滋賀県の実在する「大萩茗荷村」という農業法人で実践されており、また1979年には、「茗荷村見聞記」という同名のタイトルで映画化された(製作・脚本・監督・山田典吾 プロデューサー・山田火砂子)。
【スクラップブック】