じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 羽田→岡山は、赤穂上空までずっと雲ばかりだった。雲の上の景色というのもなかなか面白い。写真の雲は二段になっていて、あいだに洞窟があるように見えた。



10月15日(日)

【ちょっと思ったこと】

私鉄の名称

 今回の上京のさい、長年親しんできた新玉川線が田園都市線に変更されていることに気づいた。前から名称変更の話は聞いていたが、いざ変わってみると寂しい。「玉川線」というのはもともと「渋谷〜二子玉川園」と「渋谷〜下高井戸」を走っていた「玉電」の正式名称であったものだ。当時の玉川線は、渋谷の東横デパート2階から出発し、専用軌道を通ってから道玄坂に入り、大橋、三軒茶屋。そこでポイントが切り替えられ、赤い行き先表示板は下高井戸へ、白い表示板は二子玉川園に向かっていた。あれが廃止されたのは確か私が高校生の頃だったと思う。

 当時、二子玉川から溝の口の間は別の路線になっていて、確か大井町線と呼んでいたと思ったが記憶は定かではない。二子玉川園からはもうひとつ、砧線というのがあって、廃線の日に一度だけ乗った。

 今回の上京は往復とも飛行機利用。羽田と品川の間は京急に乗った。このことでも不思議に思うのだが、私が子どもの頃は、「京急」というようには省略せず、もっぱら「京浜急行」と呼んでいたように記憶している。京浜急行とはもともと、東京と横浜を結ぶことから名付けられたはず。「東京」と「横浜」のれぞれの下の文字をとったのは、すでに上の文字を組み合わせた「東横線」があったためだろうか。それにしても「京急」というのは何となく「東急」に遠慮しているようで今ひとつインパクトが無いように思える。

<10/16追記>こちらの沿革を見ると、東急が御本家であったことが頷ける。

 ちなみに、同じように発駅と終着駅から一文字ずつとったと思われる私鉄の名称には、「京王」(東京〜八王子)、「京成」(東京〜成田)がある。京都には「京福」というのもあったが、これは単に京都と福井の両方で営業しているだけで、両都市を結ぶ計画は無さそうだ。

<10/16追記>ネットを検索中、「阪急」が1973年に社名変更をしていることを偶然に発見。確かに私が大学に入った頃は、正式には京阪神急行電鉄と呼ばれていた。かつての「阪急ブレーブス」もそうだが、こちらを見ると、「阪急」はいろいろに社名変更していることが分かる。

ギリギリなのか余裕なのか

 東京の自宅から羽田まで行くにはどのぐらいの所要時間を見込んだらよいのだろうか。不確定要素が多いだけにいつも迷ってしまう。今回は自宅の出発が遅れて、渋谷に着いたのが13時10分、飛行機の出発時刻が14時20分。飛行機の場合は、少なくとも15分前には搭乗手続を済ませておかなければならないので、大いに焦った。結果的には、山手線の品川着が13時20分、京急の羽田行き急行が13時26分発で13時47分着。24番ゲート着が14時すぎだったので余裕で間に合う。しかし、どこかで1回でも乗り遅れがあればたちまち5分、10分と遅れてしまう。やはりギリギリだったのかもしれない。
【思ったこと】
_01014(水)[心理]園芸療法・園芸福祉を考える(4)「人間・植物関係学会」と園芸療法

 10/13の日記の続き。今回設立が予定されている「 人間・植物関係学会」というのはあくまで仮称ということであるが、なかなか考え抜かれた名称になっていると思った。参加者の多くが農学系あるいは福祉施設関係者であることを考えると、真っ先に浮かぶネイミングは「園芸療法学会」ということになる。しかし、これでは、「園芸療法はどういう範囲の人々にどの程度の効果があるのか」という疑問を常に浴びせられることになる。

 いっぽう「自然との共生学会」とすると、自然保護運動と誤解される恐れがあり、あげくのはては、園芸はありのままの自然を破壊するので共有にならないのではとの疑問が出るかもしれない。

 また、「人間・生物関係学会」としてしまうと動物愛護運動に誤解される恐れがある。

 「人間・植物関係学会」としておけば、関係自体が研究対象となるので、「こういう関係が望ましい」というような決めつけに陥ることがない。なかなかよく考えられたものだと思った。
【スクラップブック】