じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] ギルギットのカルガ磨崖仏近くの水路。水路脇には何種類かのハーブが花を咲かせていた。植えられたものなのか、香りがきつくて家畜が食べないためにふえたものなのかは不明。



9月2日(土)

【思ったこと】
_00902(土)[心理]園芸療法・園芸福祉を考える(1):若者にも人気の盆栽ブーム

 9月3日朝7時台のNHKニュースの中で、若者を含めて盆栽がブームになっているという話題をとりあげていた。

 東京お台場には盆栽ショップがあり、1鉢1000円ぐらいの「ミニチュア盆栽」が若者にも売れているとか。インタビューされた若者は、室内で四季を感じる喜びを語っていた。

 都内では、中年を対象とした盆栽教室のようなものも開かれているという。但し、取材のあった教室では「盆栽教室」とは言わず「置庭教室」と呼んでいるとか。日本の伝統的な手法にこだわらず、新しい素材も取り入れながら、「自分で景色を作り出す」喜びを重視しているようだった。こういう盆栽はまた、ペットと似たところがある。「木と対話する喜び」という言葉も出ていた。このほか番組ではコンピュータソフトとして売り出されている「バーチャル盆栽」も紹介されていたが、これはちょっと性格が異なり、少し昔に大流行した「たまごっち」に似た育成型ゲームのバリエーションに過ぎないのではないかと感じた。

 このように盆栽が見直されてきた背景には、自然から隔離され人工的環境に囲まれた都心部の特殊な環境があるのではないかと思う。私の生まれ育った世田谷は今でも緑の多い地域であるけれど、生家の周辺至る所にあった欅の大木はみな切り倒されてしまった。最近では、かつて一区画70〜100坪が標準だった土地が20〜30坪ぐらいに分割され、駐車スペースを残して敷地いっぱいに三階建ての家に建て替えられている。これではいくら「一戸建て」と言ってもマンションと大して変わらない環境。これでは自分の庭で四季の変化を楽しむことができない。もっとも庭があっても仕事が忙しくて手をつけられない。室内の盆栽のほうが気楽という場合もあるだろうが。

 これまで園芸ショップで主として売られてきた観葉植物に季節感が無かったこともブームの背景になっていると思う。よく見かけるポトス、ヤシ類、ドラセナ、アナナス、パキラ、ゴムの木類、シダ類.....などはみな南方系の植物であって、室内の暖かいところに置かないと冬越しできないものが多い。一年中緑を保つ反面、夏も冬もこれといった変化の無いところが趣に欠けるとも言える。

 公園や道路沿いの花壇もある意味では季節感に欠けるところがある。ああいう所の花というのは造園業者のビニールハウスで育てられたポット苗が殆どであり、花期が終わればたちまち次の苗に取り替えられてしまう。要するに「咲いている綺麗な花」を切り花風に楽しむのと大差無いわけで、土から芽を出して花を咲かせ、種を残して土に戻る本来の姿ではない。 もちろん盆栽の中にも一年中変化の乏しい常緑樹もあるだろう。それでも季節によって枝の伸び具合も違うし、地味ながらも花をつける場合もある。鉢の中で生育している点がポット苗と大きく違っている。

 季節感というのはただ受け身的に味わえば満足というわけでもない。近くの公園に桜の木があっても、遠くの山の色が四季とともに変化しても、それだけで物足りなく感じる人がいるはずだ。おそらく「自分からの働きかけ」が乏しいためかと思う。自然とふれあうことの喜びの本質は、受け身的に与えられる景色の美しさにあるのではない。自分が対象に働きかけ、対象側から適度の大きさと頻度で何らかの結果を与えられ、それによって強化されて初めて能動的な喜びとなると考えられるからだ。

 ケガで入院して以来、私の病室の一角には妻が切ってきたヒマワリ、グラジオラス、ラベンダーなどの花が咲いている。それはそれで季節感があるのだが、花瓶の中で次第に枯れていく様子はむなしさを感じさせないわけでもない。むしろ盆栽でも一鉢あったほうが発展性、永続性が感じられるように思う。もっとも一般に病院の見舞いに鉢物はタブーとされてきた。これは根の付いたものを送ると「病室に根付いて退院が長引く」という迷信のほか、土のような不衛生なものは病室には好ましくないという配慮もあったのではないかと思う。しかし今では、ハイドロカルチャーとか、消毒済みの培養土なども広く市販されているので、衛生上はあまり問題ではないと思う。患者の希望にもよるけれども、「園芸療法」の一環として病室に鉢物を置く習慣が増えてもよいのではないかと思う。

 元の話題に戻るが、私の自宅アパートには盆栽と呼べる鉢は殆ど無い。もっぱら南方系の観葉植物ばかりで、冬になるとベランダから取り込んだ鉢でいっぱいになってさながらジャングルの中で暮らすようになってしまう。季節感を出すためにはもう少し日本で自生している木々の比率を増やしてもよいのではないかと思っているが、妻の好みを満たす必要もあってなかなか思い通りにはいかない。
【ちょっと思ったこと】