じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] クレオメ。和名は風蝶草、英名はspider flower。日本では蝶々、英語では蜘蛛に見立てるというところが面白い。なお、spider flowerはシノブノキ属の常緑樹を意味することもある。



9月24日(日)

【思ったこと】
_00924(日)[一般]金メダルの意味、達成の意味

 日曜日は朝からずっと女子マラソンの中継を見た。マラソンが感動を与えるのは、事前に伝えられる練習努力に加えて、競走中の選手たちの苦しさとの戦いがリアルタイムで伝わってくるからだろうか。

 今回の高橋選手の勝利は、小出監督によって編み出された科学的な練習メニュー、勝負所の32〜37km付近での入念なトレーニングなど、頭脳の勝利であると言えないこともないが、そういうものに帰属すると感激が薄められてしまう。むしろマラソンに限らず個人競技というのはすべて関係性の中に成立するものであるということを示してくれた高橋選手の「有難う」という言葉を大切にしたい。「おめでとう」というお祝いへの返礼ではなく、周囲への感謝の気持ちを込めて「有難う」という言葉が素直に出てくるのは、いまどきでは珍しいと言ってもよいぐらいだ。「おばけのQちゃん」と言われるそうだが「感謝ちゃん」のほうがピッタリかも。

 ところで、金メダルというのは選手にとってどういう意味を持つのだろう。形式的には他の表彰状や勲章などと同じ社会的賞賛の一種であるように見えるが、オリンピックの金メダルにはかなり違った意味があるように思える。おそらくそれは「エベレスト登頂」、「日本百名山踏破」などと同様の「達成」の象徴ではないだろうか。

 そもそもスポーツはなぜ多くの人々にやりがいを与えるのだろうか。労働と異なるのはどういうところにあるのだろうか。これについては、本年6月14日と6月21日の日記に記したことがあるが、一部を要約すれば
  • 労働の世界では、どういう仕事をすればよいかはそう簡単には定まらない。そこに選択の迷いが生じる。スポーツでは、具体的目標を定めやすい。
  • 労働で、せっかく一生懸命働いても、物が売れなかったり会社のリストラにあったりして報われないことが多い。スポーツの世界でも、素質、あるいはケガなどの不運があるとはいえ、努力量に応じて結果が伴うしくみが相対的にしっかりと用意されている。
  • スポーツでは、得点や勝利など、付加的に与えられる結果はルールの変更によって最適なレベルを保つことができる。例えば、野球の世界で、将来、バッティング技術が向上したためにピッチャーがどんなに努力しても容易にヒットを打たれてしまうようになった時には、ボールの直径を小さくするとか、塁間の距離を長めにするといった形で、投手の努力に報いるように随伴性を変えることができる。
というのが私の考えだ。

 こうしたやりがいは、日々の練習とその成果(試合で勝利など)という随伴関係によって実現するが、特に抜きん出た選手では、自分のスポーツ人生の中でどこかに最高の目標を掲げ、それに向かって練習計画をたて努力を重ねるというスタイルが出てくる。

 もっとも、「生きがい」とか「やりがい」の本質は、達成を目指すプロセス、つまり「いまの行動」に内在するものであるとも言える。目標なしには「いまの行動」は活きないが、達成した瞬間にはそれは消滅し、懐古だけが残ってしまう。じっさい今回の高橋選手も「金メダル? 実感わきません。それよりも、これで目標を果たし、目指すものがなくなった、終わった、と思うと寂しい気がするんです」と記者会見で語ったとか。

 では、「達成してしまった」あとはどうすればよいのだろう。いっぱんには
  1. さらに別の大目標を探す。世界記録大幅更新など。
  2. 「達成」の累積記録を狙う。連続制覇、通算優勝記録など。
  3. 「達成」から「楽しみ」への切り替え。
  4. 「達成」で身につけた技能、リパートリー、経験を他の領域に活かす。
高橋選手が「寂しい」と語ったすぐあとで「今度は世界記録を狙って走ってみたい」と語ったのは上記の1、「明日も替わらず、このまま走り続けたい。楽しい気持ちをもって」と語ったのは上記の3を模索したものかもしれない。

 余談だが学問の世界で金メダルに相当するものはあるだろうか。よくノーベル賞が引き合いに出されるが、ノーベル賞目当てに研究をしている学者はまず居るまい。学問の世界では「達成」よりも、研究活動に自然に随伴する「発見」や「理解」のほうが強化力が高いためではないかと思う。
【スクラップブック】
  • 昨日の日記の「J-POP歴代シングルTop100」の追記。ライブ回数のTopは西城秀樹の2180回。そういえば中国で見た歌謡番組でも日本人で唯一西城秀樹が「ローラ」を歌っていた。