じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 花瓶にさした花は枯れてくればすぐに捨ててしまうものだが、退院の日に病室で心を和ませてくれた花を捨ててしまうというのはまことに申し訳ない気がする。



9月17日(日)

【思ったこと】
_00917(日)[一般]田村選手の金メダル

 オリンピックでメダルを取った日本選手の話が伝えられてくるが、ふだんスポーツニュースを殆ど見ない私にとっては、初めて見るお顔ばかりだ。「わーっ、すごいなあ。よく頑張ったね。」とは思うけれど、その選手が日々どういう努力をされてきたのか、どういう困難を乗り越えてきたのかが伝えられないと感激もいま一つというところがある。小学生のためにも「努力の質と量がどういう成果につながったか」が分かるような取り上げ方をしてもらいたいと、ふと思った。

 そんなか、これまでに伝えられたニュースの中ではやはり田村亮子選手の金メダル獲得がいちばん感激的であった。これは、スタジオパークなどの番組を通じて、以前から田村選手の努力や障害をのりこえる苦労を知っていたためだと思う。9/17の朝日新聞一面(大阪本社)で、連続金メダルの野村忠広選手よりも、銀メダル2回のあとで悲願の金メダルを獲得した田村選手のほうが大きく取り上げられたのも、そうした心情を反映したものではないかと思う。

 純粋にクリティカル・シンキングの立場から見るならば、田村選手の今回の金メダル獲得が努力の積み重ねの最終成果であるとは断言できないところもある。例えば、対戦した相手が、前回および前々回より弱かったのかもしれない。技の成功、あるいは相手からかけられる可能性が常に確率的に生じる現象であるとするならば、同じ努力量であっても、3回のオリンピックで「金、銀、銀」や「銀、金、銀」という結果になることも想定できる。

 しかし、ここで重視しなければならないのは「なぜ今回金メダルが取れたのか」という客観的な勝因分析ではない。結果的に与えられた「銀、銀」という状況のもとで、田村選手ご自身がどう前向きに自分を克服していったかという体験にある。アトランタ五輪の代表コーチだった北田典子さんが田村選手への手紙に書いた「神様は、消化できる人間にしか試練は与えない。あなたは乗り越えられる人だから」という言葉も、その実証性ではなく、前向きなセルフ・マネジメントを促す知恵として意味をもっていたのであろう。

 ところで、これから先、田村選手はどういう道を進まれるのだろうか。「スポーツで楽しむことがいかに大切か」を強調しておられた伊達公子さん亀山努さんとはかなり違った方向を目指すものと思われるが、「自分でレールを敷いて生きたい。敷かれたレールの上に乗っかると「その通り」になるけれど、あえて何もない所にレールを敷く人生っていうのが、希望があると感じるんです」(9/17朝日に紹介された談話)と言っておられるぐらいだから、少なくとも商業主義や政界からの勧誘に易々と乗るようなことはあるまい。
【スクラップブック】