じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
![]() |
時計台前のアメリカカエデの紅葉が始まった。この時期の緑と赤のコントラストも美しい。 |
【思ったこと】 991029(金)[一般]王監督はもちろんだが世界一の元阪神・亀山も偉い! いつもより遅い昼食をとりながらTVのスイッチを入れたところ、ちょうどNHKの「スタジオパーク」が始まるところだった。今日のゲストは、先頃、世界チャンピオンの偉業を達成した枚方(ひらかた)リトルリーグ監督の亀山努氏。1992年「阪神あわや優勝」という時に大活躍した背番号00の亀山さんと同一人物であった。 番組を見始めてはず驚いたのは、これがあの亀山かと思うほど体型が変わっていたこと。何でも20kg太られたとか。また、1992年当時の亀山さんは眼鏡をかけていたし常にユニフォームを着ていた。全く別人のように見えても不思議ではない。 亀山努さんは一卵性双生児の兄として生まれる。小さいころから弟の亀山忍さん(俳優)とともに、スパルタ式の父に育てられ、高校時代は鹿屋中央(鹿児島)の野球部に。弟の忍さんは左投げの投手として活躍されたが2年生春の選抜はあと一勝すれば出場濃厚という場面で敗退。その後夏の大会を前にスジを怪我してプロ志願を諦める。もともとスカウトから目をつけられていた忍さんに代わって兄の努さんに声がかけられたという興味深いエピソードが語られていた。それにしても、努さんと忍さんはよく似ている。番組の途中で弟の忍さんがこっそり努さんにすり替わるという演出があったが、私はまったく気がつかなかった。 1992年当時、なぜ阪神が優勝できなかったのかについても一言語られていた。それまで攻撃野球で勝ち進んでいたところ、中村監督が「優勝を狙う」宣言。これによって選手に物凄いプレッシャーがかかり、「攻撃野球」から「勝ちを意識した野球」に転じてしまったことが敗因の1つであろうと言っておられたが、リトルリーグや高校野球ならともかく、プロ野球の選手がプレッシャーを感じたぐらいで萎縮してしまうようではやはり困る。仮にプレッシャーがあってもそれをカバーして余りあるぐらいの練習を積んでもらわなければ、とちょっと思った。 話が前後するが、リトルリーグ監督としての亀山さんについて子どもたちは「楽しく野球を教えてくれる」と語っていた。亀山さん自身からも、勝つことではなく「まず楽しむこと」、そうすれば自然に勝つことが楽しくなると語っておられた。このことで思い出すのは10/10の日記(「ちょっと思ったこと」)で取り上げた伊達公子さんの話。元プロの選手で現在子どもたちの指導にあたっているお二人がまったく独立的に「楽しむことがいかに大切か」を強調しておられたのはまことに興味深い。 亀山さんはまた、短所をいちいち咎めなくても「長所が伸びれば短所は見えなくなってくる」とも語っておられた。先日、提言を開始した日本型英語Japenglish(10/24の日記ほか)についてはいろいろ誤解を与えてしまっているが、あそこで主張しているのは文法の簡略化ではなく、基本思想はまさにここにある。英文をしゃべったり書いたりする時、初期段階からいちいち発音、スペル、文法などのミスを咎めず、「ええよええよ」型で反応の自発を促進させる。そうすれば、あとは英米人との接触の度合いに応じて自然にネイティブに近い部分が伸びてくるはずだ。「誤りをいちいち弱化しておかないと後でクセになる」というのは固定観念。精密な行動を形成する時の基本は、シェイピングと分化強化を主体とした正の強化にあるのだ...おや、亀山さんの話題から大きく脱線してしまった。 さて番組では、半分冗談ながら「リトルリーグで世界一になることは阪神が優勝する以上に難しい」と強調されていた。今年の阪神については「ペナントレース中、中日以外で一度でも首位に立ったのは阪神だけ!」とか「阪神の観客動員数は中日より多い第二位!」などと、最下位に転落したことへのさまざまな「癒し」が行われているようだが、やはりたまにはホンマに優勝してもらいたいものだ。もしノムさんでも手に負えなかったとなれば、次は言うまでもありまへんなあ。枚方リトルリーグ世界一を達成した亀山努氏を阪神タイガースの次期監督に!という声がかかるかも。 ※こちらに亀山氏の紹介記事があった。 |
【ちょっと思ったこと】
|
【本日の畑仕事】
ミニトマト、小松菜、チンゲンサイ、大根菜を収穫。アケビの種まき。 |
【スクラップブック】
|