じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 昨年、イランの皆既日食見物の帰りにナグシェ・ロスタム(上から3番目)でルリタマアザミのような花に出会った。種子を蒔いてみたところ、写真のような花が咲いた。元の花の写真はこちら。梅雨の長雨のせいか、ボール全体が薄紫色にならないうちに枯れてしまった。




7月26日(水)

【思ったこと】
_00726(水)[一般]最近の大学教育論議でおもふこと(30):「履修科目登録の上限制」と「0点制」について考える

 24日の日記に書いたように、夏休み入りを前に連日各種委員会に出席する毎日が続いている。そんななか、履修科目登録に上限制を設けることをめぐって議論が行われるようになった。

 上限制については昨年10月20日の日記およびその続編で考えを述べたことがある。その時に紹介した上限制導入の論拠を再掲(一部加筆)すれば
  1. 大学設置基準(昭和48年改正)では、講義の場合は15時間の教室内授業と30時間の教室外自学自習をセットにして1単位となるように定められている。ここから、そもそも1年間にそんなにたくさんの単位を取れるはずがないという筋論が出てくる。なお、平成3年の大学設置基準大綱化では、「標準45時間の学修(うち講義及び演習として15〜30時間の授業)が1単位」というようにやや弾力的な規定に改められているようだ。
  2. 無節操な履修登録を阻止するため。現状では「登録の権利がある以上、とりあえず可能な限り何でも履修登録しておこう」という意識がはたらく。教える側の立場から言えば、登録者が多ければその分の印刷教材を用意しなければならない。事務側も収容可能な大きな教室を用意しなければならない。ところが授業を数回実施するうちに、受講生が半減、時には1/3に減ってしまったりする。これでは十分な教育効果があがらない。 履修登録をするというのは学生側の一方的な権利ではない。ある意味では教官との間に双方向の契約すること、つまり、教える側はその授業時間に誠心誠意指導を尽くすことを約束、受ける側はその時間にきっちりと出席し、質問し、きっちりと予復習することを約束、その間の信頼関係を確立する第一歩であると言える。そういう意味で、学生の「お客様気分」による無節操な履修登録は阻止されて当然。
  3. 「保険をかけておく」程度の安易な気持ちで履修登録をたくさんしてしまうと、授業が難しくなってきた時にすぐ、「これをとらなくても別の科目に乗り換えればよいや」と投げ出してしまう行動が許容されてしまう。履修登録数に上限を設けておけば、いったん登録した科目についてはいくら辛くなっても最後まで頑張り続けなければ卒業できなくなる。
  4. たくさんの科目を履修登録してしまうと少なくとも学年開始当初は、(リタイアを決断していない範囲での)すべての科目の準備学習に追われ、結果的に1つの科目の予復習に打ち込む時間が制限される。つまり、最初から上限を設けておけば、授業の空いた時間には図書館に通って履修科目の準備に打ち込めるが、たくさん履修していればその時間に別の授業に出席せざるをえない。予復習を怠れば当該科目を難しく感じるのは必然。そこで、最初から上限を設けて誘惑を断ち切っておこうという親心。
という4点に要約できるかと思う。このうち、1.は制度上の基準であるので、積極的な肯定論にはならない。問題があるなら改正すればよいという意見も出てくるだろう。これに対して、2.〜4.はそれなりの説得力をもつものと言える。これらは結局のところ、
  • 保険をかけるつもりでたくさん履修登録しておいて、その後の動向を見ながら取りやすい科目だけ受講を継続し、単位を揃えるという履修態度を強化するのか
  • それとも、シラバスや1〜2回の「試し聞き」で情報を収集することを前提に、いったん履修を登録したならば、途中でどんなに困難を感じても最後まで頑張り抜くという履修態度を強化するのか
という随伴性の設定に関する議論に帰着できる。後者の随伴性のほうが教育効果を高めることは明白であろう。

 しかし、上限制に全く問題がないわけではない。例えば、英語のように入学時点からレベルに差がある科目の場合にはどういう影響が出てくるだろうか。上限制が無い場合、英語力のある学生は、難解な英文読解、英作文、英会話など自分の実力に合わせてたくさんの科目を受講することができる。もともと実力があるのだから、予復習の時間は少なくてすむはずだ。上限制があると、このような意欲を満たすことができない。これは英語以外のすべての科目についても言えることであり、そもそも、同じ科目を履修するにあたって、それを得意とする学生と不得意とする学生の予復習時間を画一的に定めること自体に無理があると言えないこともない。

 上限制についてのこの問題を解決するには次の2つが考えられる。

 1つは、3月8日の日記に述べたような「0点制」を導入することだ。この場合は、上限制を設ける必要はなく、何科目でも履修登録をすることが認められる。その代わり、途中で受講を放棄した場合、その科目は「評価不能」ではなく「0点」として記録される。これは学生にとってかなりのプレッシャーになるであろうという考え方である。

 もっとも、現行では、いくら「0点」の科目が増えても、実質的なデメリットは何も無い。就職の際に企業等に提出する成績証明書にも0点科目を明記すれば、「こいつは困難があると途中で投げ出すチャランポランな人間だ」と思われる恐れがあるので学生にとってもかなりのプレッシャーになるとは思うけれど。このほか、GPAの導入と合わせて検討すべき課題であるように思う。

 もう1つは、上限制を厳格に実施することを前提とした上で、各学年もしくは各学期終了時に、取得した単位数と平均点を算出し、基準以上の成績をおさめた学生に対しては、上の学年もしくは次の学期において登録可能な単位数を増やす措置をとることだ。勉学機会を好子(強化子)にするというものであって、勉学意欲旺盛な学生に対して教育効果が大きく、早期卒業や副専攻導入にも道を開くものであると言える。

 以上に述べたまでのところでは、私の考えは首脳部の考えと大差ないようだ。もっともこれをさらに掘り下げた時、例えば、現行の「100点満点中60点で合格」という考え方はそれでよいのかとか、たくさん単位をとること自体が強化されるようなシステムも必要ではないかという考えが別に出てくる。次回以降にこれについて細かくふれてみたいと思う。
【ちょっと思ったこと】
【今日の畑仕事】

ミニトマト、ジャガイモ、ブロッコリー、長ネギを収穫。ニンジン種まき、サツマイモ挿し芽。
【スクラップブック】