じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
|
チグリジャ。華麗だが、一日でしぼんでしまうので、公共花壇ではあまり見かけないようだ。左後ろの黄色い花はオミナエシ、さらに半田山。 |
|
【思ったこと】 _00710(月)[教育] 最近の大学教育論議でおもふこと(24)目標見えぬ大学教育?(その2):教養教育2度の失敗 昨日の日記の続き。本日は、有馬先生が指摘された 「教養部、2回の失敗」について私なりの意見を述べたいと思う。 教員懇談会の講演後の種々の討論の中では、この点を含めて文部省の方針の一貫性を疑う声も出されたが、こういう失敗をもたらした背景には、教員選考と配置上の問題もあったのではないかと私は思う。 日本の実状を考慮せずにアメリカの制度を無批判に導入することの弊害は多方面で指摘されているところであるが、戦後の新制大学のもとで教養部の設置が決められていく中でも、そこでの教育内容や意義づけが十分に議論されたのかどうか、若干疑わしいところがある。しかし、何よりも問題であったのは、教養部の教員としてどういう人がふさわしいかが殆ど議論されず、関連学部が決定した候補をそっくりそのまま受け入れてしまったことにあるのではないかと思う。 Web日記の性格上、これはあくまで全国の大学についての、私の勝手な想像に基づく一般論として述べさせてもらうことになるが、教養部新設時の教員は、大部分が関連学部からの移籍教員で占められていたはずだ。そこでは、教養教育の意義を理解した上で身を投じた人は少ない。むしろ、できることなら学部や大学院の講座に所属したいのだが、小講座の年齢構成などから、いくら研究業績をあげても昇任することができないような助教授や助手がそれぞれ教授や助教授に昇任することを前提に専門学部から教養部に移籍した可能性が高い。 その後の教養部の採用人事ももっぱら研究業績のみの審査で行われてきた。優秀な研究業績をあげる人であればあるほど、教養部は研究環境としては不十分である。そこで結果的に、大学院を卒業後、とりあえず教養部教員として採用され、そこで研究業績を重ねた上で専門学部の公募を狙うという「出世コース」のレールが敷かれることになってしまった。 教養部における外国語教育の問題も、上記と同根である。専門学部から移籍した教員が教養部新設時の外国語を担当する以上、専門分野はどうしても文学や語学が中心となる。その後の後任人事でも、自分と同じ分野の候補が「再生産」されることになるので、いつまでたっても外国語教育について実践的な訓練を受けた教員は採用されない。このことが「コミュニケーション能力を養う教育」を妨げてきたと言えよう。 1991年大綱化によって、全国の大学で次々と教養部が廃止されていったのは以上の裏返しであるとも言えよう。専門分野での研究を志向する教員が教養部の多数を占めている場合、教員個人にとっては、教養教育の存続よりも、自らにとってより有利な研究環境が得られるかどうかのほうが重大な関心事になるのは人情というものだ。既設の専門学部への移籍、あるいは新設学部への移籍が保障されるのであれば、わざわざ教養教育の意義を振りかざして反対運動を展開するまでもないし、かりにそういう運動があっても多数派を占めるには至らないだろう。 以上もっぱら教員配置の問題に焦点を当ててきたが、もっと根本的には、教養部教員のほうが専門学部の教員よりも低く見られていたという点に教養教育軽視の制度上の背景があるように思える。 これを改善するには例えば、大学教員の定年を60歳に引き下げ、その時点で、特に推薦を受けた教員だけが教養教育担当を認められるようにする。もちろん、その時点で、研究上秀でた業績をあげている教員には授業担当を免除して研究に専念できるポストを与えてもよいし、学部長や評議員などの手腕を買われた教員の場合には管理職になってもよい。いずれも機械的ではなく、ちゃんとした評価に基づいて配置し、給与上もそれなりに優遇すればよい。またそこで推薦を受けられなかった教員は自動的に定年退職となる。こうすれば、リベラルアーツとしての教養教育はもっと奥深いものになるはずだ。 いま述べたことはあくまで例として挙げたものであって、実際の教養教育をすべてそうせよというものではない。言いたいことは、教養教育は非常に重大な使命であり、もしそれを専任教員に担当させるのであれば、管理職と同じレベルで待遇すべきだということ。 時間が無くなったので明日以降に続く。 |
|
【ちょっと思ったこと】
オタマジャクシ救出、手遅れだった
文学部西側の空き地に梅雨の長雨で水たまりができていた。先週の火曜日にここでオタマジャクシを発見。このままでは干上がってしまうと思い、そのうちの10匹ほどを近くの池などに移した。残り10匹ほどは出張後に救出しようと思っていたのだが、行ってみると、写真のようにすでに干上がっており手遅れだった。もっとも、土の上には鳥の足跡がいくつか残っていた。干上がる前に鳥の餌として食物連鎖に組み込まれていたとするなら、まったくの無駄死にとも言えまい。
返品された牛乳の再利用? 7/11朝のNHKニュースによれば、雪印乳業大阪工場による集団中毒事件では、返品された牛乳を再利用する際に細菌が混入した可能性も出てきたという。低脂肪乳というのは加工製品であって「低脂肪牛乳」でないことは分かっていたが、まさか、回収品までが原料になっているとは思ってもみなかった。低脂肪乳というのはバターを作った時の残りの成分である脱脂乳を美味しく飲めるように加工したものであろうと思っていたのだが、いくらリサイクルの時代とはいえ、余った牛乳や回収した牛乳が混ぜられていたのでは飲む気がしなくなってしまう。 ちなみに、数年前までは私個人の体脂肪減少対策のため、我が家では牛乳よりも低脂肪乳のほうを購入することが多かったが、子どもたちからマズイマズイとの不平の声があがり、現在は牛乳しか買っていない。私が飲むのは、朝のコーヒーに混ぜる時だけ。 余談だが、ヨーグルト製品でも同じように回収牛乳が「再利用」されているのだろうか。純粋に牛乳を発酵させて作ったヨーグルトと、脱脂乳などの加工品から作ったヨーグルトは名称上何らかの区別がされているのだろうか。 |
|
【今日の畑仕事】
スイートコーン初収穫。美味しかった。ミニトマト、インゲン、ジャガイモ、キュウリを収穫。 |
【スクラップブック】
|