じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 月下美人。6/18は結婚記念日(入籍ではなく、結婚式を挙げた日)であったが、これを祝うように夕刻から花を開いた。この株から花が咲くのは昨年の7月4日以来の2度目。



6月18日(日)

【思ったこと】
_00618(月)[心理]しごと、余暇、自由、生きがいの関係を考える(その7):『自由論』その後

 東京への行き帰りの新幹線の中で、この連載で中心的に取り上げる予定の『自由論---自然と人間のゆらぎの中で』(内山節、岩波書店、1998年、ISBN4-00-023328-9)を読み返してみた。この本はもともと別の連載「生きがい本の行動分析」の8回目として4月21日の日記でとりあげたのがきっかけだった。しかし、この本は、生きがいの問題にとどまらず、個人観、労働観、自由、時間、循環型社会など、いろいろな側面から現実を捉え直す貴重な内容を含んでいるため、その後、別テーマの連載に切り替えたものであった。

 4月21日の日記では、主として「生きがい論」との関連から、この本に
  • ヨーロッパ近代社会が生み出した近代的自由観を批判
  • 近代思想は、個人を固有のものとして、つまりすべての関係性を断ち切っても、なお個人という実体が存在すると考えた。本書はこれに対して、その関係をすべて失ってしまったら、私という個人もまた成立しえないと考える[p.327]。
  • 自由を固有の個人が所有する権利としてではなく、自由な関係の創造のなかにとらえるという視点[p.327]。
  • 労働は人間的で自由な営みにしなければならない。すなわち「労働の自由」をめざすという発想。
  • 労働はもともと不自由な面をもっているのであり、余暇時間がすなわち「人間的な時間」にあたる。すなわち「労働からの自由」という発想。
といった特徴があることを指摘した。これらは概ね私のもともとの考えに非常に近いものであったが、反面、3つほど私の理解が及ばないところがある。その第一は
 しかし、今日の私たちは、少し違う感覚をもっている。この世界には、科学や論理だけでは説明できないものが、たくさんあることに気づきはじめたのである。ひとつの例をあげれば、「幸せとは何か」を、科学や論理だけで説明できるだろうか。[15章-318]
全体の文脈から判断すると、この記述は反科学、非合理主義の立場を表明するものとは必ずしも言えないことが分かるが、「幸せとは何か」を「科学や論理だけで説明できない」と認めるにしても、「科学や論理だけで説明できる部分はどこまでか」を追求するのか、それとも最初から説明不能として追求を放棄してしまうのかによって、その後の方向が変わってくる。スキナーが『科学と人間行動』で表明した立場は、「幸せとは何か」を含め、人間行動の諸側面を科学的に解明することが可能であり、それですべてを解明できないとしても、とにかくそれに取り組むことが急務であるという点にあった。私もスキナーの方針を貫いていきたいと思う。

 第二は「普遍的な思想」に代えて、ローカルな思想を追求するという立場[13章、276頁]だ。これ自体は、「心理学においても、一般性抽象性の高い法則の構築・検証よりは、法則の生起条件探究型の研究を進めたほうが生産的である」という私の主張と一致するものであるが、ローカルをとことん追求していくと、地域や文化からさらにミクロな個人単位の思想になってしまいそうな気がする。そこの歯止めをどこに置くのか。他の御著書にもあたってみたいと思う。

 第三は、各所で言及されている「何ものにもとらわれない精神」が果たして可能かという点だ。何らかの対象の直面する時、我々は、ニーズ(要請)なしにそれらを受け止めることはできない。これは弁別学習全般に言えること。そして、何かを考えるには何らかの概念的枠組みが必要であり、場合によっては比較軸を設けることも必要となる。そうした枠組みや比較軸をいろいろに取り替えてみることはできるけれど、それらをいっさい取っ払った白紙の状態では何事にも対処できない。もっとも内山氏自身もそういうことを言っておられたようにも見える。もう少し読み直してみたい。

 最後に、哲学書でありながら、現実の社会をみつめ、政治経済のしくみにも細かく言及している点は、この本の最大の長所であると言えるが、家族や恋愛問題には全く触れられていないところが少々気になる。
【ちょっと思ったこと】

いちばん南に見える満月と来月の月食の話題

[写真]  6月18日は満月の翌日。15時48分には月の赤緯が最南となった。月の赤緯は地球を一周するたびに最南と最北のポイントを通過するが、満月前後に最南となるのは夏至である今頃に限られる。この日はまた22時に最遠となり視直径は29’26”。6月3日の最近の時より直径が4’近く小さく見える。にもかかわらず、この時期の満月前後の月は大きく見えることがあるそうだ。地平線に近いため地上の景色の影響による錯視が起こるためであるという。

 で、実際だが、宵のうちは雲がかかって月の位置を確かめることさえできなかった。その後夜中に目が覚めたところ、月明かりが部屋の中まで差し込んでいたのでベランダに出てとりあえず一枚。真っ暗ながら、地上の明かりとの位置関係を把握する資料にはなると思う。

 余談だが、来月7月16日は20時57分から翌日の0時54分にかけて皆既月食が見られる。この月食は、月が地球の本影のほぼ中心を通るため、皆既食の経過時間が1時間47分にも達するという点だ。ふつう皆既月食になっても、赤っぽい月の輪郭が見えているはずだが、本影中心に達した時には相当暗くなるものと予想される。

 この時間帯に月面に立てば、地球に隠された太陽からの壮大なコロナが眺められるはずである。また、これだけ長時間太陽光が当たらないと、月表面の温度も相当程度に低下するのではなかろうか。

 もうひとつ、この月食の最中、暗い月のすぐ近くに小惑星ベスタが見えるという。明るさは5.4等級ということなので、双眼鏡が必要。小惑星そのものはこの日以外でも見えるけれども、普通は他の星と区別ができないため、どれが小惑星なのか分からない。この日は皆既月食の終わり頃には約2度まで接近するということで、月の直径の4倍程度の円内でいちばん明るい星が右下に見えていれば間違いなくベスタということになる。晴れて欲しいところだ。
【今日の畑仕事】

水撒きのみ。
【スクラップブック】