じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] 千鳥草。「ラークスパー」、「飛燕草」、英語では「rocket larkspur」などと呼ばれる。よく似た花にデルフィニウムがあり、こちらは「大飛燕草」、英語では「larkspur」となっていて、混乱してしまう。ニンジンのような葉の形をしたほうが千鳥草であると覚えておけば間違いない。根が深いせいか、除草剤を蒔いた空き地でもこれだけが生き残ることがある。



6月13日(火)

【思ったこと】
_00613(火)[一般]グラウンドは青少年の心をはぐくむか/スポーツ重視への若干の疑問

 6月10日の日記でNHK教育「にんげんゆうゆう」の中の「我が町の自然を守る」シリーズについてふれた。6/10の日記では時間不足で書ききれなかったが、6月7日に放送された「川の流れに身を寄せて」もなかなか示唆に富む内容であった。

 番組に出演されたのは横山十四男さんだが、御自身の活動よりも、すでに亡くなられた奥様、横山理子さんの「多摩川の自然を守る会」の活動の紹介が中心的な内容であった。この歴史はこちらのHPからも知ることができる。

 番組を見て面白いと思ったのは、1970年の多摩川左岸道路建設反対運動に示されるように、当初は、建設省や自治体と対決する形で高まりを見せた自然保護運動が、その後しだいに両者の対話・建設型の運動に変化していったことだ。建設省などというと、長良川河口堰、吉野川可動堰、あるいは岡山県の苫田ダム建設に見られるようにとかく自然環境保護と対立的な存在であるかのように思われがちであるが、少なくとも河川敷の利用に限ってはむしろ、河川における市民団体等との連携に力を入れているところがあるようだ。

 番組で紹介された横山理子さんのお言葉の中に、「河川敷に野球グラウンドを作っても利用できるのは18人【9人のチームの2倍という意味】にすぎない」というのがあった。確かに、草木の生えないグラウンドの上では、川の流れを眺めながら家族でのんびりと休息をとるということはできない。試合が行われれば、住民たちはグラウンドの外に締め出されてしまう。

 このことで思うのが、公園敷地内のグラウンド、あるいは小学校の校庭だ。スポーツ振興のためには有用かもしれないが、結果的に、自然とのふれあいを求める子どもたちを締め出している。グラウンドがあることで、子どもたちの遊びは、結果的に自然から切り離された、運動や球技主体の遊びになってしまう。ボールが隅の草むらに転がっていったとしても、それを探しに来た子どもは、平気で花を踏みしだく.....。もし小学校にグラウンドが無く、代わりに花壇や「ミニ森林」があれば、子どもたちは昼休みや放課後に思い思いに自然とふれあうことができる。

 グラウンドがあるために仲間に入れてもらえない子どもだって居るはずだ。スポーツが苦手な子は誘われにくいし、自分からも進んで加わろうとはしない。勉強のほうではテストの点数による順位づけなど(少なくとも公立の小中学校だったら)しないはずなのに、体育の時には何の配慮もなしに、選手を選んだり記録を比較したりする。グラウンドさえ無ければ、グラウンドの代わりに森と花壇があったら、と思っている不登校児だっているのではなかろうか。

 スポーツ愛好家の方には少々反発を買いそうな内容になってしまったけれど、イジメや不登校の原因を学校での勉強の問題だけに求めてしまうとすればやはり問題。そもそも勉強ができないという理由で仲間はずれにされることはない。むしろ体育や課外でのスポーツが苦手意識や劣等感の元となり仲間はずれを作り出しているかもしれないという可能性にも、もっと目を向けるべきであろうと思う。

 ちなみに、昨年6月に報告された生涯学習審議会答申:「生活体験・自然体験が日本の子どもの心をはぐくむ−「青少年の[生きる力]をはぐくむ地域社会の環境の充実方策について」− (答申)では、
  1. 生活体験が豊富な子どもほど、道徳観・正義感が充実
  2. お手伝いをする子どもほど、道徳観・正義感が充実
  3. 自然体験が豊富な子どもほど、道徳観・正義感が充実
とされており、「川・農村のあぜ道・都市公園を子どもたちにとって遊びやすい場にする」ことが「今、緊急に取組がもとめられること」の1つに掲げられている。“「自然体験」が豊富な 子どもほど、「道徳観・正義感」が身についている傾向が見受けられました。”という調査結果も報告されているぐらいだ。

 上記答申ではもちろんスポーツについても触れられているが、答申全体で「自然」という言葉が121回用いられていたのに対して(見出し、ファイル名などすべて含む)「スポーツ」は24回にすぎない。しかも
......しかし、一方で、都市部を中心にして、小学校低学年ではスポーツや音楽などのおけいこごとを習い、高学年からは学習塾通いというパターンが定着しつつあることが指摘されています。 ......
というように必ずしもよい意味では使われていない点にも留意する必要がある。

 元の話題に戻るが、最近では、河川敷にはグラウンドやゴルフ練習場などは作られなくなってきているという。「危険ですから子どもは川に近づいてはいけません」という立て札に代えて、上記答申には
 川を子どもの遊びや自然体験の場にふさわしい水辺にする
 河川管理者、教育関係者と環境保全関係者が一緒に全国の各地域の河川を調査し、子どもたちの活動場所としてふさわしいところをリストアップし、登録する。リストアップされた水辺には、掲示板を設置したり、河川の地図やどのような活動ができるのかといった情報を、地域の親や子どもたちに提供する。また、必要なものについては、教育関係者等の意見も採り入れながら整備や改修工事を行い、川を自然の姿に戻し、子どもの遊びや自然体験の場にふさわしい水辺にかえていく。(建設省・環境庁と連携)
という内容が盛り込まれていたが、その方向で整備が進められるとすればまことに結構。校庭の利用についても、グラウンドか自然体験施設かという二者択一型の選択をする必要は必ずしもないが、空き地をすべてスポーツ広場にしてしまおうというスポーツ重視の動きに対しては、発想の転換が求められる時代が来るのではないだろうか。
【ちょっと思ったこと】

【今日の畑仕事】

サラダ菜とタマネギ収穫。
【スクラップブック】