じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa


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[今日の写真] ロウバイ。花は地味だが、香りが天下一品。昨日のマンサクと同様、季節感を感じさせる庭木としてぜひ植えておきたい木。

2月23日(水)

【思ったこと】
_00223(水)[因得]ネット用語について考える(1)「ハンドルネーム=HN」という呼称・略記をめぐって

 2/21の日記で、「HN」とか「HP」という略称を多用したところ、えぐちさん(2/22の日記)から、HPが「ホームページ」の略だってのは推測できたけど、HNが「ハンドルネーム」の略だとは気づかなかったなあ。とのご感想をいただいた。

 えぐちさんによれば、「ハンドルネームじゃなくてハンドルです」啓発運動というのもあるらしい。また、語源を辿っても「ハンドル」自体に「ネーム」の意味が含まれており、これは少し前によんひゃんさん(2/16)が紹介しておられた「重複した言葉」の仲間入りをしていることにもなる。

 では、実際にはどの程度使われているのだろう。gooで検索したところ
  • 「ハンドル」299069 件。うち「ネーム」を含まないもの254396件。
  • 「ハンドルネーム」40494件
  • 「HN」(あるいは1バイト系文字の「HN」)43716件
となっていることが分かった。もっとも「ハンドル」の中には、自動車のハンドル(英語ならwheelとすべきもの)なども含まれており、名前の意味での「ハンドル」と「ハンドルネーム」の使用頻度がどのぐらいの率になっているのかは分からなかった。

 「HN」(あるいは「HN」)の場合、「ハンドルネーム」の略称として使っているケースが殆どであるように見えたが、数が多すぎて正確なところは把握できなかった。なお、ランダムハウス英語辞典では
  • HN:head nurse
  • hn:蔑称として、白人に迎合する黒人,白人かぶれ [h(ouse) n(igger)]
という意味が記されていた。

 「正しい」表現という点から言えば、えぐちさんご指摘のように「ハンドル」、「ニックネーム」、「通り名」のほうが妥当だとは思うけれど、さて、現実に定着するだろうか。

 私が2/21の日記で「HN」と使ったのは、単に文字を短縮するのに便利だったから。これは、文中に文字数の多い言葉が頻繁に出ると目障りであるように感じたからだと思う。「ハンドル」だけだと「H」としか略記できないことも大きな理由になっている。

 このほか、、HP、アドレス、ピリオド、Web日記、更新、Eメール(私の場合は「Eメイル」)などについても思うことがあるが、時間が無いので次回以降に。
【思ったこと(2)】
_00223(水)[一般]人間界の左と右(8)雛人形の左右の位置

 2/22の日記読み日記で雛人形の左右の位置について
私が子供の頃に自宅に飾ってあったのは、確か(こちらから見て)左側が男だったように記憶しているのだが、リンクされていた京都国立博物館のHPでは、みな右側が男になっている。と思って、たまたま送られてきた全日信販の「AJ歳事暦」を見たら左が男になっていた。そういや、じぶんの結婚式の時、新婦はどっちに立っていたかなあ。確かじぶんの左側(周囲から見て右側)だったように記憶しているのだが、結婚式のアルバムを押入の奥に詰め込んでしまったため思い出せない。
と書いたところ、めぐみさん(当該ページはこちら)から、以下のような貴重な情報をいただいた。ご許可が得られたのでここに転載させていただく[改行位置は一部長谷川のほうで変更しました]。
一般的には、西日本では男雛が向って右、女雛が左となります。
又、中京以東では逆になるのが普通のようです。

起源に関しては諸説あるのですが、西日本は「京都流」と言われ古来から朝廷の儀式は「左上位」が原則で、女雛の左に男雛が立つので向って右が男雛となります。

上位の概念についても諸説あるのですが、律令が成立する段階では左大臣が右大臣より上位であるように、この概念は成立したようです。
ただ、これは実際の位置ではなくて、言葉での「左右」だとの説もあります。

これに対して中京以東で女雛が左上位を占めるのは徳川家康の孫である興子内親王が、即位されて明正天皇に即位されてから、上位の左に女雛を配置するようになったとの説が有力です。

興子内親王七歳の祝儀自体が、飾り雛の起源ともされていますので、極めて初期からこの飾り方はあったようです。

俗説ですが、朝廷と幕府の鞘当てと言うか、上方と江戸の対抗心の様なもので、あえて左右逆に飾ったとも言われ、名古屋では徳川宗春の時代は将軍吉宗に対抗する意味であえて京都流に雛飾りをしたとの説もあります。

現在の礼法では、どちらが正式だとは決めていないようで地域による差だとの認識が一般的です。

ただ平成天皇の即位の大嘗会の際に、高御座が向って左であった事で流派によっては、「向って右が女雛、左が雄雛」の東京式が正式だとする事もあります。

いずれにしても、雛飾り自体が正式な宮廷の儀式ではないので「古来よりの習慣」というものは無く、また立ち位置の上下関係も夫婦である雛人形には無いとの解釈が、最近は多いようです。
どうもありがとうございました。なお、めぐみさんに、右大臣・左大臣(あるいは桜と橘の位置)などの位置についてもお伺いしたところ、さらに以下のようなご説明をいただいた。重ね重ねありがとうございます。
基本的にはこれは一定です。

左右が代るのは、内裏雛、親王雛だけです。

現在は左大臣、右大臣と呼ばれるのが一般的ですが元々は、貴人を警護する役目なので「随身」と言い「左近衛」「右近衛」となり、「左大臣」「右大臣」となったようです。
出世したと言うべきか、階級のインフレと言うべきか。
ちなみに老人が「左近衛」、若者が「右近衛」でそれぞれの右手に、羽が下を向くように矢を持ちます。

これは飾り段が増えて仕丁(衛士)が現れた際に変化したとの説が有力です。
尚、仕丁は東京では向って右から立傘を持った「笑い上戸」、沓台を持った「泣き上戸」台傘を持った「怒り上戸」の順となりますが各由来はあまりにも諸説あるので控えさせて頂きます。

京都流では持ち物が「ほうき」「ちりとり」「熊手」となります。

こちらは、階級が下落したのではないかと言われています。
大臣からいきなり、間の役職がなくて下男と言うか中間みたいな設定ですものね。

桜と橘も基本的に「左近の桜」「右近の橘」と呼ばれ一定のようです。

蛇足になりますが、三人官女は「式三献」の給仕役なので向って右から「長柄の銚子」「盃」「加えの提子」です。

五人囃子は能の囃方と同じ構成なので、向って右から「謡」「笛」「小鼓」「大鼓(おおかわ)」「太鼓」の順となります。
 なお妻に聞いたところ、娘の雛飾りは東京風の位置で飾るようにしているとこと。うちの場合はアパートなので、三人官女や五人囃子は飾っていない。そういや小学生の頃、五人囃子の一人と内裏雛の首をすげ替えて「クーデター雛」などとイタズラをして祖父母にひどく叱られたことがあったなあ。
【スクラップブック】
【今日の畑仕事】
レタスと長ネギを収穫。