じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 銀杏(ぎんなん)をたくさんつけた銀杏(イチョウ)。何となく、ウルトラマンに出てくる怪獣を連想してしまう形だ。


10月24日(日)

【思ったこと】
991024(日)[教育]日本人が「日本型英語」を使えるようになるための「Japenglish」のすすめ(2)

 昨日の日記の続き。昨日の日記では日本人が気軽に「英語」で話したり書いたりできるようになるためには、
  • 学習の初期の段階では誤反応を弱化せず、とにかく関連反応がたくさん自発できるような環境を作る。
  • そのためには、英米人に教えてもらうネイティブな英語ではなく、自信を持って浮かんだ通りに使えるような日本型英語「Japenglish」を普及させる必要がある。
  • 「Japenglish」がネイティブな英語の文法に反していたとしても、それを誤りとするのではなく、日本型英語の特性として許容する。つまり「そうとも言う」の精神を貫く。


 これによって日本人は、多くの英米人を前にしても文法的な間違いに気兼ねすることなく思った通りにJapenglishを使うことができるし、「話す」反応や「書く」反応が多発されることで結果的でネイティブな英語に近い表現を身につける機会も増えていくものと予想される。

 このように「自分が使うJapenglishは常に正しい」と考えていくことに対しては、それでは、個人個人がそれぞれ好き勝手に固有の表現を使うことになって言語としては成り立たず意思の疎通が図れないのではないかと考えるむきもあるだろう。しかし、もともとネイティブな英語でろくに意思の疎通が図れないなら同じことではないか。そもそも言葉というのは、コミュニケーションのやりとりの中で自然に共通化が進んでいく特徴をもっている。まずは何でもよいから自発することだ。

 それと、従来、日本人が使う英語には日本語起源の特有の「誤り」があると指摘されてきた。日本語起源であるならば、個々の日本人が使うJapenglishにも共通した特徴が含まれているはずである。みんながJapenglishを使えば使うほどその共通の特徴が法則化されていき、英米人もそういう日本型英語の特徴に配慮してJapenglishを聞いたり読んだりしてくれるようになるだろう。

 もともと、ネイティブな英語とか言ったって、イギリス英語、アメリカ英語、オーストラリア英語ではかなりの違いがある。パンツ(pants)とかベスト(vest)の使われ方を見てもわかるし、haveとかdoの使い方にもいろんな違いがある。これらはイギリス起源の英語がアメリカ大陸やオーストラリア大陸で使われていく過程で、日常生活に都合のよいように変容していったものであり、米語をイギリス英語の誤用と考える人は居ない。

 そういえば、妻から「英米人はターミナル・ホテルという言葉を嫌がる」という話を聞いたことがあった。それはネイティブな英語で解釈するから「終末」、「末期的な」、「救いがたい」というような悪いイメージが出てくるだけのこと。日本型英語ではターミナルホテルとは駅前の便利なホテルのことを言うのだと受け止めてもらえばそれでよい。わざわざターミナルの看板を外す必要は無いだろう。

 かつて我々のご先祖は、やまとことばの不足を補うために中国語の文字部分(=漢字)と熟語(=漢語)を日本語に大量に導入してきた。しかしそれは、中国人を先生として学んだというよりも、直輸入できる部分だけを組み込み、あとは日本語独自の文化に合わせて自力で利用していったのである。

 中国語ではredは「赤」ではなく「紅」、beautifulは「美」ではなく「麗」、例えば「美人」は美しい人ではなく「美国人」つまりアメリカ人のことを意味するなどと聞いたことがある。「汽車」は蒸気機関車ではないし、トイレのことを便所とは呼ばない。しかし、日本語と中国語の漢字熟語に不一致があったからといって、それを中国語の誤用だとは考えない。日本人は自信をもって漢字を使っているのである。それと同じスタンスでJapenglishを作ったってよいじゃないか。それとも、我々の心のどこかに欧米人に対する劣等感、あるいは欧米文化崇拝傾向が残っているのだろうか。

 いろいろ書いてきたが、1つだけ重要なことを書き忘れていた。それは、
Japenglishを使う時は日本語は忘れてJapenglishで考えろ。
ということだ。いま上に和製英語のことを書いたけれど、私がJapenglishとして提唱しているものは、日本語に依拠した和製英語とは異なる。日本語でもネイティブな英語でもない。日本人が使う、日本語文法の特性をある程度反映した独自の英語なのである。いつぞやピーター・フランクルさんが「いろんな国の言葉を知っていると混乱することはありませんか」という質問に「自分は、ある国の言葉を喋る時はその国の言葉だけで考えいるので混乱することはない」と答えていたのを思い出した。やはり和文英訳ではいけない。Japenglishで話す時は、日本語で浮かんだ言葉を英語に訳していくのではなく、事物を見て自然に浮かんできた英語を浮かんだままに口に出してみるということに尽きる。

 大学教育ネタとか安全管理ネタでもいろいろ書きたいことがあるので、このJapenglishの話題はあと1回でとりあえず完結させる予定。次回は学校での英語の教え方について述べたいと思う。
【ちょっと思ったこと】
  • 10月22日の日記で電流についての疑問を書いたところ、お互いを更新する掲示板や、日記本文の上で餌をやれ!さんやIsland Lifeさんから詳しい解説をしていただいた。深く感謝いたします。しかし、ちょっと拝見した程度では理解しきれないところがある。もう少し自分でも勉強した上で再びとりあげさせていただこうかと思う。このことに関連して、私の妻が電流のことをどう思っているのか、夕食後の夫婦の散歩の時にちょっと聞いてみた。
    • (私)ねえ、電流って何だと思う?
    • (妻)電気が流れること
    • (私)ぢゃあ、電気って何だ?
    • (妻)ビリビリって来るヤツ
    • (私)そうか、ビリビリが電気なのか。なるほど。ぢゃあ電圧って何だ。
    • (妻)それは電気の圧力のことよ。圧力をかけたらたくさん流れるでしょ。
    • (私)もう1つ抵抗とは?
    • (妻)川の中で石ころがゴロゴロしているみたいのものよ。ゴロゴロしていれば流れにくいでしょ。
    ということで、妻の頭の中では、電流も電圧も抵抗も完璧に理解されていることが判明した。しかし、「流れる」というのは本来、日常生活で川の流れや水道の蛇口を眺めるところからの比喩表現であって、これをもって「電気の流れ」を直感的に受け止めることには限界があるように思う。むしろ「ビリビリ」こそが実在と言えるが、あそこで感じられるのは電流ではなくて電力ではないんだろうか。それと直感的にはやはり、熱エネルギーやカロリーの定義はまことに理解しやすい(←もっとも最近の子供は熱エネルギーよりもTVゲームのHP概念のほうが理解しやすいかも)。理解促進のための直感的導入と、理論構築のための操作的定義との関連についてはいずれ日記本文で取り上げる予定。
【本日の畑仕事】
ミニトマト、小松菜の収穫。水まき。チューリップの球根鉢植え。レタスの苗植え。小松菜種まき。
【スクラップブック】