じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 妻の実家の庭に咲いていたテッセン。花屋ではクレマチスとして売っている場合が多いが、アヤメとアイリスの違いのようなものだろうか。実家では針葉樹をつたって2m以上に枝が伸び、ざっと数えて150輪の花をつけていた。


5月4日(火)

【思ったこと】
990504(火)[一般]私立大学の少子化対策と千葉大・飛び入学に共通するもの

 NHKの朝の「おはよう日本」で、少子化時代における大学の生き残り戦略(月曜)と千葉大の飛び入学(火曜)の話題をとりあげていた。

 月曜日は、私立の大学が受験生確保のために専任のスタッフを配置して高校まわりをする話、インドからの留学生を募る話など。なかでも、成績の悪い学生に対しては退学勧告を出し、なお在籍を希望する学生に対しては、補講から日々の日課表の管理まで徹底した指導を行う大学があるのには少々驚いた。一定水準以上の卒業生を送り出すことで新設大学としての評価を高めようとしているらしいが、率直なところ、少々過保護ではないか、そんなにまで手取り足取り指導しなければ単位がとれないような学生まで育てる必要があるのか、それで社会に出て本当に大丈夫なんだろうか、という気がしてきた。

 少なくともこれまでの大学の一般的な教育方法では、学生の自主的な勉学が重視され、大学が学生の日課表まで点検するというようなことは無かった。学ぶ意欲のある学生にはいくらでも材料が与えられる一方、ただ単位だけを取って卒業することだけを望む学生には結構寛大なところがあった。私が学生だった頃でも、希望すれば他学部向けの専門の授業なども受講させてもらえたし、図書館には語学教材が用意されていて、予約すればいつでも発音の練習をすることができた。授業には殆ど出てこないくせに、フランス語の共訳本を出版していた学生なんかも居て驚かされたものである。

 こういうほったらかしの教育、というか自主性を最大限に尊重した教育の中でも優秀な人材は育つはずだ。ということは、少子化対策として行われるユニークな指導体制というのは、もう少し違うタイプの学生が対象なのだろう。要するに、本来、じぶん一人の力ではついて行かれないような学生まで大学に入れてしまい、何が何でも鍛え上げて送り出してしまおうということなのだろうが、そんなにまでして大学で学ばせる必要があるのか、少々疑問が残った。

 本日火曜日の話題は、千葉大の飛び入学について。飛び入学というのは、数学または数学または物理の大学院博士課程をもつ大学が、満17歳に達した者、つまり高校2年生の入学を特別に認める制度。千葉大では昨年春に初めて入学した3名の男子学生が2年目を迎えていた。
 飛び入学の入試では、センター試験などとは異なったユニークな問題が出題されたという。番組によれば、「ドラえもん」に登場するさまざまな装置について、物理学の見地から実現化の可否を問うというような問題も出されたそうだ。「消光電球」、つまり普通の電球とは逆に、スイッチを入れると周りだけ暗くなるという電球が可能かという問題はなかなか面白い。向かってくるさまざまな波長の光に対してその波をうち消すような光を照射すれば理論的に可能だというのは知らなかった。
 3人の学生に対しては、一般教養科目などを含めた普通の授業のほかに、週4回、特別授業が組み込まれていた。宿題もいっぱい出され、受験勉強以上のハードスケジュールであるようにも見えた。こちらのほうは徹底した英才教育コースのようだが、手取り足取りという点では上記の退学勧告制度導入の大学と大差ないように見えた。また、一学年わずか3名の学生のために投じる人的資源も大変なものだ。3名分の代わりに入学定員を30名分増やし、特別授業に費やす時間で通常授業を充実させて自主的に勉強させれば、結果的にその中から有能な人材が生まれてくるようにも思える。

 飛び入学実施資格のある他大学においても「知識の偏りが出る」、「才能の見極め方が不明確」、「教員の負担増」などの理由で実施を見送っているところが多いそうだ。ま、千葉大の制度は多分にテストケース的なところがある。現実に入学者がおられることでもあるし、今後の勉学の進展を見守ってやりたいとは思うが。
【新しく知ったこと】
【ちょっと思ったこと】
  •  前日の新聞を読んでいた妻が「そうか、どうも変だと思ったらこれY新聞だったのね」と言った。妻の実家ではだいぶ前からY新聞を購読しているのだが、我が家のようにふだんA新聞を読んでいる者から見ると、まるで別の国に来たのかと思うほど世の中の描き方が違うことに驚くことがある。

     だいぶ昔の話になるが、97年に自○党の憲法調査会が行ったアンケートの結果などは他紙に比べて異様に詳しく報じているし【1997年8月10日の日記参照】、今年の正月の社説などにも、現在の日本経済の混乱の責任をあたかも左翼勢力やそれに同調する「進歩的文化人」に押しつけるような印象を与える記述【1月3日の日記参照】があった。妻が手にしていた5月3日の紙面も一面Topには“「領海警備」自衛隊任務に:工作船事件踏まえ本社提言”という記事が載せられており、たまに手にする者からみると、どこやらの政党の機関紙ではないかと錯覚を起こすほどであった。

     ここで私は別段、A新聞のほうを推奨するつもりはない。またM新聞に関しては読む機会が少ないので何もコメントできない。言いたいのただ1つ、世論の形成に大きな影響を与えるような大新聞は、A新聞であれY新聞であれM新聞であれ、なるべく多様な物の見方、価値観を公正に紹介してもらいたいということだけだ。

     もちろんどのように公正さに配慮しても、記事の取捨選択には何らかの価値観が働くことはやむを得ないところだが、国民のあいだで議論が分かれているような問題について、大新聞が一方の側に与して社論を展開することは、世界的に見ても歴史的に見ても単色で排他的な世論形成につながる危険があるように思う。

     言論思想の自由という観点から見れば、いろんな価値観をもった新聞が多種類発行され、それぞれ読みたい人だけが読み、読みたくない人は買わなきゃいいという論理も成り立つかもしれないが、個人的な希望としては、社説や論評など一切無しで、公正な報道だけに徹した新聞があれば十分。代わりに各政党や団体、評論家、思想家の見解をできるだけ詳しく多様に紹介してもらい、そこから先の判断は読者にまかせるという資料提供型の新聞が欲しいところだ。どの新聞を選ぶかは社論の好き好きではなく、報道の正確さ、公正さ、資料の豊富さを基準とする。そういう新聞があったら真っ先に購読するんだがなあ。
【生活記録】
  •  ふだんは夢を見ない(あるいは見ても思い出せない)私だが、2夜連続でかなり鮮明な夢を見た。
    • 5/3夜は、学生の頃の下宿を訪れた夢。外観は北九州市内の古い家並み、家の中は12年間下宿していたところ、家主さんは2番目に移り住んだ下宿のおばあさん、下宿の2階全体はリニューアルされて私の部屋だったところは床屋さんに、その周りも喫茶店やファッション関係の店に様変わりしていた。
    • 5/4夜は、大学のサークルオリエンテーションに参加し、囲碁クラブに入った夢。なぜか40代の知人も数人参加ししていたが、みな40代なのに学生に成りきっているところが面白かった。
     それぞれの夢は、5/3に通った北九州市内の古い町並み、様変わりした商店街、上にとりあげた大学生き残り戦略についての番組、5/4昼前にチラッと見た小学生の将棋番組などが影響しており、すべて説明がついてしまうところが単純明快。もっとも、時間や空間が意外な方向で融合してしまうことは、さすが?夢の凄いところだ。
【5LDKKG作業】
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】