じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] チューリップ。中央アジアからヨーロッパに紹介される時、通訳がターバンのことと勘違いして「テュルバン」と答えたことから名前がついたと言われる。コロンブスの時代のことだ。この花に限っては和名があるのか無いのか、いずれにしてもカタカナ名だけで呼ばれている。八重咲き、百合咲き、パーロット咲きなどいろんな品種があるが、私は、ありふれた形がいちばん好きだ。


3月13日(土)

【思ったこと】
990313(土)[一般]3にまつわる手品・パズル(3):3回で偽金貨検出できる最大枚数
 昨日の日記に引き続いて、まず天秤はかりを3回だけ使って偽金貨を検出する問題を考えてみたい。ここでは問題を次のように整理しておく。
  • n枚の金貨から何枚かをとって天秤で3回だけ計ることが許されている(天秤は2つの皿の重さが同じか違うかという情報だけを返す)。
  • これらの金貨の中にはニセ金貨が1枚入っているかもしれないし、入っていないかもしれない。
  • ニセ金貨がある場合は本物と重さが異なるが、本物より重いか軽いかは事前には分からない。
  • ニセ金貨の有無を判定し、ニセ金貨が有る場合はそれがどれで本物より重いか軽いかを確定せよ。
 この問題において、まず重要なことは、偽金貨があったとしても高々1枚であるということだ。この枚数が2枚以上、もしくは不定であったとすると、検出はきわめて複雑になる。

 次に天秤はかりによって計るとどういう情報が得られるかということ。
  • 法則1:計量の結果、左右にm個ずつ載せた金貨が同じ重さであった場合、これら2m個の中には偽物は無い。
  • 法則2:重さが異なる時には、偽金貨は必ずその2m個の中に含まれる。
  • 法則3:天秤はかりは、どちらが重いかという情報も与える。
 以上にくわえて、次の点にも留意する必要があるだろう。
  • 法則4:与えられた金貨をごく微量の接着剤ですべて張り合わせたとする(但し、接着剤の重さは考慮しない)。偽物が混じっている可能性のあるグループの中の金貨は、最終的にすべて接着剤を剥がして分離しなければならない。
    本物であると判定されたグループの中では、接着剤を剥がす必要は無い。例えば、4枚ずつ天秤に載せて重さが同じだった場合は、それ以上剥がす必要は無い。
    逆に、偽物が混入している可能性のあるグループにおいては、最終的に1枚ずつ切り離されていないと偽物を同定することができない。
  • 法則5:1回の計量で3枚の金貨から偽物を見つけることは(確実には)できない。但し、3枚の中に確実に偽物があることが分かっていて、かつ偽物が本物より重いか軽いかの情報が確認されている時は、この限りではない。
    3枚のうち任意の2枚を左右の天秤皿に乗せて、重さが異なれば、重いもの(あるいは、軽いもの)が偽物。等しい時は、残りの1枚が偽物。その偽物が本物より軽いか重いかは、グループ全体の重さが同じ枚数の本物より重いか軽いかという情報から確定できる。
 以上をふまえて、3回の計量で最大何枚の金貨から偽金貨を検出できるかを考えてみたい。

 まず注目すべきポイントは、1回目の計量の結果である。1回目に2m枚の金貨を計った時に、重さが同じであれば、残りのr枚の中から検出しなければならない。この時点では偽物の有無も、偽物が重いか軽いかも分からないので、細かい証明は省略するが、検出可能な限界はr=4枚であると考えられる。つまり2回目に残った4枚の中から3枚を取り出し、すでに本物であると分かっている3枚と比較するわけだ(昨日の日記参照)。もし5枚以上を残してしまうと、次にお皿に載せる候補を何枚に決めても法則4に抵触してしまう。 このことから、最大可能数は2m+4枚であると結論できる。

 いっぽう2mの数だが、これも詳しい証明は省略するが2m=8が限界のようだ。原理的には、2m+1枚まで検出可能なのだが、天秤はかりで一度に計れる枚数は常に偶数でなければならないのでこれは無理。但し、本物であると分かっているコインを1回目の計量前から借りてくることができれば、2m+1も可能となる。

 時間が無くなったので、「バネばかり(台の上に金貨を載せると合計重量を数値で返すもの)」で検出する場合、偽物が重いか軽いか最初から分かっている場合についての考察は次回以降とさせていただく。
【ちょっと思ったこと】
  •  3/13の朝日新聞天声人語によれば、“爆発的ヒット商品だった「たまごっち」の売れ行きが急激に落ち、発売元には在庫の山。”になったそうだ。確かに、我が家でも、「元祖たまごっち」も「てんしっち」もすでに書棚の隅にお蔵入りしてしまった。娘の友達が、500円で買った「おすっち」「めすっち」で遊んでいる程度だという。

     たまごっちが流行したのは1997年の春頃だっただろうか。私自身は秋口から子供のお古を譲り受け、学会会場まで持参して「おやじっち」まで育てあげたことがあった。あとで知ったが、別に学会会場まで持ち込まなくても時計をストップさせておけば済むことだった。

     元祖たまごっちは放っておくと死んでしまう。この「死」にショックを受けて、二度目のチャレンジをしたがらない子供も居た。そのあたりに配慮して、「てんしっち」などでは「死」の代わりに「天国に行った」というような設定にしてあったと思う。

     「たまごっち」シリーズが売れなくなったということは、育成型ゲーム自体が廃れてきたということなのだろうか。となると子どもたちは代わりに何に熱中しているのだろうか。娘に聞いた限りでは代わりになるものは今のところ見あたらない。

     日本国内では廃れたといっても、同じような生活環境にある外国の子供たち向けの市場はまだ残っていると思う。どの国の子供が熱中しどの国の子供は相手にしないのか興味のあるところだ。もっとも、流行前に禁止・規制措置をとった国もあったようなので単純に文化的な差違だけでは説明できないところもあるが...。
【新しく知ったこと】
【生活記録】
【5LDKKG作業】
  • ジャガイモの植え付け完了。小松菜も少しだけ蒔く。夕食後荷物運び。長年使っていたベビー箪笥の引き出しを粗大ゴミに出し、代わりにライティングデスクを回収。
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。)】