じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 2月16日は新月であり旧暦の1月1日にあたる。その正月の日の出の写真。余談だが、朔とは、太陽との視黄経の差が0度になる瞬間をいう。今回は2月16日15時39分。この前後にオーストラリアなどで金環食が見られた。


2月16日(火)

【思ったこと】
990216(火)[言語]数字と助数詞の読み方(4):「ナナ」と「ココ」
 昨日の日記でとりあげた「123456789」と「987654321」の読み方の違いに関して、岡島さんから上越教育大学の高本さんのページを紹介していただいた。“ことばに関する「大法則」の一つ”になっているとは知らなかったなあ。

 私のほうの日記だが、この話題に関しては全く素人で文献など何も調べずに好き勝手なことを書いてきた。にもかかわらず、ネットの威力というか、次々と情報が寄せられ「じぶんが更新」されるのはまことにありがたいことだと思う。で、せっかくこの連載で「三」、「四」、「七」の読み方にこだわったついでに、「七」、「九」について、もう少しふれてみたいと思う。

 さて今回の話題は、1〜9までの数を「やまとことば」で発音した時に、「七」と「九」だけは「ナナ」、「ココ」というように同じ音を繰り返すのは何故だろうという疑問。

 ここで私が25年以上前に大学の一般教養で受講した「言学」の授業で、日本語の数の読み方が二進法と微妙に関連しているということを思い出した。つまり
  • 二進数の「1」は「ひーhi」、「10」は「ふーhu」
  • 二進数の「11」は「みーmi」、「110」は「むーmu」
  • 二進数の「100」は「よーyo」、「1000」は「やーya」
  • 二進数の「101」は「いつitu」、「1010」は「とーto」
というように、1、2、3、4、5のそれぞれの倍数は同じ子音が対応しているというものだ。これによって1から10までのうち、7と9を除く読みができあがる。ここまでは確か授業で習ったことだ。

 そこでここから先を勝手に想像してみるに、7と9は1、2、3、5の倍数で作れない特殊な数なので読み方も特殊となり同じ音が繰り返されるという考えが生まれる。....とここまで書いてみたが、あんまり大した説とも言えませんなあ。がはははh。たぶん、この話題もずっと昔に専門家によって解決されているものと思う。
【思ったこと(2)】
990216(火)[心理]卒論を読み終えたわたし(3)風呂敷を広げるよりも対立軸を

 きょうは卒論試問の日であった。朝の9時から17時まで、17人の卒論生を相手に質疑応答。前にも書いたように、うちの教室では卒論それぞれについて5人中3人の教官が査読を担当、つまり教官1人あたり10〜11人分の卒論を読むことになる。その他の学生の分については、試問の日の簡単な発表とレジュメからその内容を知ることになる。

 今年の卒論の特徴は実験室実験が大幅に減り、代わりにフィールドでの実験、観察、インタビュー、調査をする学生が大幅に増えたことだろう。被験者を実験室に招いて実験したのは17人中5人にすぎなかった。ほかは、質問紙調査だけで済ませたものが4人、教示文などを変えて心理学の授業の受講生などに一斉に行った実験が2人、フィールドで実験した者が4人、インタビューや観察をした者が2人となっている。このあたり指導教官側の方針もあるが、「変数を極度に単純化して現実場面から遊離した実験室実験を行い、アナロジカルに現実を解釈する」というような研究方法に対する限界の表れであると考えられないこともない。

 そんななか高齢者の主観的幸福感を扱った卒論があった。この種のテーマでは多人数に対する質問紙調査を行うよりは、質的研究により個々の事例を検討する必要性がある。ここでは75〜90歳のお年寄りへのインタビューを主体とした研究が行われていたが、少々風呂敷を広げすぎて、切り口が見えにくいところがあったように見えた。

 ではどうすれば焦点が定まるのか。いちばん簡単なのは、何らかの対立軸を設定し比較をしてみるということだろう。たとえば、自宅で生活しているお年寄りとホームに入所しているお年寄りでどう違うかとか、都市と農村でどう違うか、配偶者が健在かどうか、孫が居るかどうか..など。そういう対立軸を設けてその中で違いを探ることによって、結果的に全体像が把握できるようになる。

 あらかじめ多人数に対する調査ができる対象であれば、多変量解析によっておのずと対立軸が見えてくる場合もある。また、2次元、3次元...という構造を考える場合もあるだろう。ただ、それはそれとして、少人数の事例研究を行う場合でも、最低1次元の軸を設けないと、ただ漠然と風呂敷を広げただけになってしまうし、得られた事例が特殊なサンプルに偏っているという恐れもあるだろう。対立軸を想定することは、事例を集める指針にもなるし、もし最終的にその軸が無意味であったばあいでもその確認がとれるというメリットがあると思う。
【ちょっと思ったこと】
【新しく知ったこと】
【生活記録】
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】