じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 鉛筆の木。昨年秋に、行きつけの花屋で一鉢100円で買ったもの。鉛筆が本当にこの木から作られるのかどうか調べたことはないけれど、こんなにか弱い木から鉛筆一本しかとれないとしたら、もっと大切にしなければ可哀想だ。ちなみに、10年ほど前までは大学の研究費ではシャープペンやその芯を買うことができなかった。これは鉛筆とボールペンが正式な筆記具として採用されていたためらしい。近頃は一本100円程度のシャープペンだったら買ってもよいことになっているようだ。

1月21日(木)

【思ったこと】
990121(木)[心理]実験室実験からの脱却(1)

 昨日1/20に引き続いて朝1コマに授業、そのあとは、講読の添削の採点・返却、昨日実施した小テストの採点、さらに卒論の下書き読みと統計処理の指導など...。2/1の卒論締め切りを前に、忙しい毎日が続いている。

 今年わたしが指導している卒論生は全部で4名。就職活動や院入試準備などで、でだしは非常に遅かったけれど、みなそれぞれ頑張っている。専門の立場から見ればまだまだ不十分な点が多々あるけれど、4年間の大学生活の総決算として取り組む意気込みは感じられる。

 これら卒論研究のテーマの内訳は、カウンセリングにおける言葉のやりとりを時系列分析したもの、ゴミ(吸い殻、空き缶、牛乳パック等)のポイ捨てについて検討したもの、公共的な場での寄附行為に及ぼす公的掲示やフィードバックの効果を検討したもの、横断歩道を渡る際に同調行動を検討したものとなっている。

 従来から私はテーマ選びについては卒論生の希望を最大限に尊重している。日常行動と密接なつながりをもつ心理学のような学問においては、問題を自力で見つけだす力を養うこと自体が重要な指導目標であると考えるからである。

 そのうえで具体的にどういう方法を選ぶかということになる。この段階では私は次の2点を強く要望した。
  1. どこかの授業の受講生相手に質問用紙をくばって、その集計結果だけをまとめるような研究はヤメテもらいたい。
  2. 実験室の中だけでしか通用しないような「シミュレーション」的な研究はヤメテもらいたい。

 このうち1.については、「人間はカミ(=質問紙)ではない」ということを機会あるごとに強調している。理由はいろいろあるが、要するに、現実の世界あるいは生身の人間の行動も観察せずに抽象的なモデルばっかりいじくってもしょうがないという考え方だ。

 2.についても以前から強調しているけれど、今年は特に、できるかぎり外に出ることを推奨した。現実の行動からあまりにもかけ離れた象徴的な行動をいくら対象としても、結局は一般化に結びつかない。それよりむしろ現実社会で意味がある行動、あるいは問題となる行動をダイレクトに扱った方がよいというのが主な理由である。特に強制はしていないが、私の要望が浸透したのか、上記4名の卒論生は結果的にいずれも、実験室から現実の世界に飛び出してデータをとった。「実際のカウンセリング場面で言葉のやりとりを記録する」、「生協食堂前の広場の隅のベンチに座ってゴミのポイ捨て状況を観察する」、「本屋のレジ横に寄附金箱を置いて、人数や金額を記録する」、「車の通行の少ない横断歩道に、信号を遵守するサクラを配置する」などなど、誰一人実験室内に籠もらなかったというのが大きな特徴である。

 もちろん、実験室内での実験がすべて無意味だと言っているわけではない。ただ、実験的方法が活かせる分野は、固有の状況や人為的な刺激設定に左右されず、非常に一般性の高いデータがとれるような分野に、もっと限られるべきだと思う。具体的に言えば生理的なメカニズムをダイレクトに反映する感覚、基本的な知覚や記憶など。もっとも記憶と言ったって、人工的で単純な刺激材料に対する記憶と日常場面での記憶ではかなり異なることがあるから、注意が必要だ。
 心理学の実験室実験は動物園のサルであってはならない。動物園のサルはいつまで待っても決して人間には進化しないが、実験室実験の成果がいつまでたっても現実の行動理解に活かせないようでは困る。というところでとりあえず今日はおしまい。この話題はいちおう連載という形にしておいて、不定期ながら次回以降に、もうすこし建設的な内容で書き進める予定。
【ちょっと思ったこと】

  •  昨日の日記で、岡山市内のダイエーの店をあまり利用していないと書いたが、1/21の朝日新聞岡山版に「空洞化進む都心」という記事があることに気づいた。ダイエーやトポスばかりでなく、岡山駅西口からJRを超えて市役所、県庁、さらに東側の旭川に至る市の中心部全体で空き店舗が増加し空洞化が進んでいるというのがこの記事の趣旨であった。

     岡山市で最もにぎやかな商店街と言えば、天満屋を中心とする表町商店街である。1年ほど前に西口から岡山大学直行のバス路線が開業するまでは、岡山駅から岡山大学方面に向かうバスは、昼間はわざわざ遠回りして天満屋のバスターミナルを通っていた。「駅から大学に向かう最短のバスが商店街を経由するとは...!?」などと冷やかされたものであるが、裏を返せば天満屋を中心とする表町商店街の利用者がそれだけ多いということを示すものでもあった。

     1/21の記事によれば、このアーケードに近年、空き店舗が目立つようになり、その数は約30店、一割近くを占めるという。またここを含めて、昨年7月の市の調査では岡山駅前や奉還町(駅西口)など都心の主要な商店街約720店のうち空き店舗が約80店に達しているという。

     そのいっぽう、郊外の大規模小売店は91年の72店から昨年11月には140店に急増したという。まさに、自家用車で買い出しに行くという我が家の消費形態に合致する変化と言えるだろう。

     ではどうすればよいかと言われても私には分からない。古い町並みでも残っていれば観光客からも人気が出るだろうが、すでにそういう面影はない。もともとこの記事は市長選がらみの連載の中で掲載されたものであったが、三候補の提案を読んでもどれも心許ない。けっきょく残るものが残り、消えるものは消えるということか。
【新しく知ったこと】
【生活記録】
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】