じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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[今日の写真] 新緑と紅葉。文・法・経2号館南側にあるプラタナス?系の樹木。この欄で前にもとりあげたことがあるが、今年は夏場に毛虫(たぶんチャドクガ)が大量繁殖し一旦丸はげになってしまった。再び芽が出てきたためこのような奇妙な新緑風景が紅葉と同居することになった。

昨日から当日朝の日記

12月21日(月)

【思ったこと】
981221(月)[生活]観音院さん訪問。死後にHPを残すことについて考える
[Image]  昨日の日記の続きで広島の話題。国際会議場で40分のスピーチをしたあと、この日記の掲示板をお借りしている観音院さんを訪問した。
 観音院さんは、数年前だったか、バーチャル霊園のことが新聞で話題になった頃に鈴之僧正さまと何度かEメイルによる交流をさせていただいたことがある。広島に行く機会があればぜひお訪ねしたいと思っていたところであった。

 到着したのは15時前、応接室にお招きいただき、鈴之僧正さまから釣りの話、バーチャル霊園、コンピュータ管理やネット上の諸問題についての貴重なお話を伺うことができた。私はもともと宗教に関しては全く無教養で、いきなり「このお寺さんは何宗でしょうか?」などと質問してしまったが、あとで観音院さんのHPを調べたら詳細な解説がちゃんと載せられてあった。Web日記関係者のオフミでは、せめて数日前からはお会いする人の日記をちゃんと読んでおくのが礼儀であろうと思うが、今回は、ちっともHPの内容を拝見しないままにおじゃましてしまって大変失礼なことをしてしまったが、快く応対していただいた。

 いまアクティブにWeb日記を書いている人がいずれ寿命を迎える時、親族に迷惑をかけずにそのコンテンツを残したいと希望する場合があるのではないかと思う。その時、普通の民間プロバイダではあまりにも倒産、合併などの変化がはげしく、とうてい永代管理をお任せするわけにはいかない。その点、いちばん頼りになるのがお寺さんである。そういうあたりのニーズにどう対応されるのかお話を伺ってみたが、故人の写真とコンテンツの要約程度のものならともかく、一人1ギガ分(私の場合、Web日記1年分が20MBとして50年で約1Gという計算)にもなるようなHP何万人分もの管理をするというのは現状では難しいであろうとのお答えであった。

 故人のHPのコンテンツをCD-ROM化して葬式の会場で希望者にお配りするということもできるだろう。ただ、そういう媒体で配布されたものは、おそらく1カ月も経たないうちにお蔵入りして、受け取った人が代替わりした時点て捨てられてしまうだろう。CD-ROMでもよいのだが、とにかくネット上の検索で引っかかるような状態になっていれば、故人は少なくとも「検索される可能性がある」という消極的な意味でネット上で永遠に生き続けることができるわけだ。
 Web日記を書いている人の中には、単に自己の向上のための手段(←そういや、「じぶん更新」というのはもともとそういう意味だったなあ)として日記を公開している人、出会いの場として活用している人もいるだろう。そういう人は、目的が達成された時点でそれまでのコンテンツをすべて削除しネット界から離脱していくので、コンテンツを死後まで残そうとは考えない。しかしその一方で、たとえ単方向でもよいから、100年後の人類に自分の考えや気持ちを伝えたいと願う人もいるはずであろう。このあたりのニーズについて今後とも考えてみたいと思う。

[Image] [Image]  さて、例によって、デジカメ持参でいろいろな写真をとらせていただいた。左上は、2階の広間。Macが10台配置されていて、信徒さんほか大学生や高校生が利用するという。これはメンテフリー体制になっていて、左側の親コンピュータのほうでエラーを検出すると、自動的に初期化・再インストールをするしくみになっているそうだ。夏休みなど利用が多い時には、けっこう、変なファイルをDLしてしまう利用者がいるとのことだ。
 左下の写真は、鈴之僧正さまとのツーショット。特にこちらから希望して撮らせてもらった。右下は、僧正さまの執務室?の風景。いずれも、「お寺」について固定観念をもっているとびっくりしてしまう。コンピュータのネットのほか、館内各所に設置されたビデオカメラ・モニターのシステムもなかなか立派で、講話の中継やセキュリテイに大いに役立っているようだ。

 案内してくださった田川和子さんは、「もともと仏教は中国から最新の文化を日本に伝えた。いまの仏教も、最新のものを伝える役割を果たさなければならない」というようなことを言っておられた。納得納得。

 このお寺の館内は洋間が多く、本堂でも信徒は長椅子に座ってお経を唱えるようになっていた。信徒にはお年寄りも多いので、腰をいためないように配慮しているのだという。このほか床拭きの手間も省けるように廊下には絨毯をしきつめてあった。こうした合理化への工夫もこのお寺の特徴と言えよう。

 伺ったお話はいろいろあったが、そんななか、人生相談はだいたい300通りの回答を用意しておけば事足りるというのが興味深かった。個別に答えを書かなくても、あらかじめ用意された回答文をコピー&ペーストして特定部分だけを手直しすればそれでよい。あとは、同じ回答が同じ相談者に2度以上届かないようにデータ管理をすればよいということらしい。もっとも、いずれにしても、相談者は大概最初から結論を出しているので、それを肯定するだけで迷いがとれるケースが多いという。カウンセリングも似たところがあるなあ。

 その他、僧正さまご自身は22時頃就寝、朝は8時半頃起床されたっぷり睡眠をとっておられること、境内に庭園が無いのは、草取りに必要な時間を省いてできるかぎり人とのふれあいの時間にまわすためであることなどを伺った。自然との日常的なふれあいが無いのはちょっと残念な気もするが、僧正さまご自身は瀬戸内海で釣りをしておられるので、じゅうぶんに自然とふれあっておられるとも言える。全体として、死者の弔いよりも、いま現在の「生」を最大限に重んじる方針が貫かれているような印象を受けた。
各写真の拡大版は、サーバ容量の関係で24時間限定公開とさせていただきます。
【ちょっと思ったこと】
【新しく知ったこと】
【生活記録】
【夕食後の夫婦の散歩】------92日目(妻は87日目)[娘は4日、息子は3日]。ポケット・ピカチューで2746歩----
 車で大学に行って動物飼育室のハムスターにミカンのかけらをやる。農学部駐車場に移動してから、妻の用事で近所の奥さんの家まで往復。
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】