じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
セローム。岡山西警察署横のいきつけの花屋で処分品を500円で買ったもの。もともと4800円で売っていたものが2400円に。それでも買い手がつかないうちに寒気にあたって、購入時にはてっぺんの葉が皆枯れていた。暖かいところに置いておいたところ、再び葉をつけはじめた。 |
【思ったこと】
981215(火)[心理]競争は社会や個人の進歩をもたらすか(2) 昨日の続き。昨日の日記でもちょっと書いたが、競争が進歩をもたらすかどうかを考える上で注意しなければならない点が2つほどある。 1つは、よく自然選択(natural selection自然淘汰)の問題がアナロジカルに引き合いに出されるけれど、自然選択の結果が常に進歩をもたらすとは限らないことだ。 たとえば、ある草原に何種類かの草花があったとする。もしこの地域が砂漠化していったとすれば、乾燥に強いサボテン型の草花が生き残るだろう。またもし次第に木が生えて日陰が多くなってきたとすれば、蔓性の草花が生き残りやすい。その他、病害虫への強さ、温度変化への強さ、種の数や散らばり方などさまざまな要因が関与し、10年後、100年後の生き残りが決まっていく。100年後の草原の姿が今より進歩した姿かどうか、これは何とも言えない。 この問題に限らず、そもそも何をもって進歩とするのか、進歩は単一の物差しで測れるものなのか、といったことをきっちりしておかないと「競争原理」に依拠した議論は進まないところがあるように思う。 もう1つは、競争は人間行動をダイレクトに制御する要因にはならないだろうということ。行動随伴性の視点から眺めてみると、競争に含まれる一番大きな随伴性は「〜すれば現状が維持される。〜しないと現状が失われる。」という「好子消失阻止」や「嫌子出現阻止」の随伴性であろうと思われる。 たとえばある島によろずやが一軒あり、島民の生活必需品の供給をしていたとする。この場合、ただ物を仕入れ、適度の価格で売っていれば店の経営は成り立つ。その商行為を維持しているのは「好子出現の随伴性」だけであろう。ところが、ある日、もう一軒のよろずやが開業したとする。となると、自分の店の経営を維持していくためには、「より安く仕入れ、より安く売らなければ...」、「島民が何を欲しがっているかを知らなければ...」、「より質の高いサービスを提供しなければ...」というように「〜しなければ現状維持ができない」という随伴性がはたらくようになる。このかぎりでは、少なくとも一時的には島民は競争原理の恩恵を受けることになるだろう。 しかし、一軒だけの時でも地域に密着した販売活動をするよろずやだってあるに違いない。また、二軒の店が競争状態のまま何十年も経営を続けられるのか、何らかの弊害は無いだろうかといった問題が出てくる。さらに、よろずやを経営する人の個々のレベルの生きがいにどう反映してくるのかという問題も考えていく必要があるだろう。このあたり、さらに考えてみたいと思う。 |
【ちょっと思ったこと】
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【新しく知ったこと】
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【生活記録】
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【夕食後の夫婦の散歩】------87日目(妻は83日目)[娘は4日、息子は3日]。ピカチュウ万歩計で3793歩。----
近くの回転寿司で夕食。車でレンタルビデオ屋〜100円均一ショップ。そのあと文学部周辺を散歩。 |
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】
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