じぶん更新日記1997年5月6日開設Y.Hasegawa |
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ハナミズキの赤い実と薬学部。 |
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【思ったこと】
981214(月)[心理]競争は社会や個人の進歩をもたらすか(1) 昨日の日記で渡部昇一氏の講演について感想を述べたが、渡部氏関連のサイトをgooで検索してみると、氏の「競争」に対する肯定的な立場がいくつか示されていることが分かった。 そのうちのひとつ、『競争の原理』(堺屋太一・渡部昇一著、致知出版社 定価1200円)の紹介文によれば、“「競争の原理は、生命発展の不変の原理であ”り、 競争はいわゆる戦いである。戦いは苦しいし、自分が敗者になるかも知れない。できれば戦いたくないというのが本音であろう。しかし競争がなければ進歩はない。進歩がなければ生き残れないというのが、この世の宿命なのである。としている。ここに引用した文章はあくまで紹介文であって、これが堺屋氏のお考えに近いのか、渡部氏のお考えなのか、まだ原書を拝見していないのでよく分からない。ただ、両氏の考え方と切り離してみたとしても、進歩と競争が表裏一体であるという1つの立場を鮮明に表したものとして留めておく意味があるように思う。 もうひとつ、英進館で行われた渡部氏の講演の中でも、 少しでも生き残りと繁殖能力に優れた動物が生き残るというダーウィンの進化論と、ある日、本人が書いた『住み分け論』。例えばガラパゴス島のゾウガメやイグアナは敵がいないから仲良く住み分けているがそこに進化の動物が入ってくると彼らは一挙にやられてしまう。このことは人間の世界でも同様のことが起こっており、これからの日本の教育を考える上で重要なことは「進化論的な世界に入っていく覚悟を決めること。」そして「選択肢を増やすこと」である。という形で、競争社会で生き残ることの必要が説かれていた。 これらを拝見しているうちに、旧来の「左翼か右翼か」、「保守か革新か」、「唯物論か唯心論か」、「合理主義か非合理主義か」などという対立軸とは別に、「競争原理」をどうとらえるかということも、いろいろな物の見方、人生観、処世術などをとらえるさいの重要な切り口になるのではないかと、ふと思った。 競争原理といっても、それは社会全体の進歩に関連づけるか、個人の生き方に関連づけるかによって見方は変わってくると思うけれど、おおむね次の3つの基本的立場があるように思われる。
もっとも、「競争」が人間行動の根本原理になるのかと言えば、ちょっと疑問。行動随伴性の概念からもう少し細かく分けられるように思う。また、「競争が発展を生む」という見方が一部で支持されるのは、1つには、結果として生き残ったものの良さばかりが見えてしまうことにも起因しているように思われる。このあたり、明日以降の日記で考えててみることにしたい。 |
【ちょっと思ったこと】
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【新しく知ったこと】
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【生活記録】
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【夕食後の夫婦の散歩】------86日目(妻は82日目)[娘は4日、息子は3日]。ピカチュウ万歩計で4545歩。----
文学部まで往復。昨日写真を撮った石膏像は、昼間のうちにどこかへ持ち去られていた。昼休みに近くを通った時にリヤカーが横付けしてあったので、工事関係者ではなく大学関係者が移動した可能性大。 |
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】
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