じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

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10月28日(水)

【ちょっと思ったこと】
  • 昨日の日記に引き続いてTVネタになってしまうが、帰宅した時、家族が「しあわせ家族計画」という番組を視ていた。きょうのチャレンジは、「大化から平成まで元号247暗記」。登場したお父さんはずいぶん老けているようにも見えたが46歳。なんだ私と同じ歳ではないか。といっても24歳の長女、それに20歳の長男やそのお嫁さんがいるとは、ずいぶん世代更新が早い家族だと思った。
    元号は漢字の組み合わせで作られているため無意味綴りよりは覚えやすいように思うが、実際、並べたリストを眺めてみると、「徳」「和」「元」「平」...など特定の漢字がよく使われており、ミスが起きやすい組み合わせになっていることが分かる。中には「延長」なんていう元号もあったが、延長する意味と取り違えられることは無かったのだろうか。
  • だいぶ前に注文していた『「しきり」の心理学』(林理、学陽書房、ISBN4-313-81303-9)がやっと手に入る。大学審議会が26日に、学長や学部長の「リーダーシップ」を重視する答申を出したというが、「リーダーシップとは何か」を考える上で大いに参考になる本だと思う(7/15の日記参照)。
    この本の内容とは全く関係の無い私の個人的な意見だけれど、学長個人があらゆる状況に精通し学長個人の識見だけに基づいて行動するには、総合大学のような組織はあまりにも大きすぎる。で、結局のところ、学長の意見というのは、学長をバックアップする人々や予算要求の成否を左右する人々の意見を反映せざるを得ない(もちろんこれは、学長だけについて言えることではなく、日本国総理大臣も一般企業の社長も似たような宿命を背負っていると言えるが)。
    結局のところ、「学長のリーダーシップ」重視なるものは、これまで教官全員で公開の場で協議されていた諸問題の決定権を、学長の背後で影響を与える少数の人々の非公式の協議にゆだね、決定内容については拒否させないぞ、という状況を作る可能性が非常に大きい。
    とはいえ、率直なところ、何時間にも及ぶ会議にうんざりしている教官が多いことも確かだし、全員合意を重んじるばかり何ヶ月たっても結論が出ないのでは意志決定能力が疑われてもしようがない。個人的な考えとしては、形式的な決定事項などは学部長専決にしても構わないと思う。ただ、5〜6年に一回ぐらいの割で持ち上がってくる大学の存立に関わる根本的な問題についてまで構成員全体の意見を無視して決められてしまうようなことがあっては困る。このあたり、単に「リーダーシップ」に委ねるのではなくて、公式の協議機関が、効率的、機動的、建設的に審議をすすめる方式についてもっと考えていく必要があるかと思う。
【新しく知ったこと】
  • スペースシャトル STS-95が、日本時間の10月30日、午前4時に打ち上げ予定だという。最新の情報はこちらから。なお、いつもイリジウム衛星などでお世話になっている三島さんの情報では、今回は南西諸島のみで可視可能となる模様。計画に変更が無い限り、残念ながら全国の夜空を横切る様子は見られそうにもない。
【東京で見たこと、感じたこと(15)東急世田谷線】
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 東急世田谷線はもともと「玉電(たまでん)」と呼ばれており、東急百貨店(当時の東横デパート)の2階から出発し三軒茶屋で分岐し、二子玉川園と下高井戸まで通じていた。二子玉川園行きは白いプレートで、下高井戸は赤いプレートで行き先表示されており、三軒茶屋の分岐の角には管制室のようなところがあって、線路のポイント切り替えをやっていた。
 渋谷と二子玉川の間は、デパートから出た直後、中里(三宿-三軒茶屋間)、用賀から先を除いて路面電車、いっぽう下高井戸方面は、三軒茶屋から先がすべて専用軌道となっていた。
 子供の頃、これらの線路には、「新車」と呼ばれるイモムシ型の車両があった。当時はこれが何より楽しみで、これがやってくるまで何台も乗り過ごしたことがあった。あれは全部廃車になってしまったのだろうか。
 小学校5年のころ、下高井戸駅から日大に向かう途中にある松沢小学校で、教育委員会か何かの主催による理科教室が毎月1回行われ、各クラスから1名ずつの希望者が玉電に乗ってこれに参加した。最終回の時、一緒にこのベンチに座って撮った写真が今でも残っている。あの時からベンチそのものは変わっていないように思う。
 そのほか覚えていることとしては、
  • 昔の玉電は黄緑色の面に深緑色のラインが入った車体。
  • 専用軌道の各駅には駅員がいて、改札をやっていた。若林駅などには今でもその駅舎兼売店の後が残っている。
  • いま現役で活躍している車両は70番台だが、「新車」は200番台、他に、150番台の最新車両もあった。
  • 環七通りができた当初は踏切がかけられており、ここで大渋滞を起こしていた。その後東急側が譲歩したのか、当時は珍しい信号機つき踏切ができ、自動車はこの踏切で一旦停止をする必要が無くなった。
【夕食後の夫婦の散歩】------41日目。妻の歩数で4447歩。----
 文学部構内まで。。
【生活記録】
【スクラップブック(翌日朝まで、“ ”部分は原文そのまま。他は長谷川による要約。【 】部分は簡単なコメント。)】
  • 「週間文春11/5号」の新聞広告欄によると、船田元氏と畑恵氏の公設秘書が統一教会の合同結婚式に参加。