UTF-8 since Oct 8, 2025

じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



12月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

クリックで全体表示。



【2025年10月】オーストラリア南西部・フラワーハンティング(10)雲が低く見える錯視?

 オーストラリア旅行は4回目になるが、大平原を何時間もかけて移動するのは今回が初めてであった。他の参加者も言っておられたが、こういう場所では雲が低いところにある(もしくは日本の空より雲が大きい)というように感じることがあった。
 原因はよく分からないが、日本の空では周辺の建物や遠くの山々の上に雲が見えているため「山よりさらに高いところに雲が浮かんでいる」という距離感があるのに対して、大平原では遠近の手がかりが殆ど無いために手の届くところに雲があるように錯覚してしまうのかもしれない。もっともすべての人が同じように錯覚するかどうかは分からない。

2025年12月19日(金)





【連載】3か月でマスターする古代文明(13)都市と権力者/世界最古の法典は?

 12月17日に続いて、表記の番組についてのメモと感想。

10月8日放送 第2回「メソポタミア 都市は“最終手段”だった?」

について引き続き考察する。

 放送では北メソポタミアの都市の形成に続いて、中心の集落から北に500mくらいのところにあるテル・マジュナが取り上げられた。テル・マジュナは小さな集落と思われる遺跡の1つでありその紀元前3900年の地層からは奇妙な人骨が多数見つかった。
  • 年齢は20~30歳代中心でバラバラ。
  • 手足の無いものや大きく傷ついたものあり。
  • 獣の骨も一緒に見つかっていた。
これらの特徴から、ここでは何百もの人々が激しい暴力に晒され虐殺されたことは間違いない。またアンデス地域のような宗教目的の儀礼的な殺害とは考えられないという。

 こうした虐殺から、小さな集落での生活では安全が脅かされており、その不安な状況を解消しようとして「分散していたものが真ん中へ」という形で合体して大きな都市ができあがったという可能性が論じられた。

 ではなぜ虐殺を伴うような争いが起こったのだろうか? 常木晃さんはその手がかりとして、北メソポタミアに都市ができる前から出土している『封泥』という粘土のかたまりに注目している。封泥には個人や集団ごとのスタンプが押され、大事な物を入れた箱などを紐で結んで上からつけた。封泥の使用は私有財産を意味しており、農耕が始まったことで貧富の差が生じそこから争いが起こったと推察された。

 いずれにせよ、都市というのは決してハッピーにできあがったというわけではない。常木さんは、暴力に晒された人々が何とか安全を求めて仕方なく集まったのが都市であると理解できるかもしれないと論じた。

 このように都市に人々が集まることには安全上のメリットがあるが、その反面、非常に不自然な生活が強いられるというデメリットもある。ゴミや糞尿の処理、配水などの整備をする必要がある。さらにコロナの時もそうだったが都市では感染症が広まりやすい。近所の人との争いも起こりやすいなどなど。それでも人々は致し方なく集まった。

 北メソポタミアのテル・ブラクの紀元前3900年前の遺跡から『目の神殿』のような小規模な神殿が見つかっているが、南メソポタミアのウルクの巨大な神殿に比べると規模は小さく素朴な神殿になっていた。また強大な権力の存在を示すような大きな建物は見つかっていない、このことから、集落がまとまっていくなかでボトムアップ的に作られていったのではないかと常木さんは論じた【要約・改変あり】。

 ナビゲーターの関雄二さんからは、前回のギョベックリ・テペなどの例を含めて、以下のような見方が示された【要約・改変あり】。
  1. 大きいものがあると、大きい社会があって、そこに立派なリーダー、強力な権力者がいるというイメージをついつい持ちがち。
  2. 南メソポタミアで言うなら、都市には権力者がいたというイメージが非常に強かった。このことから、「権力者がいたから都市ができた」という見方が一般的だったが、そうではなかった。
 さて、このようにみてくると、「北メソポタミア=ボトムアップ」、「南メソポタミア=権力者によるトップダウン」という対照的な違いがなぜ生まれてきたのかが謎となる。

 放送によれば、南メソポタミアは太陽と水と泥しかないような土地で、大規模な灌漑事業とリーダーによる統率が不可欠だった。大量に生産できたのは麦であり、麦を主軸にしたトップダウンの政治が行われた。

 南メソポタミアの都市の遺跡からは『ベベルドリムボウル』と呼ばれる五合くらいの容量の土器が大量に見つかっている。用途は大麦を入れて給料として労働者に配給するための器であり、これが大量に見つかったということは、社会が組織化され権力者による分配が始まっていることの証拠になる。

 南メソポタミアでは麦は都市の外まで運ばれた(=交易)。南メソポタミアでは手に入らない金属や木材などが麦と交換で各地から運び入れられた。それに伴い職業が生まれ、分業化が進み、多様な人々が都市で暮らすようになった。神殿に納められるさまざまな物資を記録するために文字が発明され、のちには争いごとを防ぐために法律(紀元前2100年頃の世界最古の法典『ウルナンム法典)も生まれた。社会が複雑化するにつれて南メソポタミアの都市は巨大化していった。紀元前3500年頃のウルクは250ヘクタール、およそ4万人が暮らしたと推定されている。他にも、エリドゥ、ラガシュなどの都市が巨大化し覇権争いが始まった。

 いっぽう北メソポタミアは大草原の中で天水農耕ができる場所なので大きな都市を作ったり交易をしなくても自給自足ができた。

 放送の終わりのあたりでは、農耕化して家畜の飼育が進むと食べる種類が限られてくるという話題が取り上げられた(農耕牧畜によるモノカルチャー化)。肉食で言えば、新石器時代以前の人たちは鹿とか兔などすごい種類の動物の肉を食べていたが、現在の日本では、牛、豚、鶏肉が殆どとなっている。
  • 自給自足的な社会から徐々に専業化が進む。
  • 作り出したものを交換しながら豊かになっていく。
  • そういう社会の進み方が都市の原型を作り上げていく。
  • 南メソポタミア型の社会構造が広まり、トップに立とうとする社会になっていった。
  • 究極のモノカルチャー化していくようなきっかけを作ったのが都市。
  • 社会的な矛盾や貧富の差などはメソポタミアの都市から始まっていた。但しこのタイプだけが唯一の都市の形成ではない。


 ここからは私の感想・考察を述べる。
 今回の話では北メソポタミアのような強大な権力者の存在が確認されていない都市も紹介されていたが、私が理解した限りでは、北メソポタミアはかなり特殊な例であり、やはり主流としては南メソポタミア型から現代の都市へが形成されていったのではないかと考えざるを得ない。ま、日本で暮らしていると、中規模の都市はたいがい城跡がありお城を中心とした都市というのが当たり前に感じてしまうかもしれない。

 あと放送の中で「世界最古の法典」として『ウル・ナンム法典』に言及されていたが、私が子どもの頃は、最も古いのはハンムラビ法典だと習った記憶がある。リンク先によれば、
  1. 紀元前1750年頃のものとされるハンムラビ法典よりおよそ350年程度古く、影響を与えたと考えられる、現存する世界最古の法典とされる。
  2. ウル・ナンム在位中の紀元前2115年頃 - 紀元前2095年頃、シュメール語によって粘土板に記された法である。
  3. ウクライナ生まれの歴史家であるサミュエル・ノア・クレーマー(英語版)が1952年、最初の断片2個を発見して解読した。のちに発見されたものと併せて1965年には、全57条中の残存する32条が解読された。ニップルやウルから断片が出土しており、序文のほぼ全文と条文が復元されている。
  4. 後世のハンムラビ法典の特徴が「目には目を、歯に歯を」の一節で知られる同害復讐法であるのとは異なり、損害賠償に重点が置かれている。殺人・窃盗・傷害・姦淫・離婚・農地の荒廃などについての刑罰が規定されており、特に殺人・強盗・強姦・姦通は極刑に値する罪と見なされた。
となっている。なお現在では、

ハンムラビ法典は、ウル・ナンム法典、リピト・イシュタル法典、エシュヌンナ法典に次ぐ、完全な形で残る世界で4番目に古い法典である。

とのことだ。学校ではどう教えられているのか調べてみることにしたい。

 次回に続く。