【小さな話題】3か月でマスターする古代文明(12)南北メソポタミアの都市形成
12月12日に続いて、表記の番組についてのメモと感想。本日からは第2回:
●10月8日放送 第2回「メソポタミア 都市は“最終手段”だった?」
について考察する。
メソポタミア文明と言えば都市。神殿を中心に城壁に囲まれた中に数万の人々が暮らす「都市」が人類の歴史で初めて誕生したとされている。メソポタミアの都市は、
- 強大な権力を持った「王」が人々を統治。
- 組織だった社会も作られ社会もつくられ交易が盛んに行われた。
- 文字や法律もこうした都市で生まれる。
- 都市を中心に暮らす現代社会のルーツとも言われる。
といった特徴をもつと考えられてきたが、今回の放送では、過去のいくつかの「常識」が覆される可能性があると指摘された。特に印象に残ったのは、
- 現代の都市は便利空間であり人々が自発的に集まることで発展したが、北メソポタミアの都市の場合、周辺から身を守るためにどうしても仕方なく集まった可能性がある。
- 都市では中心の大きな集落が拡大して周辺の小さな集落を形成したと考えられてきたが、そうではなく、周辺の小さな集落が先にそれぞれ大きくなりながら中心に近づいた可能性がある。
といった点であった。
放送ではナビゲーターの関雄二さんから以下のような解説が行われた【要約・改変あり】。
- 古代文明と言えばメソポタミア文明。外すことはできない。
- 人類の歴史の中で都市が一番最初に出てきた場所。
- 都市ができるとそこに人が集住する。そうすると互いのコミュニケーションをはかるために文字ができる。都市ができることで文明が形成されたと考えられてきた。
- 南メソポタミアにはいくつかの古代都市があり、これが有名になった原因。
- 現代の都市のイメージはポジティブな感じがするがそれがひっくり返るかもしれない。
続いて南メソポタミアの都市形成の経緯についてこれまで語られてきたことが紹介された。
- 『灌漑』という技術の発明により、紀元前6000年頃から収穫量が急増し人口も増えて集落は大きくなっていった。
- やがて富が蓄積し、社会の階層化が生じた。
- 大きな集落は城壁を持った都市に発展した。
- 南メソポタミアの最大級の都市『ウルク』で出土した『ウルクの大杯』には、
- 一番上に女神イナンナと、王様か臣下。
- 中段には王や臣下に仕える男たちが捧げ物を運んでいる様子。
- 下段にはヒツジ、その下に大麦やナツメヤシというように南メソポタミアの恵み。
が描かれており、王や神官が頂点に立ったトップダウンの権力が都市の誕生に深く関わっていた推測できる。
上の「定説」に対して待ったをかけたのが常木晃さん(筑波大学)であった。常木さんが注目したのは現在のイラク北部にある『テル・ブラク』。そこでは以下のような特徴が確認された【要約・改変あり】。
- 中心の人工の丘は約30ヘクタール。周りの集落を合わせると130ヘクタール。
- 何層にも重なった各時代の建築物の遺跡あり。
- 2007年に海外の研究者によって紀元前4200年前であることが確認された。これは南メソポタミアに都市が誕生した紀元前3500年頃より500年以上前。
- 従来の考え方では、中心的な集落が拡大して都市ができるというものであった。
- 2007年、GPSを駆使して土器の出土状況を年代別にマッピングする研究が行われた。紀元前4200~3900年と紀元前3900~3400年を比較すると、周辺での集落(6~7か所)土器の出土数が大幅に増えていた。このことから、大きな集落が拡大したのではなく、周辺の小さな集落がそれぞれ大きくなりながら中心に近づいてまとまり大きな集落になったと考えられる。
次回に続く。
|