【連載】チコちゃんに叱られる! 『泥仕合』と『泥試合』:歌舞伎由来説に対するAIの批判
昨日に続いて12月5日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。この日は、
- なぜ大人になると苦い物が好きになる?
- なぜ電車の音は「ガタンゴトン」?
- 泥仕合ってなに?
- 【ひだまりの縁側で…】しかるとおこるはどっちがやさしいイメージ?
という4つの話題が取り上げられた。本日はこのうちの3.について考察する。
放送では『泥仕合』は「泥まみれになる歌舞伎の見せ場」が正解であると説明された。歌舞伎や江戸時代の文学について研究している光延真哉さん(東京女子大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。
- 現在使われている『泥仕合』の意味は「相手の秘密などを暴露し合う醜い争い」。
- もともとは歌舞伎で泥まみれで争う見せ場。
- 歌舞伎由来の言葉には他に『お蔵入り』や夏の怪談話などさまざまなものがある。
- そもそも歌舞伎が生まれたのは400年以上前の京都。女性が三味線の演奏に合わせて踊る『女歌舞伎』や若い少年たちが踊る『若衆歌舞伎』がメインだった。
- 『女歌舞伎』や『若衆歌舞伎』ではひいきの役者を巡って喧嘩が頻発し治安が悪化したことから幕府が禁止。
- そこで成人男子による『野郎歌舞伎』が生まれた。
- 男性が女性の役をする女方。
- 実際の女性よりも動きや所作を強調することで女性の理想像みたいなものを作り上げた。
- 京都・大阪(上方)では色っぽい男性を表現した『和事』、江戸では『見得』・『六方』・『隈取』のような『荒事』という円技術が生まれた。
- 『和事』では恋愛などにおける感情の機敏、『荒事』では超人的で豪快な力強さを表現できるようになった。
- 1700年代半ば、大阪では『せり出し』や『廻り舞台』といった装置が生まれた。
- そうした中でお客さんに喜ばせるために生まれたのが『泥仕合』。
- 歌舞伎では登場人物どうしが争う場面があるが、特殊な状況での争いは『○○仕合』と呼ばれていた。
- 屋根の上のセットを組んでその上で争うのは『屋根仕合』
- 舞台に水を用意して水の中での争うのは『水仕合』
- 寛永2年(1749年)『蘇我後日難波のかしく』という演技の中で泥仕合が行われた記録が残っている。『花江都歌舞伎年代記』には「市松と助五郞という2人の役者が泥試合をしている」という記述があり、『戯場訓蒙図彙』には舞台上の泥の中で2人が争う様子が描かれている。
- 前方に座っていたお客は真菰を編んだモノで泥のハネを防いだ。
- こうして誕生した『泥仕合』は泥で汚れながら争うことから『醜い争い』を指す言葉として使われるようになった。
- 1930年頃の国会の様子を記した『現代政局の展望』には「与野両党が泥仕合の結果ここまで国法をおもちゃのようにもてあそぶようになるとは(現代語訳)」と書かれるほどに一般的な言葉になり、1931年出版の『いろは引 現代語大辞典』にも掲載された。
- 最近の記録ではによると2023年6月に『夏祭浪花鑑』という演目で泥仕合が行われた。放送では歌舞伎の小道具を製作している工場で、泥仕合の泥がどのように作られているのか紹介された。
ここからは私の感想・考察を述べる。放送内容から少し外れるが、私はこれまで『泥仕合』ではなく『泥試合』と書くものだと思っていた。但しパソコンで文書を作成する時には勝手に漢字変換されるので気づかずに『泥仕合』と記していた可能性が高い。
もっともこちらの記事によれば、以下のような経緯があるようだ【要約・改変あり】。
- NHK朝ドラ『ブギウギ』の一シーンで、雑誌の見開きの見出しに「福来、茨田二大女王の泥試合! 犬猿のブギ對ブルース!」というように「泥試合」という表記があった。但しNHKに問い合わせたところでは「正しい表記は「泥仕合」でした。確認が不十分でした。との回答。
- 国語辞典では「泥試合」は誤りとするもの、書くのは避けたいとするもの、【泥仕合・泥試合】と併記しているものがあった。
- 毎日新聞のデータベースで戦中戦後の見出しを探すと、「泥試合」はそれなりに出てくる。例えば1947年11月26日の記事は、見出しが「泥試合の勝負五分五分」と読める。
- むしろ戦後しばらくするまで「泥仕合」の方が見られず、1959年ごろから「泥仕合」が中心になっている。
- 1956年の「毎日用語集」に「泥仕合(△泥試合)」とあり、△は「そういう表記も間違いではないが使わない」という意味で、これ以降、「泥試合」は紙面から少なくなっていったと考えられる。
- 一般の辞書はほとんどが「泥仕合」しか掲げず、「泥試合」を併記する辞書も古いものしかなくなり、逆に「誤り」とする辞書が複数ある現状になっている。「泥試合」は、文字通り泥にまみれる試合についてしゃれで使う場合以外では「不適切」とみなされる可能性がある。
- 国会会議録では戦後しばらく「泥試合」「泥仕合」が混在するが「泥試合」が優勢。1945~54年の10年間で「泥試合」26件に対し「泥仕合」は6件。しかし「泥試合」は77年を最後になぜか使われなくなった。
ということでChatGPTに、
【質問】『どろじあい』という言葉は戦後間もない時期までは『泥仕合』のほか『泥試合』とも表記されていました。しかし1960年代以降には『泥仕合』が増え、1977年以降は『泥仕合』に統一され、『泥試合』は誤記と見なされるようになったと聞きます。どのような理由・きっかけで『泥仕合』に一本化されたのでしょうか?
と尋ねたところ以下のような回答をいただいた。
以下は国語史・辞書史の観点から説明できる、**「泥試合 → 泥仕合」への一本化の理由**として現在考えられている内容です。特定の年に公式に「統一された」わけではなく、複数の要因が重なった結果、**1970年代後半までに自然淘汰的に『泥仕合』が優勢となった**、というのが実情です。
- 本来語源が「仕合(しあい)」であると再確認された
中世以降の日本語では「勝負」「取り組み」「対決」を表す語として
* **仕合(しあい)**=「取り組み・勝負」
が一般的でした。
例:*相撲の仕合*・*剣術の仕合* など。
これが転じて、
「互いに醜い争いを続ける」→「泥まみれのような *仕合* 」
という意味で、**語源的には「泥仕合」が正しい**と説明できるわけです。
一方「試合(しあい)」は本来、近世から広く使われるようになった比較的新しい表記であり、
「試合=スポーツの勝負」という現代的語感からの**意味の取り違え(意味的類推)**で「泥試合」が生まれました。
国語辞典編纂者の間では、語源調査が進むほど
> 「泥試合」は語源的には不正確である
> という認識が強まりました。
- 辞書・新聞の表記方針が「泥仕合」に寄った(1960年代〜)
辞書史を調べると、
- **1950〜60年代の辞書では両方併記**
- **1970年代以降は「泥仕合」を本項、「泥試合」は俗用・誤り扱い**
と変化していきます。
特に大きいのは以下の影響です:
### ◎ 辞書(国語辞典)の規範化
1960年代に学研『国語大辞典』、小学館『日本国語大辞典(初版 1972〜76)』など大型辞典の編集が進み、**語源・文献調査に基づく「正用」判定が強まった。**
そこで語源に合わない「泥試合」が「誤記」「俗用」と整理され、**辞典が「泥仕合」推奨を明確にした**のが一つの転機です。
### ◎ 新聞の用語統一(内部表記ルール)
新聞社は1960〜70年代に表記基準を整備しました。
国語辞典の影響も受けて、多くが**「泥仕合」を採用し、「泥試合」は使わない**という方針を取ったため、読者に触れる機会が激減しました。
これが一般語としての定着に大きく影響しています。
- 学校教育(国語教科書)が辞書に合わせて「泥仕合」を採用
1970年代後半〜の国語教科書では「泥仕合」のみを採用する例が増えました。
教科書=規範性の高いメディアであるため、
**若年層が「泥試合」に触れる機会が消えた**→ 1977年以降の世代では自然に「泥仕合」が唯一の表記になる
という流れが生まれます。
- 「試合=スポーツ」という現代語感とのズレが認識されてきた
「試合」はスポーツ・勝負事のニュアンスが強まったため、「泥試合」と書くと
「泥の中で行うスポーツの試合?」「泥沼の試合?」
と取られ、**意味のミスマッチ**が生じやすくなりました。
一方「仕合」自体は日常語としては消えたものの、「仕」には「事をし遂げる・行い」という意味が明確にあるため「泥仕合」のほうが**「泥まみれの争い」という比喩に合う**と判断されたのです。
- ## まとめ:一本化の直接的な「きっかけ」
**きっかけは単一ではなく、次の三つが連動した結果です:**
- **辞書による語源的な再整理(1960年代〜)**
- **新聞・出版社の表記基準の統一(1960〜70年代)**
- **教科書による規範化(1970年代後半〜)**
これらにより1977年以降には
> 一般的には「泥仕合」が正しい
> という認識が社会全体に行き渡り、「泥試合」は誤記扱いになりました。
以上の説明では歌舞伎の話は出てこなかった。となると、『泥仕合』に一本化された背景としては、
- 歌舞伎に『屋根仕合』、『水仕合』、『泥仕合』などの『仕合』があることから『泥試合』ではなく『泥仕合』になった。
- 歌舞伎とは関係なく『仕合』と『試合』という言葉があったが、近年『試合』はもっぱらスポーツの『試合』という意味で使われるようになり、『泥試合』というと雨の中で泥まみれになる試合と誤解される恐れが出てきたため『泥仕合』に統一された。
という2通りの可能性があるように思える。この点についてのChatGPTの見解は以下の通り。放送の説明については否定的であった。
結論から言うと、
**有力なのは後者(「試合」がスポーツ語化した結果、『泥試合』が意味的に誤解されやすくなったため『泥仕合』に収束した)**
です。
一方、**歌舞伎の「屋根仕合」「水仕合」「泥仕合」から一般語の『泥仕合』が直接決まった、という説は補助的で、主因とは見なされていません。**
以下、理由を詳しく説明します。
- 歌舞伎由来説の限界
歌舞伎の舞台用語には確かに
* 屋根仕合
* 水仕合
* 泥仕合
など「〜仕合」という表現があります。
しかし国語史研究では、**この歌舞伎の語法が一般語「泥仕合」を一本化させた直接の根拠には弱い**とされています。その理由は:
- (A) もともと日本語には「勝負=仕合」という一般語があり、歌舞伎はその用法を演劇化しているに過ぎない
つまり「仕合」という語は歌舞伎が作ったのではなく、**既存の一般語を舞台上に応用しただけ**です。
したがって
> 歌舞伎 → 一般語が統一された
> という流れを裏付ける文献的証拠はありません。
- (B) 「泥試合」も戦前は普通に使われており、歌舞伎語法は表記揺れの主要因を説明できない
歌舞伎の語法がもっと一般語に強く影響していたなら、戦後すぐに「泥試合」は消えていたはずですが、実際には1950年代でも新聞等で使用例が多数あります。
つまり、**歌舞伎語法は表記の揺れを決定づけた主要因とは言えない**。
- 「試合」のスポーツ語化 → 「泥試合」が誤解されやすくなった
こちらは辞書編纂者・言語学者が広く支持する説明です。
- (A) 20世紀後半、「試合」はスポーツ用語へ強く傾いた
1960年代以降、テレビ普及とともに
> 「試合」=スポーツのゲーム
> という語感が日本語で極めて強くなりました。
- (B) その結果「泥試合」が「泥んこのスポーツ競技」と読まれる危険が生じた
「泥仕合」が意味するのは
> 醜い争い・対立が泥沼にはまり込むこと
> であり、スポーツとは全く関係がありません。
対して「試合」という表記は、現代語感では
> 雨中の野球? ラグビー?
> のように誤読される可能性が高まり、
> **比喩表現として適格性が下がりました。**
- (C) 辞書・新聞・教科書が「泥仕合」を採用しはじめた直接動機もここにある
辞書の解説には1970〜80年代から
> 「泥試合は誤記」「泥仕合に同じ」と明示する傾向
> が強まり、新聞社の表記基準も「泥仕合」を採用しました。
これは語源研究だけでなく、**現代語としての誤解回避(語の機能性)**
が重視された結果です。
- 専門家の総括
言語研究者の間で主流なのは:
> **「仕合」という古い一般語+「試合」の意味変化(スポーツ化)」が決め手で、歌舞伎だけが一元的に源ではない**
という立場です。
歌舞伎用語が語源理解の参考になることはありますが、**一本化の主因とするには弱い**という扱いです。
- ◎ 結論
【より有力な説明】
### ★ 後者:
**「試合」=スポーツ語としての意味が強まり、『泥試合』という表記が誤読されやすくなったため、語義的に正しい『泥仕合』に統一された。**
【補助的説明】
### ★ 前者(歌舞伎由来説):
「仕合」という古語の存在の一例として挙げる価値はあるが、**一般語としての統一の主因とは見なされない。**
今回の『泥仕合』に限らないが、いま使われている言葉の語源といっても、単に古文書に用例があったというだけでは不十分かと思われる。
「○○」という言葉がいつ頃から使われているか?を明らかにしたところで、
- その言葉の使われ方が時代と共に変遷して今のような使われ方になったのか?
- 同じ言葉が古文書にあったとしても、現代の言葉とは断絶している。今使われている言葉のルーツはもっと新しい時代にある。
ということははっきり区別されなければならない。
次回に続く。
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