じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



05月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

クリックで全体表示。



 昨日の日記で、5月9日(金)に初回放送された『チコちゃんに叱られる!』の放送の中で「できる」ではなく「出来る」という字幕が一貫して使われていると指摘した。その後もういちど再生したところ、少なくとも14回、使われていることが分かった。但し、番組公式サイトでは「永久欠番ができたのはなぜ?」、「寝ぐせができるのはなぜ?」というように「出来る」ではなく「できる」というひらがな表記になっていた。

 昨日も述べたように、文化庁|新しい「公用文作成の要領」に向けて(報告)(令和3年3月12日)では平仮名表記が推奨されている。念のためCopilotに尋ねたところでも同様の見解が示された。
「できる」を漢字で「出来る」と書くことは**間違いではありません**が、現代の日本語では**ひらがな表記が推奨**されています。

### **使い分けのポイント**
  1. **公文書・公式文書では「できる」**
    文化庁の指針や共同通信の「記者ハンドブック」では、動詞としての「できる」は**ひらがな表記**が推奨されています。これは、読みやすさや統一性を考慮したものです。
  2. **名詞としての「出来」は漢字**
    「出来事」「出来栄え」など、名詞として使われる場合は**漢字表記**が一般的です。
  3. **文学作品や古い文書では「出来る」も使用**
    小説や古典的な文章では、漢字の「出来る」が使われることもあります。
### **結論**
日常的な文章や公的な文書では「できる」とひらがなで書くのが一般的ですが、名詞として使う場合や文学的な表現では「出来る」も許容されます。場面に応じて使い分けるのがポイントですね!

 ついでながら、日本語の「できる」は、

●逆上がりができるように練習したら手にマメができた

というように、英語の「can」に相当する意味と、「何かが出現する、何かが発生する」という意味がある。これら2つの意味は全く異なるようにも思えるが、なぜ同じ「できる」で表現されるのだろうか。このことについてCopilotに尋ねたところ、以下のような回答をいただいた。
「できる」という言葉が**「可能性」**と**「生成・発生」**の両方の意味を持つのは、日本語の語源や言葉の発展に関係しています。
  1. **語源と歴史的背景**
    「できる」は、もともと「出(い)来(き)る」という形で使われていました。「出てくる」「生じる」という意味があり、何かが**自然に発生する**ことを指していました。例えば、「虹ができる」「道ができる」などの表現がこれにあたります。
    一方で、「できる」は**能力や可能性**を示す意味も持つようになりました。これは、何かが「生じる」ことが転じて、「ある条件が整えば実現できる」というニュアンスに発展したためです。例えば、「泳ぐことができる」「英語ができる」などの表現は、何かを達成する能力や可能性を示しています。
  2. **日本語の特徴**
    日本語は、**文脈によって意味が変化する言語**です。「できる」は、状況に応じて「何かが生じる」か「何かをする能力がある」かを判断する必要があります。例えば:
    - **「橋ができる」** → 物理的な構造が完成する(生成)
    - **「彼はピアノができる」** → ピアノを弾く能力がある(可能性)
    このように、同じ言葉でも使われる場面によって意味が変わるのが、日本語の面白い特徴ですね。
  3. **英語との違い**
    英語では「can」は**能力や可能性**を示す言葉ですが、「何かが生じる」という意味は持ちません。「できる」の「生成・発生」の意味に近い英語表現としては、「form」「be created」「come into existence」などが使われます。
    このように、日本語の「できる」は**時間の経過とともに意味が広がり、異なる概念を包含するようになった**のです。言葉の進化を考えると、なかなか興味深いですね!


 この回答の最後のところで思い出したが、英語の「can」と「be able to」はどちらも「できる」という意味だが、意味が異なる。最近はAIでもちゃんと使い分けができているようだ。試しに、

●私は自動車を運転できるが、今は酒を飲んでいるため運転できない。

をDeepLに翻訳してもらったところ、以下のようになった。スゴい!

●I am able to drive a motor vehicle but cannot drive now because I have been drinking.


2025年05月11日(日)




【連載】チコちゃんに叱られる! バーベキューの料理がおいしく感じるのは「脳のブレーキが外れるから」という胡散臭い説明

 昨日に続いて、5月9日(金)に初回放送された表記の番組についての感想・考察。

 本日は、
  1. 永久欠番ができたのはなぜ?
  2. バーベキューの料理がおいしく感じるのはなぜ?
  3. 寝癖ができるのはなぜ?
という3つの話題のうち2.について考察する。

 さて2.の「バーベキューの料理をおいしく感じるのはなぜか?」という話題であるが、この疑問は本来は2.つに分けて考察する必要があるように思う。
  1. バーベキューあるいは焼肉の料理自体をおいしく感じるのはなぜか?
  2. 自宅や焼き肉店で食べるよりも屋外のキャンプ地などで食べたほうがおいしく感じるのはなぜか?

 放送では「脳のブレーキが外れるから」が正解であると説明されたが、これは2.についての解説であった。ちなみにバーベキューの話題はこの番組が始まった頃の2018年6月1日にも取り上げられており、この時の疑問は、バーベキューと焼肉の違いを問うものであり、正解は、

●焼きながら食べるのが焼肉、焼いてから食べるのがバーベキュー

であると説明されていた。この定義から言うと今回の放送シーンは、バーベキューではなく焼肉ということになる。

 また、「なぜみんな焼肉が好き?」という話題については、2019年6月7日に取り上げられたことがあり、2019年6月8日の日記に簡単な感想が記されている。但しこの時は、
  • 「アラキドン酸」→「エタノールアミン」→「アナンダマイド」→「CB1」
  • 「トリプトファン」→「セロトニン」
という物質変化に基づいた説明であり、ドーパミンではなくセロトニンの話であったように記憶している。

 前置きが長くなったが、脳のメカニズムに詳しい阿部和穂さん(武蔵野大学)&ナレーションによる解説は以下の通り【要約・改変あり】。ちなみに阿部和穂さんは2024年8月23日の放送にも登場しておられてたが、その時の私の率直な感想は「胡散臭い」であった。
  1. バーベキューの料理がおいしく感じるのは「脳のブレーキが外れるから」。
  2. バーベキューをすると、快楽や幸福感を与える脳内物質・ドーパミンがドッと出る。
  3. ドーパミンとは、人間に快楽や幸福感を与える脳内物質のことで、何かを達成したり面白いものを見たりすると分泌され、人は幸せを感じる。
  4. 料理をおいしく感じることにあドーパミンが大きく関係している。
    • 居心地の良い空間で親しい仲間たちと楽しくご飯を食べている時はドーパミンがいっぱい出ているので、何を食べてもおいしく感じる。
    • 仕事の会食など、かたい雰囲気の空間ではいろいろと気を使ってしまうので、理性を働かせる脳の前頭前野がドーパミンを抑えてしまう。
  5. 私たちが集団生活をする時、それぞれが自分のやりたいことをそのまま出してしまうとお互い邪魔になる。例えば電車内で漫画を読んでいても、ガハハッと大声笑うのは我慢する。これは他人に迷惑をかけないよう脳がブレーキをかけているから。
  6. バーベキューは基本的に屋外で行われる。屋外では「気を使わなくていい状況」が物理的に起こる。大きな声を出してもそれほど響かないし、自由に動き回れる広さがある。
  7. 「外は自由に行動できる場所だ」と認識するため、脳は「ブレーキは必要ない」と判断してドーパミンを抑えるのをやめてしまう。
  8. 端的に言うと「外では何を食べてもうまい」。子どもの頃、飯ごう炊さんのカレーがおいしかったという人が多いかもしれないが、上手料理の人がそのカレーを作ったわけではない。

 上掲の8.に関連して、放送ではピーマン嫌いの4歳男児(ディレクターの長男)をバーベキューに連れて行ったらピーマンを食べるようになるかという実験が行われた。
  1. 子どもの場合、そもそも脳のコントロールがまだ難しいので、大人に比べるとドーパミンが出やすい傾向にある【バーベキューの場面ではドーパミンがたくさん出ているのでピーマンもおいしくなる可能性がある】。
  2. 自宅で焼肉を食べる時にはピーマンは食べなかった。
  3. コツは以下の通り。
    • バーベキューを食べに行くことを事前に知らせる→その期待感で、行く前からドーパミンが出る。
    • ピーマンを焼くまでの工程をできる限り体験(ピーマン等を洗う、切る、種を取る)→普段とは異なる新しい体験を次々と達成していくことでドーパミンが出る。大昔の人間は初体験に成功するとドーパミンが大量に分泌されそれが記憶に残せるように進化した。この仕組みは現代でも残っていて、新しい体験をするたびに「挑戦して成功した」というご褒美として脳がドーパミンを分泌する。
    • 食事を始めたら好きなものから食べる→それにより先にドーパミンが出る。
 以上の実験を行ったところ、この男児は自分で切ったピーマンを口にするようになった。またこの男児はその後保育園でもピーマンを食べるようになったという。
 なお、最後に、

外で食べる料理がおいしいのは、あくまで「安全でリラックスできる」場所が前提です

という補足説明があった。




 ここからは私の感想・考察を述べるが、冒頭でも指摘したように、今回の話題は、「外では何を食べてもうまい」ということの説明を試みたものであって、別段、バーベキューであろうとカレーであろうと、あるいは釣り上げた魚であろうと、料理の内容には関係のない説明であった。であるなら、「バーベキューの料理がおいしく感じるのはなぜ? 」ではなく「屋外で作る料理をおいしく感じるのはなぜ?」という形で問題設定すべきであった。

 でもって、じっさいに屋外のほうがドーパミンがたくさん分泌されるのかという話になるが、屋外という環境条件を自宅室内やレストランなどと対比させて、

屋外では「気を使わなくていい状況」が物理的に起こる。大きな声を出してもそれほど響かないし、自由に動き回れる広さがある。「外は自由に行動できる場所だ」と認識するため、脳は「ブレーキは必要ない」と判断してドーパミンを抑えるのをやめてしまう。

と言うほど、「屋外」に顕著な効果があるのかどうかは疑わしい。もし屋内での食事の際には常に「脳がブレーキをかけている」とするなら、(屋内で食事を提供するような)外食産業は成り立たなくなるのではないだろうか。

 ま、どっちにしても、脳内物質による行動の「説明」は必ずしも因果関係の説明にはならない。今回の話題に関して言えば、ある条件のもとで唾液などからドーパミンの分泌量を測定したとしても、
  • ドーパミンがたくさん出たから「おいしい」。
  • 「おいしい」と感じたからドーパミンがたくさん出た。
のいずれであるのかは区別できない。よく言われるように、
  • 涙が出たから「悲しい」。
  • 「悲しい」から涙が出た。
と同じようなことになってしまう。

 とにかく、脳のどこが活性化したとか、何たらの脳内物質が出たとか、なんでもかんでも脳に結びつけたところで、けっきょくは事後解釈に陥るだけで行動を変えることはできない。それよりも、

●そのような環境条件のもとでで食べるとおいしく感じられるのか?

というように問題設定をした上で、具体的な条件を整えていく(室内の食事で言えば、室内の壁や照明、音楽など。屋外で言えば周りの風景など)ことのほうが遙かに生産的であると思う。

 次回に続く。