じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
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 3月9日のブラタモリはレギュラー放送としては最終回となった。この回に取り上げられた指宿には、少なくとも2回訪れたことがあった。
  • 1978年10月:単独旅行。指宿のユースホステル(土産物屋に併設)に連泊し、砂蒸し風呂、佐多岬、開聞岳登頂。フェリーで大隅半島から指宿に戻るとき、とても美しい夕日が見えた【写真上】。開聞岳は当時の体力では楽々登れたが、急ぎ足で下山した際、登山道の真ん中にヘビが居座っていてなかなかどいてくれないので困ったことがあった。
  • 1994年4月:家族旅行。鹿児島市内のホテルを出発し、池田湖【写真下】、鰻池、長崎鼻、砂蒸し風呂を楽しんだあと、車で北九州に戻った。




2024年3月17日(日)




【小さな話題】ブラタモリ最終回#263「鹿児島・指宿〜指宿のわっぜぇ火山は歴史を動かす!?〜」

 NHKの人気番組『ブラタモリ』が3月9日をもってレギュラー放送を終了した。あいにく3月9日分は録画しておらず、その後の再放送がいつになるのか分からなかったが、NHKプラスで3月16日夕刻、無料配信終了期限ギリギリで視聴することができた。

 放送内容で新たに知ったことは以下の通り。
  1. 指宿の市内には、開聞岳を初めとして市内全体に22個の火山がある【←放送で提示されたパネルを目視で数えた数】。「火山銀座」とも呼ばれている。こちらの情報によれば、「松ヶ窪,池底,成川,鰻池,山川港は,5〜6万年前に形成された火口群。開聞岳と池田湖との間にも,鏡池,水無池などの火口が点在する。」とのこと。
  2. 町のほぼ全てが分厚い火砕流堆積物で覆われている。
  3. 池田湖は6400年前の噴火で誕生した九州最大のカルデラ湖。池田湖の南東には直線状に3つの丸い地形が並んでいるが、これらはカルデラではなく、マールと呼ばれる水蒸気爆発の跡。
  4. 3つの火口のうち最も海側にあるのが山(やまがわ)港。水深が深く大きな船が入れるため国際貿易港として古くから賑わっており、16世紀末の大公開時代にヨーロッパで作られた地図にも「Hiamamgava(ヒャマンガヴァ)」という地名が記載されている。
  5. ポルトガルの貿易商人が山川に半年ほど滞在し見聞録を記した。その見聞録をきっかけにして日本にやって来たのがフランシスコ・ザビエルなのだという。
  6. 山川の町のいたるところには石敢當(せっかんとう)が置かれている。石敢當は沖縄で多く見られる魔除けの意味を持つ石碑。江戸時代、幕府が鎖国を進める中、山川港は、琉球国との貿易が認められた唯一の港だった。そのため、琉球の文化が根付いている。
  7. 山川の街中の石壁には、『山川石』と呼ばれる火山由来の石が使われている。柔らかくて細工がしやすいが、風化しにくいという。
  8. 薩摩藩は江戸から最も離れた藩であり、幕府から命じられた大規模工事や参勤交代の出費などで、財政破綻の寸前だった。それを立て直すために山川港に運ばれたのが、黒糖だった。薩摩藩は黒糖を独占的に販売し、財政破綻を救い、これが明治維新に繋がったと言うこともできる。
  9. 指宿市徳光(とっこう)地区からは開聞岳を眺めることができる。開聞岳はもともとは富士山のようにてっぺんに火口の凹みがあったが、平安時代の大噴火で現在の形になった。
  10. 徳光地区は日本のサツマイモ栽培の原点ともされる場所。サツマイモ畑の土壌は『スコリア』と呼ばれるマグマのしぶきが冷やされてできた軽石の仲間が厚く降り積もった土壌。
  11. 江戸時代中頃、1万人以上が命を落とした享保の大飢饉が発生したが、サツマイモのおかげで薩摩藩では亡くなった人は殆どいなかった。徳川吉宗は米が取れない土地でもよく育つサツマイモに注目。飢饉対策の柱としてサツマイモ栽培に取り組み、栽培の方法から食べ方まで全国に広めた。後に発生した飢饉もサツマイモで命を救われた人も多かったという。
  12. 指宿中心部にある橋牟礼川(はしむれがわ)遺跡で歴史的大発見があった。今でこそ縄文土器が弥生器より古いことは常識となっているが、実は大正時代まで縄文土器と弥生土器の違いは時代ではなく民族の違いとされてきた。大正時代に橋牟礼川の土手で、火山灰の地層の上下に弥生土器と縄文の土器が同時に見つかったことから、2つの土器の違いは時代の違いであることが判明した。
  13. 魚見岳には町が一望できる展望台がある。展望台は断崖絶壁に建っていた。約11万年前、現在の鹿児島湾の入り口付近で大噴火が発生。直径20km以上の巨大カルデラ『阿多カルデラ』ができた。このカルデラの東の絶壁は大隅半島にある。60万年前以降に大噴火を起こしたカルデラは日本に9つしかないが、この9つの中に市があるのは阿多カルデラのみ。
 ブラタモリのレギュラー放送は今回をもって最終回となったが、放送の中では特に挨拶のようなものは無かった。但し、エンディングの最後の写真は、花かごを持った野口葵衣アナとタモリさんのツーショットとなっていた。




 ウィキペディアによれば、『ブラタモリ』は2008年から断続的に放送が続けられた冠番組であり、放送日程はこちらの通りで、パイロット版第1回は2008年12月14日放送の原宿、レギュラー版の第1回は2009年10月1日放送の早稲田であり、今回放送のレギュラー放送最終回は第263回であった。

 私自身は毎回ではなく、興味のある場所が取り上げられた時のみ、録画・再生で視聴していた。Web日記の連載記録によると、最初に視聴したのは、レギュラー版第3回の二子玉川であり、その後20回分ほど感想を記したことがあった。但し、視聴したからといって必ず感想を述べていたわけではないし、連載記録自体にも集録漏れがあるかもしれないので、じっさいにはもっとたくさんの回を視聴していたものと推定される。

 『ブラタモリ』は紀行・バラエティ番組の一種であったが、観光名所やご当地グルメには目を向けず、代わりに、街並みに残る高低差、不自然なカーブ、暗渠、石垣、崖の地質などを手がかりに、地形の成り立ちや町の歴史を推理するというタモリさんならではの特長があり、毎回、なるほどそうだったのか、と思うところがあった。最近ではYouTubeでも、独自の視点から国内外の自然風景や街並みを紹介した動画が配信されており楽しませていただいているが、まだまだブラタモリを超えるレベルには達していないように思う。

 この番組がきっかけで興味をいだきわざわざ訪れた場所としては、伽藍岳火口などがあった。まだ訪れていないが、京都の御土居跡、山科の車石、山科本願寺跡、大阪の両側町や地盤沈下の痕跡などは、何かの機会に立ち寄ってみたいと思っている。また、何かの都合で訪れた町でも、ちょっとした高低差や不自然なカーブがあった時には、その理由に関心をむけるようになった。

 タモリさんよりは7歳ほど若い私ではあるが、年々足腰は弱っており、最近では毎日のウォーキング以外では歩くことが殆ど無くなってしまった。もっとも、国内のみならず特定の国の街並みはGoogleのストリートビューやGoogleEarthでも高画質で楽しめるようになっているのがありがたい。万が一寝たきりになっても、寝床からよく見える位置に大サイズの液晶パネルを設置し、自由にストリートビュー散策が楽しめるようにしたいとは思っているが、じっさいに要介護となった時にはなかなか思い通りにはならないような気もする。